スケートリンクを運営する難しさとは 日本フィギュアを陰で支える人々の願い

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スケートリンクを取り巻く状況

 荒川静香が初の金メダルを獲得した2006年のトリノ五輪を境に、日本フィギュアスケート界は全盛期を迎えた。浅田真央(中京大)や高橋大輔といったスター選手が世界の舞台で活躍。2014年のソチ五輪では羽生結弦(ANA)が男子選手としては初の金メダルを日本にもたらした。

 しかし、多くの有力選手を擁するまでになった日本にも冬の時代があった。特に1990年代は全国にあるスケートリンクが相次いで閉鎖。行き場を失った選手たちの中には競技を続けることが困難になった者もいたと聞く。理由は建物の老朽化や財政難などさまざまだが、いずれにせよ現在よりも難しい環境であったのは間違いない。

大阪府立臨海スポーツセンターが閉鎖の危機に陥ったときは、高橋(左)らが存続活動に立ち上がった 【写真は共同】

 その後、五輪の影響もありスケートブームが訪れても、リンクを取り巻く状況が厳しいことに変わりはなかった。2008年と2012年には大阪府立臨海スポーツセンターが閉鎖の危機に陥り、かつてここで練習していた高橋や町田樹ら選手たちが存続活動に立ち上がるという異例の出来事まで起こった。

 2014年7月1日時点で日本スケート連盟が把握しているリンク数は、全国で136に上る。果たしてその実情はどのようになっているのか。今年12月下旬にリニューアルオープンを控える神奈川スケートリンクを例に、リンクを運営する難しさについて迫ってみたい。

収益は自主財源でまかなう

 神奈川スケートリンクがオープンしたのは1951年2月。建物は茨城県の土浦にあった旧海軍が使用していた飛行機の格納庫をそのまま移築した。市民リンクとしてオープンした後、年間利用者数は右肩上がりで増え続け、高度経済成長期の1962年度には90万人を突破してピークを迎える。その後は徐々に利用者が減り、2000年度には7万人台にまで下がったものの、浅田らの登場でブームが再来し、2011年度は20万人ほどまでに回復した。ここはソチ五輪で金メダルを獲得した羽生が、東日本大震災後に一時的に身を寄せていたリンクとしても有名だ。現在は昨年の全日本ノービス選手権で優勝した青木祐奈(神奈川FSC)が練習している。

1951年にオープンした神奈川スケートリンクは、施設の老朽化が著しく、現在リニューアル工事中だ 【写真提供:神奈川スケートリンク】

 現存する屋内施設では最古となる神奈川スケートリンクがリニューアルすることになったのは2013年の初旬。60年以上営業していたこともあり、施設の老朽化が著しく、利用者の安全面を考慮したというのがその理由である。工事が始まり、2014年10月19日からは旧横浜総合高等学校跡地にある体育館に氷を張って、仮設のリンクとして営業している。

 神奈川スケートリンクを運営するのは公益財団法人横浜市体育協会。収益は自主財源によりまかなっている。行政からの補助金もなく、独立会計で成り立っている。

神奈川スケートリンクは現在、高校跡地にある体育館に氷を張って、仮設のリンクとして営業している 【スポーツナビ】

 では主な収益源と運営にかかる費用の内訳はどうなっているのか。神奈川スケートリンクの管理課長を務める南部信治はこう説明する。

「主な収益についてはやはり一般営業におけるお客様の利用料、それからスケート教室事業がほとんどを占めます。また当然収入があれば支出もあります。まずは施設をメンテナンスするための維持費。施設の中で言うとそれこそ氷を維持するための電気代であったり、水道代ですね。またもちろんスタッフもおりますので、人件費もかかる。こういったものが支出となります」

 南部によると新施設の維持費は年間で億単位になるという。こうした支出をまかなうためには月に延べ2万人以上の利用者が必要で、運営側には努力が求められている。

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