女子100mの弾丸娘――L・ウィリアムズ=Quest for Gold in Osaka

K Ken 中村

ディーバースの言葉に

400mリレーでも活躍するウィリアムズは、米国女子短距離の期待の星だ 【写真/陸上競技マガジン】

「03年秋には翌年の目標として、NCAA優勝はもちろん、全米五輪選考会で6位に入ることを掲げました。6位に入ればリレー要員としてアテネ五輪にいけるからです」
 ビッグ・イースト地区室内選手権で60m、200mの2冠に輝いたウィリアムズだったが、NCAA室内選手権では60mで5位、200mでは4位に終わった。
 しかし、舞台が屋外に移るやウィリアムズの快進撃が始まった。まず4月10日にはフロリダで行われたゲータレード大会の100mと200mの両種目で優勝。その後、ペン・リレーの100mに優勝、ビッグ・イースト地区選手権でも100mと200mの2冠を達成した。その後ジョージア工大大会で200mを制したあと、続くNCAA東地区選手権100mをも制した。
 そして迎えたNCAA選手権、100mの予選第4組では追い風参考ながら、10秒94の好タイムをたたき出した。続く決勝では10秒97。その時点での今季世界最高タイムで優勝した。それは彼女にとって11秒の壁を初めて破った、記念すべき大会であった。五輪選考会に向けて100mで5戦全勝、予選まで含めると9戦全勝、200mでも3連勝の快進撃だった。「屋外シーズンが好調だったので、リレーだけでなく、個人種目で五輪代表になることを目標にしました」。ウィリアムズの夢は確実に広がり始めていた。
 そして迎えた4年に1度の全米五輪選考会。「全米五輪選考会前に速いタイムを出していたので、ローリンへの重圧は大変なものでした」。ディーム・コーチが懸念したように、五輪選考会では参加選手中最高タイムを持つウィリアムズへの注目度は大変なものだった。時は、米国陸上界が薬物汚染問題に揺れ動き、明日また誰かの薬物違反が発覚するのか? とささやかれている最中だった。絶対に薬物とは関係がない、と確信できる選手をマスコミもファンも渇望していたのである。そんな願いにかなった選手がウィリアムズだった。
 1次予選で好スタートを切ったウィリアムズは、2次予選第4組で向かい風0.8のなか、11秒13の好タイムで1着に入って準決勝に進んだ。
 だが、前日とは一転して翌日の準決勝でのスタートは最悪だった。それでも最後に見事な追い込みを見せて11秒14のタイムで2着に入り、決勝に駒を進めた。その決勝でもスタートでつまずいて出遅れた。しかし、再び驚異の追い込みを見せて3位に入り、五輪切符を手にしたのである。
 「五輪代表になれてとても興奮していました。特に、尊敬するゲイル・ディーバースと100分の1秒の差で代表に滑り込んだことに」
 ウィリアムズは以前から、尊敬する選手としてゲイル・ディーバースの名を挙げている。「ケガにも病にもめげず、いまだにトップ選手として君臨している姿にはただただ驚きます」。1999年、初めてディーバースに会ったとき、彼女から「絶対あきらめず、競技に集中することを忘れなければ、必ず素晴らしいことができるでしょう」と激励の言葉を受けたという。「その頃から自分が信じられるようになりました」と、ウィリアムズは尊敬するディーバースへの思いを口にした。

夏に咲く花

「全米五輪選考会のとき、ローリンは相当の重圧を感じていたんですが、五輪でのプレッシャーはそれほどでもありませんでした。全米五輪選考会でひどいレースをしたのが、かえって五輪でしっかり走ることへのモチベーションになったのだと思います。選考会と違って、五輪では失うものは何もない、その心構えがよかったのだと思います」
 ディーム・コーチは、五輪での彼女の活躍をこんなふうに分析する。
「決勝のスタートブロックに入ったとき、誰にでも勝つチャンスはある、と自分に言い聞かせました」
 五輪の100m決勝でのリアクションタイムは0.212秒と、ファイナリスト中、最も悪かったウィリアムズだったが、スタートでの動きは遅れていなかった。肉眼で見たスタートは悪くなかったのである。「この2年間、夏の最も重要なレース、正確には02年の世界ジュニア選手権、そして03年のパン・アメリカン大会で、常に自己新を記録してきました」と言うウィリアムズは、10m過ぎにはトップに躍り出た。そのまま70mまで首位を保った彼女は、今季最も重要なレースである五輪でも10秒96の自己新を記録してみせた。しかし、最後はベラルーシのユリア・ネステレンコの猛烈な追い込みの前に屈し、銀メダルに終わってしまったが……。
 五輪後、大学を卒業したウィリアムズは、母校のマイアミ大で練習を続けている。
 「ローリンは大学を3年半で卒業しました。その上、卒業式では学年代表として、答辞を読んだのです。今はボランティア・アシスタント・コーチでもあるデビー・ファーガーソン(※)とともに練習をしています」(ディーム)
 ちなみに、アテネ五輪男子100mで金メダルを取ったジャスティン・ガトリンを大学時代に指導したテネシー大学のビル・ウェッブ・コーチも、「ほかのトップアスリートと一緒に練習をすることで、その選手の潜在能力のすべてを引き出せる」と言っている。
「3年間ひたすら突っ走ってきたので、五輪後少し休養させる予定です。だから、室内の競技会には出場しません。今年最大の目標はヘルシンキで行われる世界選手権です。五輪でメダルを取ったからといって、世界選手権を軽視するなんてとても考えられません。ローリンも、ヘルシンキでは100mの金メダルを取りたいと宣言しています」(ディーム)
 まだ弱冠21歳ながら、すでに五輪メダリストであるローリン・ウィリアムズ。先のスーパースターだったマリオン・ジョーンズが薬物疑惑の渦中にある今、ローリンこそが米国陸上界が渇望する、“灰色”ではないスプリンターである。ヘルシンキ、そしてその後の活躍には大きな期待が寄せられている。

※2002年の英連邦大会で100m、200m、400mリレーで3冠を達成。00年五輪でもバハマの400mリレーチームの一員として金メダルを、03年世界陸上200mでは銀メダルを獲得している。

<了>

最新4月号では、06年女子MVPの知られざるキャリアを紹介

『陸上競技マガジン』
※K Ken 中村の連載「Quest for the Gold in Osaka」は、陸上競技マガジンで好評連載中。最新号(3月14日発売4月号)では、女子400mの戦いに注目。国際陸上競技連盟が選ぶ2006年の女子の最優秀選手に選ばれたS・リチャーズ(米国)の知られざるキャリアに光を当てるとともに、大会連覇がかかるT・W・ダーリング(バハマ)をはじめとするライバルを紹介する。

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著者プロフィール

三重県生まれ。カリフォルニア大学大学院物理学部博士課程修了。ATFS(世界陸上競技統計者協会)会員。IAAF(国際陸上競技連盟)出版物、Osaka2007、「陸上競技マガジン」「月刊陸上競技」などの媒体において日英両語で精力的な執筆活動の傍ら「Track and Field News」「Athletics International」「Running Stats」など欧米雑誌の通信員も務める。06年世界クロカン福岡大会報道部を経て、07年大阪世界陸上プレス・チーフ代理を務める。15回の世界陸上、8回の欧州選手権などメジャー大会に神出鬼没。

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