【ボクシング】“爆弾”を抱えた井上尚弥が見せた執念のKO劇 悲願ロマゴン戦へ「拳の不安」と「減量」との戦い

船橋真二郎

古傷・右拳に加え腰痛発症のアクシデント

古傷・右拳と腰痛に苦しみながらも意地でKO防衛を果たしたWBO世界スーパーフライ級王者の井上尚弥 【写真は共同】

「勝って、毎回なんでこんなにヘコんでんだろうって、思いますね」
 終始、うつむき加減で応じていた試合後の会見が終わりに差しかかった頃、WBO世界スーパーフライ級王者の井上尚弥(大橋)はポツリとそんな言葉を口にした。
 4日、地元のスカイアリーナ座間で迎えた3度目の防衛戦。挑戦者1位のペッチバンボーン・ゴーキャットジム(タイ)を10ラウンド3分3秒KOで下した井上は、試合会場の四方に向かって神妙な面持ちで礼、リング上でのインタビュー、表彰、そして、いったん控え室に戻り、着替えを済ませてから時間を置いて行われた会見でも、笑顔はなかった。

「本人は言うのを嫌がってるんだけど……」と前置きした上で大橋秀行会長が試合の2、3週間前に腰を痛め、仕上げの段階のスパーリングができなかったことを明かした。試合中には懸案になっている右の拳を痛めたことも。井上も「試合する以上、自分としては言い訳になっちゃうんで、今日の出来がすべてだったということ」と、リング上でも発したコメントを繰り返した上で「拳は痛めたと言っても打てない状態じゃない。腰のほうが重症だった」とようやく重たい口を開いた。

どんな状況でも「ずっと、倒すことは意識していた」

痛めた右拳をかばいながらも最後は右ストレートで倒して見せた 【写真は共同】

 試合前から「7割、8割の力で打って、ここぞというときに爆発させる」と話していたように、3ラウンドまでは前回のダビド・カルモナ(メキシコ)戦でも痛めた拳への配慮と感じていた。いつも以上に左ジャブを多用し、強めのパンチは拳への衝撃が少ないボディを中心に使う。が、左構えにスイッチした4ラウンド辺りから、右は目に見えて少なくなり、打っても7割、8割の力感もない。自ら頭をぶつけて、くっついたり、ガードを固めて、その上を打たせたりして接近戦に持ち込み、左フック、左ボディを打ち込む。あるいは、徹底した左ジャブとステップワークでかわす。あの手この手と引き出しを開けるのは同じでも、実際はパンチを打つ一連の動作のなかで「腰がひねれない状態」(井上)だったのだから、できることはより限定され、フラストレーションは両拳を痛めたカルモナ戦以上だったに違いない。

 5ラウンドには不用意な被弾からローブローを1発、2発と打たれ、険しい表情でレフェリーにアピールし、直後にムキになったように左右を連打した。8ラウンドにはガードを下げた状態で緩慢にステップしたところを左フックで狙われた。集中を欠いた場面が散見されたことも、腰を痛めていた影響だろうか。9ラウンドには足でさばき、終了間際にはロープ際に詰まりかけながら、ペッチバンボーンのフックをダッキングでことごとくかわして会場を沸かせたが、躍動感は普段と比べるべくもない。

 ジャッジの2者がフルマークの90対81、残る1者が88対83で迎えた10ラウンド。どんな状況下にあっても「ずっと、倒すことは意識していた」という井上が決着をつける。ペッチバンボーンが前に出てきたところに細かい連打で応戦。パンチの一つひとつは腰が入っていない手打ちでも、ダメージが蓄積されているところに断続的にもらい続けてはたまらない。鼻血を流し、ずるずる後退するペッチバンボーンに強度を上げた右ストレートを叩き込み、動きを止めたとみるや、すかさず右ストレートをフォロー。崩れ落ちた挑戦者は何とか立ち上がったが、後ろを向いたままファイティングポーズは取れず、テンカウントが数えられた。カルモナ戦は最終ラウンドに倒しにいき、ダウンを奪っての大差判定勝ちだったが、今回は意地で倒しきってみせた。

「良い経験」では満たされない井上のプライド

【写真は共同】

「試合前のミット打ちを見ても、1ラウンドを見ても、いつもの尚弥のパンチじゃなかったので、判定勝ちで十分と思っていたところで倒しにいき、完全にテンカウントを聞かせたプロ根性はすごい」と舌を巻いた大橋会長は「5月は(カルモナ戦は)練習のときからあまりに調子が良すぎて、パンチに力が入りすぎ、1ラウンドで拳を痛めた。今回は腰を痛めながら。この2試合は今後に向けて、すごく良い経験になった」と評価した。

 ゲスト解説者として、リングサイドで見守っていた村田諒太(帝拳)は「いちばんの武器はガード越しでも効かせられるパンチ。それが打てなくなって、彼自身も悩んでいると思う」とアマチュア時代の日本代表チームの同僚を慮りながら「でも、それでも最後に倒すんだから、やっぱり、尚弥だなと思いましたし、コンディションが悪くても、よっぽどの実力差、地力の違いがないとできないボクシングが(世界戦のリングで)できる。だからこそ、あらためて、井上尚弥の凄さが証明されたのではないか」と称えた。

 2人の言葉にはうなずくほかないのだが、2戦続けて、ハンデという前提のなかでの良い経験、引き出しの多さ、幅の広さの証明という評価ではプライドが許さないのだろう。井上の表情には悔しさばかりがにじんだ。どんな状態でも、隙を見せずに勝つことが井上の絶対のテーマ。調整の良し悪しについて、常にスパーリングでどれだけ隙をつくらなかったか、で判断している父の真吾トレーナーの姿が、試合後のリング上にも、会見にも、プロ11戦目にして、初めてなかったことが、井上が受け入れる評価のすべてなのだろう。この親子が追求しているものは、とてつもなく大きい。

ロマゴン戦、統一戦…スーパーファイトへ始動

3度目の防衛に成功した井上の視線の先にあるのはロマゴン戦か統一戦か 【写真は共同】

 今後について、大橋会長は全階級を通じて現役最強の呼び声高い45戦全勝38KOの3階級制覇王者、ローマン・ゴンサレス(ニカラグア)との将来の対戦を見据え、9月10日(日本時間11日)に米・ロサンゼルスで行われるWBC世界スーパーフライ級タイトルマッチに井上を伴い、視察する。やはり無敗の王者カルロス・クアドラス(メキシコ)にロマゴンが勝利し、いよいよ井上と同じ階級の世界王者になれば、交渉を開始する予定。
 一方で8月31日に河野公平(ワタナベ)からWBA世界スーパーフライ級王座を奪ったルイス・コンセプシオン(パナマ)に統一戦を打診していることを明かし、この年末にも実現したいとした。これも世界王者としての“格”を高め、対戦を実現するための攻めのマッチメークだろう。舞台をラスベガスに定めるなら、いずれは米国での顔見せも必要になってくる。そうなると、気になってくるのが井上のコンディションだ。

 今後も拳の不安がつきまとうことは宿命になりそうだが、それ以上に心配なのが減量である。腰を痛めた原因について、大橋会長は疲労としたが、時期的に考えても、減量の影響の影がちらつく。杞憂であればいいのだが、公開練習や計量時の頬のこけ方を見ても、ここ最近の肌つやの良さとは印象が違った。
 2014年暮れに一気に2階級上げ、オマール・ナルバエス(アルゼンチン)から圧巻の2ラウンドKOでスーパーフライ級王座を奪取したのと引き換えに右拳を負傷。手術を経て、1年のブランクの後に再び2ラウンドKOで初防衛に成功したが、そのブランクの間、食べて、しっかりとトレーニングを積めたことで、いずれにしても、まだ若い肉体が急激に成長し、この4月で23歳になった現在も成長し続けていることは間違いない。日本ボクシング史上、類を見ないようなスーパーファイトを実現するために残されている時間は、思ったより少ないのかもしれない。
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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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