一大危機でひとつになったレスリング界=政治的対立も乗り越えて五輪競技存続へ

布施鋼治

レスリングの五輪競技存続が決まり喜ぶ吉田(左)と伊調。この日のためにレスリング界が行った改革とは? 【写真は共同】

「自分の試合より、ハラハラしてしまいました。信じられないくらいドキドキして、レスリングと読み上げられるまでが長かったです。手汗をかいていて、その瞬間は飛び上がりました」
 五輪競技としての存続が決まった瞬間、世界選手権(16日〜22日、ブダペスト)を目前に控え、味の素ナショナルトレーニングセンターで合宿中だったロンドン五輪金メダリストの伊調馨(ALSOK)は、一緒に居合わせた同じロンドンの金メダリストである吉田沙保里(ALSOK)や米満達弘(自衛隊)とともに喜びを分かち合った。

会長交代で取り掛かった大改革

 国際オリンピック委員会(IOC)は8日(現地時間)、アルゼンチンのブエノスアイレスで開催中の総会で、東京での開催が決まった2020年夏季五輪で実施する最後の1競技をレスリングと発表した。
 最終プレゼンテーションに残ったのは、レスリング、野球・ソフトボール、そしてスカッシュの3競技。IOC委員95人による1回目の無記名投票でレスリングは過半数の49票を獲得して、野球・ソフトボール(24票)、スカッシュ(22票)を大きく引き離して存続を決めた。この決定に伴い、レスリングは24年の夏季五輪でも五輪競技として採用される。

 会見場で日本レスリング協会の高田裕司専務理事は記者団に深々と頭を下げた。
「生き残るために、レスリングはいろいろな努力をしてきた」
 その言葉に偽りはない。今年2月のIOC理事会でレスリングは除外の危機に陥ったが、その後の迅速な対応や思い切った改革には目を見張るものがあった。その直後、IOCからのアドバイスを無視し続けた国際レスリング連盟(FILA)のラファエル・マルティネッティ会長が退任。語学に堪能で外交手腕に長けたネナド・ラロビッチ氏が代行となり、5月には正式な会長に就任した。
 ラロビッチ会長はレスリングの非を認めたうえで、大改革に取り掛かった。
「レスリングにとって、五輪から除外勧告を受けたことは必要なことだった。私たちは聞く耳を持たず、盲目だった。その結果がこれだ。私たちは私たち以外の誰も非難しない」

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著者プロフィール

1963年7月25日、札幌市出身。得意分野は格闘技。中でもアマチュアレスリング、ムエタイ(キックボクシング)、MMAへの造詣が深い。取材対象に対してはヒット・アンド・アウェイを繰り返す手法で、学生時代から執筆活動を続けている。Numberでは'90年代半ばからSCORE CARDを連載中。2008年7月に上梓した「吉田沙保里 119連勝の方程式」(新潮社)でミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞。他の著書に「東京12チャンネル運動部の情熱」(集英社)、「格闘技絶対王者列伝」(宝島社)などがある。

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