ポルトガル勝利の“影の立役者”=チェコ 1−3 ポルトガル

鰐部哲也/Tetsuya Wanibe

冷静さが光ったデコ

ロナウドの今大会初ゴールは、ポルトガルの貴重な勝ち越し点となった 【Getty Images/AFLO】

 後半に入ると、チェコは選手の多くが自陣に引いた守備的な戦術を採ってきた。攻撃はカウンターで縦への長いボールを多用し、“あわよくば1点”の姿勢を見せるようになる。一方のポルトガルは、やり方を変えなかった。前半と同じく愚直に中央突破を図ってきたが、この時点でピッチ上のイレブンには明らかに焦りが見えた。
 特にロナウドはしびれを切らし、ボールを持つとドリブルで強引に中に入っていって、分厚いチェコの守備網の餌食となってボールを奪われるという繰り返し。間違ってピッチにボールを入れてしまったボールボーイの少年にまで怒声を浴びせる有様だった。この時点では、ポボルスキの言うロナウドの独善的な“個人主義に走った”プレーがポルトガルにマイナスに働いていたようだ。

 しかしロナウドとは逆に、冷静に我慢のプレーを続けていたのがデコだった。試合前には、「僕らはまだ1回勝っただけ。まだグループリーグを突破したわけではないことをしっかり自覚して、地に足をつけて戦わなければならない」と、やや浮かれムードのチームにくぎを刺していた。デコは、ポボルスキの分析が外れた選手の最たる例だった。そして63分、我慢してパスをつなぎ続けてきたデコが右サイドを突破して、中央へ絶妙のクロス。これを押し込んだのがロナウドだった。
「玩具を欲しがる子供」のようにダダをこねるロナウドに、「最高のプレゼント=今大会初ゴール」をアシストしたデコ。この試合の“影の立役者”であるデコの働きなしには、ポルトガルの勝利もなかっただろう。

チェコの采配ミスにも助けられたポルトガル

 1点のビハインドとなったチェコは後半73分、慌てて高さのあるコラーを投入。ポルトガルはその直後にすかさず、ハイボールの競り合いに強い192センチのフェルナンド・メイラ投入という効果的な一手を打った。
 ポルトガル監督のスコラーリは、試合前日の記者会見で「フェルナンド・メイラは、上背のあるチェコの中盤にボールを支配されないよう、(ボランチの)オプションとして起用する可能性があるかもしれない」と語っていた。指揮官が“約束通り”の采配(さいはい)を見せ、メイラもボランチというよりは最終ラインに入って、完全に“コラー封じ”の任務を全うした。
 ロスタイムには、カウンターに抜け出したロナウドが今度は自分で決めにかからず、確実に横へ流して、クアレスマのゴールをアシストし、チェコにダメを押した。初戦のトルコ戦のリプレーを見ているかのようだった。

 チェコは、ブリュックナー監督の采配が後手に回った印象は否めない。まず後半、自陣に引いてカウンターという攻撃にシフトしたのなら、なぜ、後半の最初からコラーを投入しなかったのか。しかも、コラーが投入された時にベンチに下がったのは、この日攻守に奮闘していたガラセクだったのだ。一番コラーと相性の良いゲームメーカーを下げた采配にも疑問符はつく。
 ポルトガルは相手のミスにも助けられたのだ。特に“何もできなかった”ミラン・バロシュの1トップだったことで、本当に助かったに違いない。もうバロシュには4年前のユーロで魅せたスピードも、輝きもすっかり色あせてしまっていたのだから。

 結果的に12年前の借りを返すこととなったポルトガルは、準々決勝進出一番乗りを果たした。ポルトガル国内リーグのネーミングライツを持っているオーストリアのブックメーカー「BWIN」によると、ポルトガルの今大会での優勝オッズはドイツの4.55倍に次いで、6倍と2番目に低いそうだ。4年前の自国開催でのリベンジ、ひょっとするとひょっとするかもしれない。

<了>

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著者プロフィール

1972年生まれ、三重県出身。ポルトガルの首都リスボン在住。2004年から約4年間ポルトガルに滞在し、ポルトガルサッカー情報を日本に発信。その後、日本に帰国して約2年半、故郷の四日市市でポルトガル語の通訳として公務員生活を送るものの、“第二の祖国”、ポルトガルへの思慕強く、2011年3月よりポルトガルでサッカージャーナリスト活動を再開した。ブログ「ポルトガル“F”の魂」にて現地での取材観戦記なども発信中である。ポルトガルスポーツジャーナリスト協会(CNID)会員、国際スポーツプレス協会(AIPS)会員

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