世界基準で見る柳本ジャパンの現在地=ヨーコ・ゼッターランドのバレーW杯女子総括

ヨーコゼッターランド
 11月16日、バレーボールのワールドカップ(以下、W杯)女子大会が閉幕した。柳本晶一監督率いる日本は残念ながら3位以内に入ることがかなわず、今大会では北京五輪の出場権を獲得することができなかった。最終日にはポーランドとの順位が入れ替わり、7位で大会を終了した。報道された見出しの中には、「1991年以来のワーストタイ記録」と書かれたものもあった。しかし当時の日本はその後アジア選手権でバルセロナ五輪(1992年)への切符を手にしていることを、ここでお伝えしておかなければならない。期待や希望はあっても、今回のW杯で5〜7位になる可能性は十分に考えられたことだ。結果として7位になったが、北京への道はまだ開かれているし、内容的にも評価できる試合や個人技は少しずつ増えてきている。
 大会総括となる今回は、日本と上位チームを対比させながら、北京へつながる方向を探ってみることにする。

求められるセッターのバックアップ要員

主将兼セッターという、難しい役割に立つ竹下(右)。写真左は17歳で代表に選出された河合 【坂本清】

 最終日を待たずに五輪出場権を獲得し、11戦全勝で優勝を飾ったのはイタリア。攻守ともに堅実で、高いレベルでの安定感ある技術と試合運びは、見る側に安心感を与える。特筆すべきは2人のセッターの存在だ。キューバ戦の前に背中を痛めたロビアンコに代わって、バックアップのフェレッティ(左利き)がフル出場。試合開始直前にバルボリーニ監督が決断を下したスタメン変更だったが、甲乙つけがたいセッター2人を擁していることが世界大会で連戦、長期戦を制する上で非常に重要な要因であることを実感させられた出来事だった。けがなどの突発的アクシデントに備え、かつ優勝できるチーム作りとは何たるかを示してくれたのが、今回のイタリアだろう。

 一方、日本を見てみると、今大会のスタメンは竹下佳江、そして控えには高校生の河合由貴。柳本監督が河合をセッターとして少しだけ起用したのがケニア戦。上位国と対戦した際に竹下の負担を軽減させたり、流れを変えたりするための起用は残念ながら見ることができなかった。河合の今後に期待する上で、「経験」が必要であることは間違いない。しかし彼女のための経験が、このW杯である必要が果たしてあったのだろうか。自らがセッターで、控えの経験もある柳本監督なら、チームが大きな大会で窮地に立たされた時に控えのセッターに求められる役割とその重責は誰よりもよく知っているはずだ。
 来年行われる世界最終予選兼アジア予選に向け、セッター陣をどのように構成するのか。V・プレミアリーグの若手セッターから登用することも、検討の余地があるのではないだろうか。

チームの要として期待される荒木と杉山

大会序盤から、攻守に活躍した荒木(左) 【坂本清】

 優勝したイタリアは、センターのジョーリがMVPを手にした。久しぶりに見る「いぶし銀」の受賞に胸がすっとしたと同時に、これが日本のセンター陣、杉山祥子や荒木絵里香だったらどんなに良かっただろうかと思わずにはいられなかった。上位陣に攻撃を阻まれることはあったが、日本の得点内容はセンター線からのAクイックやBクイックが以前より増えていると思う。これは竹下とセンター線の工夫の跡が見られるプラス材料としてとらえられることだ。

 MVPのジョーリは185cm。現在の女子センタープレーヤーとしては、決して大きいとは言えない。対面した時の印象も、どちらかと言えばきゃしゃだ。しかしひとたびコートに立てば驚異の壁となる。個人成績でもベストブロッカーになるなど、攻撃の個人バリエーションとスピードはピカイチだ。特に横への移動は、ブロック面において荒木や杉山には手本にしてほしい。バレーボールは拾うだけでは勝てない。ベストディガー(最もスパイクレシーブを取った選手)になったリベロの佐野優子にも限界はある。だからこそ日本は両センターの動きが要となって、チーム全体を機能させていくことが重要だ。

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著者プロフィール

1969年、米国(サンフランシスコ)生まれ。6歳から日本で育ち、12歳で本格的にバレーボールを始める。早稲田大学卒業後に単身渡米し、米国ナショナルチームのトライアウトに合格。USA代表として1992年バルセロナ五輪で銅メダルを獲得し、1996年アトランタ五輪にも出場した。現在はスポーツキャスターとして、各種メディアへ出演するほか、後進の指導、講演、執筆など幅広く活動している。

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