中村俊輔、いまだ衰えぬ進化への意欲=幾多の挫折を乗り越え、2度目のMVPに

元川悦子

徹底したプロ意識と地道な努力

2度目のMVP受賞はJリーグでは史上初。35歳だが、いまだ進化への意欲は失っていない 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

「疲れた」という言葉を何度か繰り返して等々力競技場を後にしてから3日が経った12月10日夜。俊輔は横浜アリーナの壇上に立った。今回は脇役ではなく、主役としてだ。横浜FMはJリーグ王者にはなれなかったものの、彼自身は00年に続く2度目のMVPを受賞。13年シーズン通しての頭抜けたパフォーマンスが高く評価されたのだ。

 1993年のJリーグ発足以降、MVPを2度獲得した選手は皆無。俊輔は新たな歴史に刻んだ。35歳での受賞も最年長だ。22歳だった13年前はまだ若く、発言や立ち振る舞いも子供っぽさを残していたが、この日の彼は間違いなく大人のフットボーラーだった。多くの仲間や関係者に感謝の意を述べ、盟友・中澤佑二をMVPに推薦する気配りを見せ、天国の松田直樹にお礼を言うほどの懐の深さも示してくれたからだ。

「俊さんが頑張っているからすごく刺激を受ける」と30代に差し掛かった佐藤寿人や松井大輔(レヒア・グダンスク)ら後輩たち、そして若い世代も大いなるリスペクトを持って俊輔を見つめている。この年齢で33試合・2502分出場・10得点という数字を残せたのも、若い頃からの節制の賜物だ。

「試合の後、マリノスタウンに戻ってプールに入って、ストレッチして、チャリンコをこいで、交代浴をしているけど、それを1時間以上待っているトレーナーの方々もいる。そういう環境に本当に感謝します」と俊輔は話したが、そこまで自己管理に徹することができる選手は多くない。かつて横浜FMで指導していた池田誠剛・現韓国代表フィジカルコーチも「セルティックの試合を見に行った時、俊輔がなかなか出てこないんで何をしているのかと思ったら、エアロバイクをこいで乳酸除去をしていた。あんなにプロ意識の高いやつは見たことがない」としみじみ語っていた。彼が進化し続けられるのも、そういう地道な努力を怠らないからだ。

「悔しい気持ちがある限り伸びる余地はある」

 メンタル面の切り替えも早くなった。

 中村俊輔という選手は幾度もの挫折を乗り越えてきた選手だが、さすがに10年W杯・南アフリカ大会でスタメン落ちした時には、サッカーをやめたくなるくらいのすさまじい失望感を抱いていた。パラグアイ戦の後も「俺は胸なんか張って日本に帰れない。縮こまって帰るよ」と伏し目がちに語り、代表引退を決めたほどだ。それでも「この経験は指導者になって生かされるのでは?」と聞かれて「その前に選手があるから、生かさないといけない」と横浜FMでの再起を固く心に誓った。彼に苦行を課した岡田武史前監督も「俊輔はサッカー小僧だからサッカーから離れられない」と言っていたが、俊輔は確かにこの3年間で自分自身のサッカーを懸命にに追求し、進化した姿を見せてくれた。

「成長したっていうのは、MVPじゃあんまり言えないけど、『悔しい』っていう気持ちが自分の中にある限りは年齢関係なく伸びる余地はある。周りの選手とかみ合い方によって化けるというのはいい体験談になる。それはうれしいことですね」と、南アフリカでの大きな挫折を乗り越えたたくましさをのぞかせた。

 そして目はもう次へ向いている。今季優勝を逃した悔しさを糧に、ここからもう1段階上へ飛躍したいと意欲を高めている。

「正直、今季はアシストが少なかった。アシストも増やしつつ、得点も15点くらいいくと、本当のトップ下っていう感じになる。自分は二兎も三兎も追いたいし、チームが負けて自分が点取っても満足できないからね。それに優勝という経験を若い選手にさせてやりたい。自分も長くサッカーをやってきて、横浜FMがJ2に落ちそうになった01年とか、南アフリカのW杯とか、厳しい時に1つになって何かをつかむ瞬間ってサッカー人生で本当に数回しかない。それは大きな財産になる。それを味わえるようにしたいですね」と前向きにコメントしていた。

 どんな時も向上心を忘れない中村俊輔というアスリートは、体が動かなくなるまで、とことんサッカーを追い続けていくだろう。その執着心と貪欲さは見ていてすがすがしい。今季もまだ天皇杯が残っているし、来季は自身初のアジアチャンピオンズリーグ参戦も待っている。尊敬する三浦知良を見習って、年齢を重ねれば重ねるほど輝きを増していってもらいたい。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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