問題児アドリアーノはどこへ行く=ホンマヨシカの「セリエA・未来派宣言」

ホンマヨシカ

悪癖はデビュー戦からわずか3シーズンで

アドリアーノは9日の会見で「サッカーをする喜びを失った」と語った 【Photo:ロイター/アフロ】

 インテルにとって救世主のFWになるはずのアドリアーノが、これほどまで厄介でお荷物のような存在に急変するとは誰も思っていなかっただろう。
 インテルの選手としてデビューを飾ったサンチャゴ・ベルナベウでのレアル・マドリーとのプレシーズンマッチで途中出場した19歳(当時)のブラジル人FWは、パワー溢れるドリブルでレアル・マドリーのディフェンス陣をパニックに陥れ、試合終盤には豪快なFKで決勝ゴールを決めた。デビュー戦でインテルサポーターに与えた衝撃は「今後10年間、FWは安泰だ」と確信させるのに十分なものだった。

 19歳という若さでインテルに入団したアドリアーノは、フィオレンティーナ(1シーズン)とパルマ(2シーズン)で経験を積んで、04−05シーズンに再びインテルに戻ってきたわけだが、そのころから彼の悪い兆候は徐々に表れ始めた。
 この04−05シーズンの10月と11月、ブラジル代表へ招集されて母国に帰った際、2度ともインテルとの約束であるチームへの合流日をすっぽかしたのだ。彼が合流したのは約束の日を過ぎた2日後。この時から彼の悪癖が見え始めたのだ。
 その後、練習場に遅刻して現れるという行為が毎シーズン繰り返されるようになった。それに伴い、ミラノや母国での夜遊びのニュースも伝えられるようになった。
 そういえば、僕の知り合いのイタリア人運転手が、「アドリアーノが深夜に酔っぱらって、ディスコから出てくるのを何度も目撃した」という話をしていたのは、ちょうどこの時分であった。

インテルとの決別は時間の問題か

 今シーズン、新監督のモリーニョの下でもアドリアーノの悪癖は直らなかった。シーズン途中には、モリーニョの信頼を勝ち得たかに見えたが、10月28日に(どうやらアドリアーノの悪癖は10月に入ると頻繁に表れるようだ)、深夜まで入り浸っていたディスコで飲んだアルコールを体内に残したまま、翌日の練習に遅刻して現れるという失態を犯してしまった。この行為はモリーニョの怒りを買うだけではなく、同時に勝ち得た信頼までも失ってしまった。

 アドリアーノが引き起こすこれらの出来事を、監督をはじめとするクラブ関係者は苦々しく思っていたようだが、アドリアーノをわが子のようにかわいがっていたモラッティは、厳しい態度で対応しなかった。しかし、寛容なモラッティでも、さすがに今月初めの記者会見での発言を聞き、やっとアドリアーノと決別する決心がついたようだ。
 インテルの選手がライバルであるミランへ移籍するのを一番嫌がっているモラッティは、アドリアーノのミランへの移籍の可能性を聞かれて「個人の意思の自由を阻むことは何ぴとといえどもできない」と顔色を変えずに答えた。このモラッティから感じられたのは、アドリアーノに対する怒りではなく、「もう勝手に行きたいところへ行けばよい」という、煩わしさから解放されるというサバサバしたようなものだった。

 インテルとアドリアーノの契約は2010年まで残っている。今後は両者による話し合いでの解決、成り行き次第では法廷に持ち込んでの争いになるかもしれない。
 だが、こういったイタリアでの動きをよそに、アドリアーノ本人は母国ブラジルでサッカーから離れた生活を送っている。いったい彼はどこへ行くのだろうか。

<了>

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著者プロフィール

1953年奈良県生まれ。74年に美術勉強のためにイタリアに渡る。現地の美術学校卒業後、ファッション・イラストレーターを経て、フリーの造形作家として活動。サッカーの魅力に憑(つ)かれて44年。そもそも留学の動機は、本場のサッカーを生で観戦するためであった。現在『欧州サッカー批評』(双葉社)にイラスト&コラムを連載中

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