優勝祝いは、町とともに=中田徹の「オランダ通信」
生活道路が、祝賀の大広場へと変身
コールシンゲルは、KNVBカップ優勝を祝うフェイエノールダーで埋め尽くされた 【(C)中田徹】
フェイエノールトは伝統的に、タイトルを獲得するとテクニカル・スタッフと選手がロッテルダム市庁舎のバルコニーからトロフィーを掲げ、コールシンゲルに集まった数万人のファンと喜びを分かち合う。故に、このお祝いを単に“コールシンゲル”と呼ぶ。
バルコニーから撮った過去のコールシンゲル(例えば1999年オランダリーグで優勝したとき)の写真を見ると、とてつもない数のサポーターがびっしりと通りを埋めている。そのコールシンゲルはまるでパリのコンコルド広場のような大きさに見える。平凡な大きさの生活道路コールシンゲルは、フェイエノールトが優勝すると大広場へと変身を遂げるのだ。
2002年、UEFAカップでフェイエノールトは地元ロッテルダムで決勝戦を戦い、優勝を果たした。しかし決勝戦のわずか数日前、フェイエノールトの理解者としても知られたピム・フォルタウンという右派政治家が暗殺された影響から、コールシンゲルは実施されなかった。このため僕自身、10年近くオランダに住んでいてもコールシンゲルを経験することはなかったのだが、今季フェイエノールトはKNVB(オランダサッカー協会)カップを獲得したため、ようやく初めてコールシンゲルを実体験できることになった。KNVBカップ決勝戦翌日の4月28日のことである。
市庁舎の鐘が鳴り、クラブを愛する歌が響く
ロッテルダム・セントラムは柵によって立ち入り禁止に。店も完全に閉まった。商店街は売上よりも、被害額を少なくする策を選んだ 【(C)中田徹】
チームのバルコニー登場は12時半から。僕は11時45分ごろ現場に着いたが、この時はまだ前方の場所を確保できて、大体バルコニーから100メートル余の好ポジションだった。しかし続々とサポーターがやってきて、あっという間に僕の後ろは人の頭しか見えなくなった。男女比は7:3。成人とティーン・エージャー比は8:2ぐらいだろうか。平日の昼間、暇を作りやすい10代の若者たちより、年季の入ったサポーターが集まった雰囲気だ。
12時、市庁舎の鐘が鳴り、フェイエノールトの応援ソングがどんどんハードになっていく。歌に浸り、喜びをかみしめるロッテルダムっ子を見渡すと、自分があの写真の中の蟻の一匹になったのを感じ、「ああ、コールシンゲルというのはこうやって大広場になっていくんだなあ」と実感した。
12時10分、かつてのフェイエノールトのストライカー、そして現在はスタジアム・アナウンサーのハウトマンがMCとして登場し大歓声。15分には『ユール・ネバー・ウォーク・アローン』で知られ、フェイエノールト御用達歌手とも呼べるリー・タワーが熱唱を始め、雰囲気はどんどん盛り上がっていった。そして12時半。短い鐘の音の後、ファン・マルワイク監督とファン・ブロンクホルスト主将がKNVBカップを持ってバルコニーに。選手もそれに続いて辺り一帯はスモークで覆われた。『マイン・フェイエノールト』、『ハンド・イン・ハンド・カメラーデン』など多くの応援ソングに合わせ、KNVBカップはサーフィンの波乗りのように選手から選手へ渡った。デ・クレアーがおどけるようにバルコニーからKNVBカップをファンに見せびらかし、12月にホームシックで一度韓国へ帰ったイ・チョンスもチームになじんだ様子でトロフィーを一番長く掲げ続けた。
サポーターの歌は時に途切れ、拍手に変わり、そしてまた歌へと戻る。4万人の中に身を任せると、周囲のサポーターの歌はだいぶ音程が外れている。身の周りの連中はこんな音痴な歌なのに、少し離れたところから聞くとなぜ胸に響くのだろう……。