新たなスキャンダルとドナドーニの試練 ホンマヨシカの「セリエA・未来派宣言」

ホンマヨシカ

ユーロ予選のスタートにつまずいたイタリア代表だったが、10月の2連戦は共に勝利を収めた 【Photo:FAR EAST PRESS/AFLO】

 ワールドカップ(W杯)優勝後、ドナドーニを新監督に迎えてユーロ2008(欧州選手権)予選試合に挑んだイタリア代表だが、最初の2試合(リトアニア戦とフランス戦)で1敗1分けとつまずき、早くも崖っぷちに立たされてしまった。しかし10月7日にホームで行われたウクライナ戦と、11日のアウエーでのグルジア戦に2連勝し、この2試合の結果如何によっては解任の危機に晒されていたドナドーニ監督も、胸をなで下ろしたといったところだ。
 今回のコラムはドナドーニのイタリア代表について書くつもりだが、その前に新たに発覚したインテルが絡んだスキャンダル「盗聴疑惑」を取り上げなければならない。
このスキャンダルが発覚した経緯は以下のとおりである。

インテルにもスキャンダル発覚

 テレコム(イタリアの旧国営通信)が引き起こした何人かの政治家に対する盗聴事件で、テレコムのセキュリティー責任者だったジュリアーノ・タバローリが逮捕された。このタバローリが警察の取り調べで、「インテルからの依頼で、審判員のマッシモ・デ・サンティスの電話を盗聴した」と自供し、自供内容をタバローリの弁護士がマスコミに語ったことから、新たなサッカースキャンダルが明るみに出た。インテルはタバローリに依頼した電話の盗聴だけではなく、同時に探偵事務所を使ってデ・サンティスの近辺を調べさせていた。

 そもそもインテルがこのようなプライバシーの侵害というアンフェアな行為を取るに到った原因は、デ・サンティスとユーベの役員だったモッジの不可解な関係に疑いを持った元審判員のダニッロ・ヌチーニが、2002年の暮れにインテルの球団事務所を訪ね、情報を伝えたことによる。ヌチーニと会った当時インテル副会長の故ジャチント・ファケッティは、知っている情報を直ちに警察に訴えるようにヌチーニに進言した。
 ファケッティがヌチーニに対して、イタリアサッカー協会ではなく、警察に訴えるように進言したことは非常に興味深い。しかし何に対して恐れたのか、ヌチーニが警察に訴えなかったためにインテルが独自で動いた。

 インテルの副会長でもあり、経済的に支援するピレッリ(イタリア有数のタイヤメーカー)のオーナーであるマルコ・トロンケッティ・プロベーラは、当時テレコムのオーナーでもあった。そこから電話による盗聴に到る経緯は説明が要らないだろう。
 インテルはデ・サンティスの妻の口座まで調べて、不可解なお金の動きがなかったかどうかを調べたらしいが、結局この調査からは不正な事実はつかめなかった。

 デ・サンティス以外にもルチアーノ・モッジや、サッカー協会会長だったフランコ・カッラーロだけではなく、驚くべきことに当時インテルのスター選手だったクリスティアン・ビエリまで盗聴されていた。ビエリに対する盗聴についてだが、当時スポンサーであるピレッリのイメージキャラクターとして契約の話が持ち上がっていたビエリには、マイナスのイメージを与えるような不可解な取り巻きがいるとのうわさがあったために盗聴したとのことらしい。しかし、これらの行為はインテル、特にマッシモ・モラッティに対して、インテルファンのみならず多くの人たちが抱いていたクリーンなイメージを傷つけることとなった。

 今回のスキャンダルで、インテルがどのような制裁を受けるのかについては、今のところ想像ができない。なぜなら、(1)昨シーズン終了間際に噴出した審判買収スキャンダルのような試合に関する不正行為ではなく、個人に対するプライバシー侵害という不正行為だということ。(2)事件から3年以上経過しているため、サッカー協会の規則(クラブに対しては3年以内、個人に対しては6年以内に起こった事件に対してのみ処罰)を照らし合わせると、マッシモ・モラッティだけが処罰の対象となること。
 これからどのような展開になるかも分からないが、現時点で言えることは、すべてのインテリスタにとって非常に後味の悪い苦々しいスキャンダルだということだ。
 さて、それでは話題をイタリア代表に移そう。

明らかに失敗した3トップ

 イタリア代表はローマで行われたホームでのウクライナ戦(2−0)と、トビリシで行われたアウエーのグルジア戦(3−1)に2連勝した。4試合を消化して勝ち点は7ポイントとなり、何とか2ポイント差で先頭を行く2チーム(フランスとスコットランド)を射程距離にとらえることができた。

 しかしこの2試合の試合内容は、決して合格点を与えられる内容ではなかった。これはドナドーニの選手起用のつたなさもあるが、W杯で活躍した中心選手のコンディションの悪さが響いていると言えるだろう。
 ホームのウクライナ戦ではシェフチェンコを欠いたウクライナに押し込まれ、ブッフォンのファインセーブがなかったら、確実に違った結果になっていた。

 イタリアはトーニをセンターFWに置いて、右サイドにイアキンタ、左サイドにデルピエロを配した攻撃的な布陣で挑んだのだが、これが全く機能しなかった。
 イアキンタとデルピエロの役割は、状況によって中盤のサイドも担当しなければならない重要かつデリケートなものだが、所属クラブではイアキンタがセンターFW、デルピエロがトレゼゲと組む2トップという具合に、2人ともこのポジションではプレーしていない。
 既に明確なシステムが崩れてしまっている試合途中からの起用なら、イアキンタのスピードやデルピエロのトリッキーなフェイントなどサイドからの攻撃が効を奏する場合があるが、スタートからこの役割を与えたのは、明らかにドナドーニの判断ミスだった。特に運動量の落ちているデルピエロにとっては酷だったと言える。

 イタリアの攻撃が良くなったのは、後半17分にデルピエロに代わってディナターレが入ってからだった。これで左サイドからの攻撃が増した。イタリアが先制したのは後半26分、右サイドからのオッドのクロスに合わせようとしたトーニが、ペナルティーエリア内で倒されてPKを得て、このPKをラツィオでキッカーを務めるオッドが冷静に決めた。
 追加点は速攻から生まれた。後半34分に左サイドからのディナターレの30メートルの正確なクロスを受けたトーニが左足シュートを決め、勝利を決定付けた。

 しかし最初に書いたように、何人かの中心選手のコンディションは最悪だった。ザンブロッタは効果的な攻め上がりができなかったし、ディフェンス面でも不安を残した。ザンブロッタほどではないが、カンナバーロのコンディションもW杯のころに比べると、トップには程遠い。
 この試合で合格点を与えられたのはブッフォン、オッド、トーニ、ディナターレ、マテラッツィの5選手だけだった。

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著者プロフィール

1953年奈良県生まれ。74年に美術勉強のためにイタリアに渡る。現地の美術学校卒業後、ファッション・イラストレーターを経て、フリーの造形作家として活動。サッカーの魅力に憑(つ)かれて44年。そもそも留学の動機は、本場のサッカーを生で観戦するためであった。現在『欧州サッカー批評』(双葉社)にイラスト&コラムを連載中

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