「戦極〜第四陣〜」目前、韓国勢の躍進は見られるか?

松浦俊秀
 8月24日の「戦極」さいたまスーパーアリーナ大会が目前に迫ってきた。メーンは五味隆典vs.ハン・スーファン。大半の注目は五味に集まるだろうが、個人的には総合発展途上国ながら、堂々メインに抜てきされた韓国のスーファンに注目してみたい。そういえば、このコラムがアップされる16日には、岡山で韓国発の大会「グラジエーター」も開催される。いい機会なので、ここで韓国の総合の歴史を軽く振り返ってみることにしよう。

 韓国で初めてMMAの大会が開かれたのは02年の11月。当時はMMAの呼び名すら定まっておらず、興行レベルとしても微妙なものだった。K−1やPRIDE、KOTCなどがケーブルテレビで放送されていたため人気は上昇気味だったが、それが一般層にまで及んでいたかといえば、それも微妙。当たり前の話だが、MMAに対する認識は、まだその程度のものだった。

 そんなMMAの認知度を一気に上げたのが、翌年4月に開催された「第一回スピリットMC」だ。賞金総額1億ウォン(約1千万円)という破格の無差別級トーナメントを開くことで、同国内の選手予備軍の琴線を刺激。と同時に、「簡単にもうかる」と勘違いした新規イベンターの参入を誘発することとなったのである。

砂上の楼閣だった当時の韓国MMA界

 ところが……。基盤のできていない中でのビッグイベントはK−1以外、ことごとく不発に終わる。グラジエーターの前身「KO−KING」、「ウルトラFC」、「コリアファイト」に至っては、大々的に開催を発表しながら大会を開くことなく消滅(パンクラスの韓国大会も中止)。バブル景気に包まれたように見えた韓国MMA界だったが、実際のところは砂上の楼閣だったのだ。

 極めつけは大会前日に中止を発表した「グラジエーターFC」だろう。日本人を含めた出場選手(マスコミも)は当然のように韓国に到着していたが、一部の選手を就労ビザではなく観光ビザで入国させたため、「このまま試合を実施すれば出入国管理局の制裁を受ける恐れがある」との理由でドタキャン。今にして思えば、その前年に開催された旗揚げ2連戦は奇跡以外の何物でもなかったのだ。

 そんな迷走を続ける韓国MMA界で、救いとなったのが個々の選手の台頭だった。運営側はアマチュアレベルながら、選手は突然変異的に急成長。韓国人初のUFCファイターとなったキム・ドンヒョン。修斗世界ランカーとなったキム・ジョンマン(これも韓国人初)。そしてDEEPライト級王者のハン・スーファン。わずか5年の歴史で、この躍進は脅威としか言いようがない。

 仮に日本が当時の韓国のような状況だったとして、わずか5年でここまでの結果を残せただろうか。「グラジエーター」、「戦極」では、あらためて韓国人選手の試合に注目してみたいと思っている。
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