世界基準で見る柳本ジャパンの現在地=ヨーコ・ゼッターランドのバレーW杯女子総括

ヨーコゼッターランド

ブラジルが見せた効果的なバックアタック

チーム最多の162得点を稼いだ栗原。日本が進化するためには、エースのさらなる成長が求められる 【坂本清】

 最終日に2位が確定したブラジルも、前評判どおりに北京行きを決めた。イタリア戦で完敗したあとの記者会見では、ギマラエス監督が選手全員を会場に呼んで座らせるなど前代未聞の事態が起きた。これまでいろんなチームを見てきたが、外国勢がこのような行動を取るのを見たのは初めてだった。異様な雰囲気に包まれたが、その後ブラジルはミーティングを重ね、セルビア戦に臨んだ。3位以内に入るためにはセルビアに勝つことが絶対条件だったのだ。セルビア戦では本来の動きが戻り、エースのジェケリネのスパイク音と雄たけびがアリーナ中に響き渡ったところから怒とうの攻撃が始まった。セッターのエリアが「もっとセンターラインを使っていきたいと思った」と語ったとおりに、バレウスカとファビアナが呼応し、シェイラのバックアタックを絡めての、優雅で力強いブラジルのオフェンスを展開した。

 日本も栗原恵のバックアタックを取り入れているが、コンビネーションの中で使っているというより、単発の感が強い。前衛と相手ブロック陣の合間を縫うようなイメージでバックアタックが使えるようになると、効果アップが期待できるかもしれない。

外国勢から学ぶ強化のヒント

 最終日前に北京行きを決め3位で大会を終えた米国は、郎平監督以下全員がほっとした表情をしていたのが印象的だった。けが人続出の大会となり、精神力で乗り切った試合も多くあったし、フルセットの接戦を制したりと成長の跡も見えた。日本戦ではベンチとの連係でサーブを打つゾーンを決め、ブロッカーが的を絞りやすくできるよう連動させた作戦は最高の効果をもたらした。エースのトムとグラースの存在が攻守ともにチームに安定感をもたらした。チーム全体としてはネット際のこぼれ球の処理や、つなぎの細かいプレー、2段トスなどが格段に良くなった。これらはどちらかと言えば、「東洋の良さ」のはずである。日本にとっても改善の余地があるジャンルだ。そして日本は勝利を挙げたときには、「戦略勝ち」を実感できる試合がもっと増えてほしいと願っている。

 4位のキューバ、5位のセルビアは両チームともに監督が「若さ」と「経験不足」、そして「けが」を苦戦した要因として挙げた。大会を通じ、それらの理由は見る側にとっても十分説得力を持っている。プレーが荒いし、ミスも多い。さらに勝負どころを抑えきれない甘さもあるが、随所で見せるプレーは「先の楽しみ」を与えてくれるものだった。例えばセルビアのセッター、オグニェノビッチ(23歳)のトスワークや丁寧さがキラリと光った。セルビアのテルジッチ監督は敗れたブラジルやキューバに対し、敬意を表しつつもユーモアたっぷりの会見で、「北京五輪決勝の舞台でのリベンジ」を明言。目が離せないチームのひとつとして存在感を示した。

最終予選に向け、見えてきた課題

最終予選に向け、取り組むべき課題を見極めたい日本 【坂本清】

 7位という厳しい結果に終わった日本だが、ポーランド戦のように良い試合もあった。日本が戦う上ではキーパーソンの存在はあっても、何かが「目立っている」状態ではない時の方が勝利を収めている。ポーランド戦ではサーブレシーブに始まり、竹下のトスワークとトスの球質も良かった。接戦になっても最後はきっと制することができるであろうと思わせる、流れと雰囲気が日本チーム全体を包み込んでいた。

 上位陣に対してもスコアを見ると歯が立たなかった印象は否めないが、それでも取った得点の中身を見ると、センター線のクイックが以前より多く含まれていたりと工夫の跡もうかがえる。また、リベロの佐野がベストディガーになった。それ自体は喜ばしいことではあるが、反対の側面も見なくてはならない。佐野が拾うことが多いというのは、それだけ相手の攻撃が抜けてきていることでもある。ちなみにFIVB(国際バレーボール連盟)の公式記録でベストディガーの項目を見ると、1位が佐野、7位に高橋みゆき、10位に木村沙織と3名が入っている。しかし得点を取る項目になると、スパイク決定率では10位以内はゼロ。ブロックではかろうじて荒木が9位に入ったのみである。

 記者会見の席でセルビアのテルジッチ監督がチームの課題について聞かれ、次のように回答した。
「どのチームでも、いつでも、なんでも課題はある。大切なのはそれが何かを的確に見極めて修正していくことだ」
 シンプルに聞こえるが、私は今の日本にとって一番必要で、大切なアドバイスに聞こえたコメントであった。

<了>

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著者プロフィール

1969年、米国(サンフランシスコ)生まれ。6歳から日本で育ち、12歳で本格的にバレーボールを始める。早稲田大学卒業後に単身渡米し、米国ナショナルチームのトライアウトに合格。USA代表として1992年バルセロナ五輪で銅メダルを獲得し、1996年アトランタ五輪にも出場した。現在はスポーツキャスターとして、各種メディアへ出演するほか、後進の指導、講演、執筆など幅広く活動している。

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