井上康生が引退会見「柔道人生に悔いなしです」=柔道

長谷川亮

会見での一問一答

井上康生(右)とともに会見に出席した山下泰裕氏 【スポーツナビ】

井上  本日をもって第一線を退く決意を致しましたので、報告させて頂きます。5歳から柔道を始めて25年、柔道に全ての情熱を捧げてきました。我が柔道人生に悔いなしという気持ちです。柔道家として井上康生としてみなさんに愛され、友人、家族、ファンの皆さんに支えられて幸せ者だったと思います。
 今後は3つのことをやりたいと思っています。1つはこれまで同様、みなさんに愛される井上康生であり続けること。2つ目は今年1月に結婚した妻、これから増えていけば嬉しいのですが、家族を幸せにすること。3つ目は井上康生があるのは柔道のお陰だと思うので、柔道に恩返しをして、社会に貢献できる人間になっていきたい。この3つを大きな目標としています。

――引退を決意したのはいつだったのですか?

井上  去年から今年を最後にすると決めていましたし、大きな目標にしていた北京五輪の最終選考で敗れてしまったので、柔道人生に悔いはなかったし、潔くここで辞めようと決めました。

――指導はどこでされていくのですか?

井上 これからいろいろ勉強したり、指導者になるためのものを身につけ、日々成長していきたいと思います。高校時代から15年間お世話になった東海大学で指導をしていきたい。大学卒業後、綜合警備(保障)にもお世話になり柔道部も強化しているので、その面でもお助けできたら。将来的には、日本の柔道がどのようにしたら強くなるかも考えていきたい。

――25年間を振り返っていかがですか?

井上 父に憧れて柔道を始めて、精一杯、柔道に全てを懸けて生きてきました。長いようでアッという間だったような気もします。アテネ五輪が終わってからの4年間はいろいろ苦労や辛いことがありましたが、4月29日の大会であれだけの声援を頂き、目標とし憧れていた柔道が完成されたように思いました。柔道人生に悔いはないですし、今後も輝けるようになっていきたい。

――お父さんの反応と心に残っている試合は?

井上 ずっと父とやってきたので、父自身も最後というのを感じることができていたようです。「25年間よく頑張った。息子としてよくやってくれた。ありがとう」と伝えてくれました。
 心に残っている試合は何個かありまして、全日本(選手権)で初優勝した時、決勝で篠原さんと試合。前年に母を亡くして世界(選手権)で初めて優勝した時。オリンピックで優勝した時。3つが大きなものとして残っています。

――結果の出ないなかで井上さんの一本を取りにいく柔道ではなく、負けない柔道にしようと思ったことはありませんでしたか?

井上 勝負の世界であり勝たなければいけないので、迷った時もありました。でも、最終的に自分の柔道は攻めて一本を取る柔道なんだと思い、最後までそれを貫きました。4月29日の大会でも、それを最後まで貫き通したのがよかったと思っています。

――どんな指導者になっていきたいですか? 山下先生からもどんな指導者になってほしいかお願いします。

井上 これから指導の道に入っていくので、まだまだ分からないことがあるし、いろいろ勉強していくことがたくさんあると思っていますが、指導者としても人間的にも山下先生を目標に、現役の時のように、一歩でも近づいていきたい。

山下 (理想像は)パッとは浮かびませんが、今年末か来年初めから2年間、柔道の指導と語学研修に海外へ研修に行きます。日本柔道を担う指導者に、国際感覚を持ち、世界に通用する、世界的視野を持った指導者になってほしい。非常に優しく、純粋な心を持っているので、指導者になっても大事にしていってほしい。

井上「生涯柔道に恩返ししていきたい」

「妻を旅行に連れて行ってのんびりしたい」とも語った井上 【スポーツナビ】

――不調な時期に心がくじけてしまいそうになったことはありませんでしたか?

井上 自分自身も“もうあきらめてもいいんじゃないか”という思いがよぎったこともありました。でもそうしてしまったら何が残るんだろうなと思いましたし、勝つことだけでなく負けることも大事にしてきたし、信念を全て捨ててしまうのはどうなのかと思い、迷いながらやってきました。でも、いろいろな人たちに支えられ、いい試合をしてないにも関わらず大きな声援を頂いて支えてくれて、最後の最後まであきらめずにやらせてもらい、幸せな柔道人生を送らせてもらったと思います。

――代表になった石井選手についてお願いします。

井上 彼がすごいのは柔道へのひたむきさ。“努力”という言葉に収まらないすごいものを持っている。世界一の心を持っているのでは。勝ちたいという執着心を持ってやっているので、それを持ち続けてやっていれば夢はかなってくれるのではと思います。北京でも金を目指して頑張ってほしい。

――これからやってみたいことは?

井上 これまでは柔道でゆっくりできなかったので、まずはゆっくりしたいです。1月に結婚をしましたので、妻を旅行に連れて行ってのんびりしたいです(笑)。

――最後の試合が終わった時に頭をよぎったことは?

井上 その時は「終わったな」と思い真っ白になりましたけど、悔いはなかったので、いろんな方々や柔道に対して「ありがとうございました」と深々と礼をして畳を下りました。

――亡くなられたお母さんやお兄さんにはなんと報告しましたか。また地元・宮崎の人たちに一言お願いします。

井上 母と兄は本当に自分を支えてくれて、目に見えない力で自分の成長を支えてくれました。「本当にありがとうございました」と伝えたら、「ご苦労さん」という言葉が僕には聞こえました。宮崎には中学までしかいなかったのに、応援してくれて本当に感謝しています。支えがなかったら勝っていくことはできなかったし、本当に感謝しています。

――手術した右肩の影響はあったのですか?

井上 手術した後は弱音はできるだけ吐きたくなかったので否定していましたけど、全てが肩のせいではないですが、うまく試合を運べなかった時期がありました。十分にトップを目指していける状況を整えて頂いたり、痛みもありましたが、いろんな方に相談に乗って頂いたり感謝しています。支援がなかったらやっていくことはできませんでした。

――山下先生から見た柔道家・井上康生は?

山下 一つの時代が終わったという感じ。偉大な柔道家であったのはもちろん、技が芸術的に美しかった。あれだけの美しい技を見せてくれる選手は出てこないのでは。お父さんと作り上げた芸術品だと思う。人間的にも我を張ったりすることがなく、“人間って素晴らしいな”と思うことが度々あった。柔道に打ち込んできた姿勢を忘れずにいてほしい。アテネの前までは活躍が華々しかったが、お母さんやお兄さんの死、ケガの挫折から逃げず立ち上がった経験を指導者として生かしてほしい。

――柔道家人生の中で何か決めていた信念はありますか?

井上 柔道が好きだ、柔道を愛しているという気持ちはこれからも貫いていきたいと思います。それだけですかね(笑)。

山下 本人は自分からは言いませんが、柔道家である前に一人間であるということをすごく大事にしていたんじゃないかと思います。チャンピオンだから特別扱いされて当たり前だ、というような考えに違和感を抱いていた選手だと思う。

井上 ありがとうございます。

――指導者としてのゴールは?

井上 まだ指導者の領域に踏み入ってないので、ゴールは全く見えてないですが、これから見えてくるだろうと思います。ただ、生涯柔道に恩返ししていきたいと思っています。一緒に人生を歩んでいくという気持ちを忘れずに最後までいたい。どんな選手を育てたいかについては、強さはもちろん人間的にも素晴らしい、みなさんから愛される選手を育てていきたい。自分自身が幸せな柔道人生を送れたので、みんなにもそういう人生を送ってもらいたい。いい指導者になって第2の人生も輝くものにしていきたい。

――金メダリストは何人くらい育てたい?

井上 (指導する)全ての選手に金メダルを取らせてあげたい。何人の選手に取らせる、ということは分かりませんが、1人でも多くの選手が取れるよう、そういう情熱を注いでいきたい。1人でも2人でも100人でも(金メダリストを)作っていきたいです。

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著者プロフィール

1977年、東京都出身。「ゴング格闘技」編集部を経て2005年よりフリーのライターに。格闘技を中心に取材を行い、同年よりスポーツナビにも執筆を開始。そのほか映画関連やコラムの執筆、ドキュメンタリー映画『琉球シネマパラダイス』(2017)『沖縄工芸パラダイス』(2019)の監督も。

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