お雑煮で育った日系デカスリート――B・クレイ=Quest for Gold in Osaka

K Ken 中村

デカスリートへの道、悪くないデビュー

ハイレベルの米国陸上界でしのぎをけずり、世界のトップへと成長 【写真/陸上競技マガジン】

「十種競技に出場した初めての大会は、ワシントン州で行われた98年のジュニア・オリンピックだった。400mでレーン違反をし、失格になったことをよく覚えている。最終結果は確か3位だったと記憶している。思ったよりも厳しかったけど、デビューとしては悪くないのでは」
 その翌年、99年全米ジュニア選手権を自己新(7312点)で制し、パン・アメリカンジュニア大会にも優勝(7207点)している。
「大学2年のとき、確か8069点を記録したのが躍進のきっかけだった。それを機に十種競技でやっていけると確信して、毎年得点を伸ばしてきた」
 ブライアンは01年全米選手権で、自己新の8169点で3位に入り、世界陸上エドモントン大会の代表となったが、競技中に負傷し、8種目めで途中棄権に終わっている。しかし、翌02年に8230点まで得点を伸ばして、全米選手権で2位に入った。
 03年全米選手権の主役はトム・パパスだった。3月にバーミンガムで行われた世界室内選手権の七種競技で、十種競技の世界記録保持者ローマン・シェーブレーを破って優勝したパパスに、注目が集まるのは当然の展開だった。1日目を歴代3位の4691点で折り返したパパスは、100mを10秒43でスタートして、2位のクレイ(4446点)を大きく引き離していた。2日目も確実に得点を重ね、最終種目の1500mを迎えた。あわや8800点に届くかというところまで来ていたパパスに、観衆の興味は引きつけられていた。8482点の自己新をたたき出して2位となったブライアン・クレイへの関心は、あまりにも薄かった。

 03年のパリ世界選手権は世界記録保持者のローマン・シェーブレーと、同じ年の世界室内選手権を制したトム・パパスとの争いが注目された大会だった。が、同時に若き2人の大型新人が競技前半に活躍して、彼らの時代が近いことを世界に知らしめた大会でもあった。最初の3種目終了までトップを突っ走っていたブライアン・クレイ、そしてその後4種目めから7種目終了までトップの座を維持していたドミトリー・カルポフが、その新人デカスリートである。
「4日前に右ハムストリングスを痛めたけど、その前までは銅メダルは取れるのではないかと思っていた」
 クレイは1種目めの100mで10秒50の自己新に近い好タイムでトップに立った。2種目めの走幅跳でも7m70を記録、1960点でトップの座を維持した。そして3種目めの砲丸投では3投目に15m05の大幅な自己新を記録、2753点で2位のカルポフの2742点の前にかろうじてトップを維持していた。しかし、大会4日前に痛めていた右ハムストリングスのケガがもとで400mを走り切ることができず、棄権を余儀なくされ涙をのんだ。

ブダペストでの世界室内で注目される存在に

クレイは第2の故郷でも実力を発揮することができるか 【写真/陸上競技マガジン】

 02、03年と全米選手権で2年連続2位になりながら、影の薄かった彼が、「ブライアン・クレイここにあり」と世界に示したのは、練習の一環として位置づけて出場した04年3月のブダペストでの世界室内選手権だった。ブライアンはここで大ブレイクした。
「コーチと相談して、この大会で現時点の状態を確認するため、練習量を落とさないで出場することに決めていた。だから、自分のベストを尽くすことが目的だった。高得点が出せる状態だったことは分かっていたけど、それがブダペストで出せるとは限らなかった」
 室内七種競技の1種目めの60mでは6秒65の大幅な自己新(それまでの自己新は6秒81)をたたき出して、観衆を驚かせた。2種目めの走幅跳でも7m78を跳んで1位をキープしたが、3種目めの砲丸投で2位に落ち、4種目めの走高跳で2m08の自己新を跳んで、1日目が終わった時点でシェーブレーの3718点に次いで3673点と、2位につけていた。

 2日目の1種目めの60mHで7秒77の自己新をたたき出し、7秒95に終わったシェーブレーを1点リードしてトップに返り咲いた。次の棒高跳でも4m90の自己新を記録、最終種目の1000mを残してクレイはシェーブレーを32点リードしていた。最終種目でひっくり返されたが、それでも6365点の歴代6位の記録をたたき出したのである。
「高得点はうれしかったけど、完全に満足はしていない。まだまだ、得点を伸ばす余地はある」
 ブダペストの世界室内後には、世界室内チャンピオンのローマン・シェーブレーに「米国はもはやトム・パパスだけではない。ブライアン・クレイもいる」と言わしめた。混成競技関係者の間では、「ブダペスト後は五輪に向けてさらに厳しい練習を積んできた」と言うブライアンが、パパスにどこまで迫れるかが、全米五輪選考会の注目の一つであった。しかし、一般スポーツ記者の間では、ブライアンの世界室内での活躍は、まだ知れ渡ってなかったようである。世界室内と同様、彼は練習量を落とさず五輪選考会に臨んだ。
「今年は練習の一環として出場した大会で7種目ですでに自己新を出した。110mHで13秒80、円盤投で52m38、100mで10秒39、走高跳で8m06、砲丸投で15m45、走高跳で2m08を記録している。2m10を跳ぶ練習もしているので勝つ自信はありました。しかし、選考会でピークに持っていくつもりはなかった。本当のピークは8月の五輪でなければならないのだから」

「一番得意な種目は100mと走幅跳」という言葉通り、04年五輪選考会では1種目めの100mで向かい風を突いて10秒48のタイムで1位に躍り出た。
「100mはあまりよくなかった。レース後、左ハムストリングスに違和感があったので、競技続行はどうかと思ったのだが、治療の結果85%くらいまで回復したので、運がよかった」と2種目めの走幅跳で7m59を跳び、リードを広げた。3種目めの砲丸投でパパスに詰め寄られ、4種目めの走高跳では2m01しか跳べず、逆転を許した。しかし、400mの第2レースでクレイが47秒90を記録したのに対し、パパスは第3レースで48秒01に終わり、クレイは3点差まで詰め寄って1日目を終わった。

 2日目2種目めの110mHではクレイは第5レースを走って14秒23、一方パパスは第6レースで同タイムの14秒23を記録、3点差は変わらず。3位とは226点差と大きく離れ、完全にクレイとパパスとの一騎打ちの様相を呈してきた。続く円盤投でクレイは1投目に十種競技中の自己新である52m10を投げ、107点と大きくリードを広げた。そして次の2種目、棒高跳では5m10、やり投でも、1投目に68m36と2つの自己新を記録、勝負あったという感も。1500mの出来によっては8800点も夢ではなかったが、「一番苦手な種目は1500m」の言葉通り、最終種目で大失速。それでも最後は8660点の大幅な自己新だった。1位のクレイ、そして「フィットネスはすこぶるいい。あとは技術的なものを磨くだけだ」と言う2位のパパスともに、全米選手権にピークを合わせていないので、アテネではさらなる得点の伸びが期待される。
「ナイキとサングラスのオークリーにスポンサーになってもらっているが、スポンサー料のほとんどはグリーンやマリオンなどのスーパースターが独占している。また毎週のようにレースがある100mの選手と違って、競技に参加する機会が年に3〜4回しかない十種競技の選手には、競技会の出場料や賞金は限られている。しかしこの2〜3年、ハワイのスポンサーのおかげで練習に専念できている」
 現在、両親と祖父母が、コーチ陣のアテネまでの旅費を準備するため基金集めに奔走している。母校のアズサ・パシフィック大でもクレイのためにオリンピック基金を募っている。余談になるが、全米選手権でファンが着ていたクレイのTシャツは、インターネットで販売されている(http://www.activegearunlimited.com/また、クレイ自身のHPはhttp://www.bryanclay.com/)。
 アテネ五輪の十種競技の本命は世界記録保持者のシェーブレー、そして03年世界チャンピオンのトム・パパスだ。この2人に大物のクレイ、そしてカルポフがどこまで食い込むことができるかが見どころの一つであろう。「誰にもそんな簡単には金メダルは取らせない。」と語るクレイの夢は、アテネでメダルを取ること。そして、母の祖国・日本での大会に出場することである。

<了>

最新4月号では、06年女子MVPの知られざるキャリアを紹介

『陸上競技マガジン』
※K Ken 中村の連載「Quest for the Gold in Osaka」は、陸上競技マガジンで好評連載中。最新号(3月14日発売4月号)では、女子400mの戦いに注目。国際陸上競技連盟が選ぶ2006年の女子の最優秀選手に選ばれたS・リチャーズ(米国)の知られざるキャリアに光を当てるとともに、大会連覇がかかるT・W・ダーリング(バハマ)をはじめとするライバルを紹介する。

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著者プロフィール

三重県生まれ。カリフォルニア大学大学院物理学部博士課程修了。ATFS(世界陸上競技統計者協会)会員。IAAF(国際陸上競技連盟)出版物、Osaka2007、「陸上競技マガジン」「月刊陸上競技」などの媒体において日英両語で精力的な執筆活動の傍ら「Track and Field News」「Athletics International」「Running Stats」など欧米雑誌の通信員も務める。06年世界クロカン福岡大会報道部を経て、07年大阪世界陸上プレス・チーフ代理を務める。15回の世界陸上、8回の欧州選手権などメジャー大会に神出鬼没。

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