ヤクルト守護神・林昌勇の過去と現在=球宴ファン投票1位投手をめぐる5つの“証言”
鉄壁の守護神が快進撃の原動力
証言1.「今の林昌勇は98年のころのよう」
「とにかく直球だけで勝負してくるピッチャーだった。しかも普通の真っ直ぐではなく、ヘビのようにうねるように動いてくる。そんな球を投げるピッチャーは今まで見たことがない」
数々の難敵を相手にしてきた金東柱にしても、ほかに類を見ない投手。それが林昌勇だった。
証言2.「上下関係が厳しいチームで人一倍の負けず嫌い」
証言3.「新人なのに腕をしならせて投げる技術はチーム一」
「ただ、高校生の時からたばこは吸うし、好き放題やってたのが問題だった。でも、忍耐強い性格が抑え向きなので1軍の監督に推薦したんだよ」
クローザーを任された林昌勇は、ストレート主体の真っ向勝負で韓国の打者たちを手玉にとる。チームの信頼を受けた林昌勇は、ロングリリーフも当たり前で98年の投球回数は133回2/3。抑え投手ながら規定投球回数を超え、防御率は1.89(リーグ2位)という成績だった。
99年には移籍したサムソンで、最多セーブと最優秀防御率を獲得。01年には先発に転向し、3年連続して13勝以上を挙げた。04年には抑えに再転向。36セーブを挙げ2度目の最優秀救援投手に輝くなど球界を代表する投手として、ゆるぎない地位を誇っていた。しかし、そのころ、登板過多の林昌勇の右ヒジに危機が訪れる。
証言4.「横から投げると痛いからだまし、だまし投げていた」
「スリークオーターなら150キロ近い球が投げられたけど、それだと持ち味の左打者のインコースにボールが行かない。三振を取りたくても取れない歯がゆさがあったね」
05年秋、林昌勇は右ヒジじん帯の接合手術を受ける。そして06年のシーズン終盤に復帰。しかし、直球にかつてのような威力はなく、先発、中継ぎと固定されない起用法に輝きはなかった。そんな中、林昌勇は07年オフにヤクルト行きを決断。多くの人が林昌勇を「もう終わった選手」と口にしたが、そんな雑音を吹き飛ばし、昨年、ことしとリーグを代表する抑え投手として君臨している。
証言5.「もうヒジに不安はない」
「1イニング限定だから、体は常に万全な状態でいられる」
また、今季からバッテリーを組む相川亮二も林昌勇にとって心強い存在だ。「その時の球威をよく把握して、状況にあった配球をしてくれる」。
復活を遂げチームを勝利に導く林昌勇。彼は今、33歳で第2の全盛期を迎えている。
<了>
■林昌勇/Lim Chang-Yong
1976年6月4日生まれ。韓国・光州出身。眞興高−ヘテ−サムスン−東京ヤクルト。182センチ、80キロ。右投げ右打ち。95年にヘテに入団し、99年にサムスンへ移籍。抑え投手として頭角を現し、98、04年に最優秀救援投手、99年に最優秀防御率。シドニー五輪では銅メダルを獲得。韓国通算534試合で104勝66敗168セーブ、防御率3.25。東京ヤクルトに移籍した08年は54試合に登板して1勝5敗33セーブ、防御率3.00。今季は35試合に登板して3勝1敗19セーブ、防御率0.25(7月16日現在)。オールスターのセ・リーグ抑え部門でファン投票1位に選ばれた。
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