23年ぶり日本新へ、29歳で挑む世界陸上 走幅跳・菅井を成長させた“継続の力”
ようやくつかんだ初の世界切符
第一線で活躍してきた男子走り幅跳びの菅井洋平が、30歳を目前に初の世界選手権に臨む 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】
自らを「テンションで跳ぶタイプではない。ある程度自分の持っているものをしっかりと発揮できるように、ピークを合わせていく方」と称する、マイペースで職人気質の選手だ。社会人1年目の08年に日本選手権を初制覇してから7年。第一線を走り続けながらも、国際大会の標準記録が切れず、なかなか世界の舞台に立つことができなかったが、積み重ねてきた努力が今季、実を結びつつある。
「ずっと標準記録が自分の中では“壁”だったので、それが破れたことはすごく大きかったです。記録がしっかり出て、『やってきたことは間違っていなかったんだな』と。うれしかったですね」
大学でレベルの差を痛感
社会人になった今も、順天堂大の越川一紀コーチ(左)から指導を受けている 【スポーツナビ】
菅井の生き様は、まるでこの言葉を体現しているかのようだ。
陸上を始めたのは中学1年の時。小学校までは野球をやっていたが、「個人競技の方が自分に向いているかなと思って」と、迷わず陸上部を選んだ。そのころから、短距離と走り幅跳びに平行して取り組み、太田工高時代には、全国高校総体(インターハイ)で2年生6位、3年生4位と2年連続で入賞を果たした。
大学は名門・順天堂大に進学し、走り幅跳び1本に絞って本格的に競技に取り組み始めた。しかし、最初の2年間は結果が出ず、歯がゆい日々だった。
「高校と大学ではレベルが全然違いました。大学1、2年で記録が低迷し、全く勝負できない時期でした。僕の競技人生の中で一番つらかった。それなりに結果がついてきた中学・高校時代があったので、結果が出なかったその2年間は少し長かったですね」
記録が伸び悩んだ時も、コツコツと練習を積んで成長を続けてきた 【スポーツナビ】
しかし、菅井には愚直に努力を続けられる才能があった。苦しくても「ただただ、出された練習をひたすらやるだけ」と、地道にトレーニングに打ち込んだ。その努力が成果として出始めたのは大学3年に入ってから。跳躍技術が少しずつ安定し始め、7メートル72を跳び、高校3年以来となる自己ベストをマーク。何か新しいことをしたわけではなく、「(今までの練習を)継続していて、だんだん自分のものにできるようになってきた」結果だった。