日本最速の男・佐藤久佳、天国の父に誓うメダル=競泳 ハギトモの北京五輪注目スイマー vol.4
転機となった最愛の父との別れ
日本人で初めて、100m自由形で50秒突破の快挙を成し遂げ、迎えた2006年1月12日。北海道に住む彼のお父さんが、亡くなられたのです。この日は、彼の19歳の誕生日でした。突然の出来事に、彼の心は、悲しみと苦しみで押しつぶされました。当時の彼の姿を思い出すだけで、涙が溢れそうになります。
後に、彼のお母さんは「心配ばかりかけていたのが、久佳でした。きっと主人は、久佳を強くするために、あの子の誕生日に旅立ったのだと思います。最後の優しさだったと思います」と話してくれました。06年は日本代表チームからも外れ、「佐藤は、もう立ち直れないのではないか」と周囲からも落胆の声が出ていました。
そんな中で、彼の心をもう一度プールへ呼び戻し、支えたのは、世界でたった一つの家族の存在でした。息子を心から愛し、優しく見つめる母、熱く厳しく彼を導く兄、「あんちゃん」と彼を慕う弟と妹、彼にとってなくてはならない大きな存在です。
彼の出場する試合を、一度も観戦に訪れなかったお父さん。そのお父さんが生前、「北京五輪は、観戦へ行く」と言っていたそうです。お父さんの夢でもあった北京五輪出場に向け、彼はもう一度、世界へチャレンジしようと覚悟を決めました。
そこから彼は、北京五輪を目標に日々、つらく厳しい練習にも耐え抜きました。心にあるのは、「家族を北京へ連れて行く」という熱い思い。家族のために泳ぎたいと自分自身で決め、動き出しました。彼の一生懸命な姿は、佐藤家にとって、大きな原動力となっています。そして彼自身も、家族の存在が、最高のパワーの源となっているのです。家族で、一緒に笑い、泣き、悲しみ、喜び、すべての感情を共有しているのです。佐藤家は「水泳」を通じて、最高の家族のきずなを手にしています。
メドレーリレーでの金メダル獲得を狙う
北京五輪競泳種目の最終レースは、4×100mメドレーリレーとなっています。このリレーは、国の総合力を試す大切な種目です。アテネ五輪で日本は、銅メダルを獲得しました。現在の日本記録は、昨年世界競泳で佐藤選手がアンカーを務めた記録であり、米国に次ぎ、世界歴代2位。金メダルを狙えるチャンスは、十分にあります。日本のエース北島康介選手は、「金メダルを3つ取りたい」と宣言しています。個人2種目に加え、メドレーリレーでの金メダルです。
佐藤選手は、メドレーリレーのアンカーを務めます。最後の最後、順位が入れ替わる自由形。相当なプレッシャーが彼を襲うでしょう。しかし彼は、「1位で引き継ぎたい。そのまま粘り、逃げ切りたい」と力強く話していました。
水泳大国・米国に、どこまで日本が迫れるのか……そして佐藤選手が、家族の前で、どんな泳ぎを見せるのか。
「いつか世界最速になりたい」
「家族のために泳ぎたい」
佐藤選手は熱い思いを胸に、北京五輪の夢舞台で、スタート台へ立ちます。北京の空には、お父さんの笑顔があると信じて……。
<了>