マンC入り早大生・大山笑美#2 WEリーグから大学サッカーを選んだ理由
“エリート街道まっしぐら”の大山がア女を選んだ理由 「結果を出し続けないと代表にも選ばれない」
しかしその後大山は、プレーぶりだけではなくキャリア選択でも世間を驚かせた。メニーナを退団後早大に進学、そしてア女に加入したのだ。
この疑問に大山は、様々な場で幾度となくアンサーを出してきている。
「…1番の理由は、「若葉さんともう一度サッカーをする」という気持ちがあったから。またチームメイトになりたい、同じピッチに立ちたい。4年間のうち一緒に出来るのはたったの1年、今年だけかもしれないけれど、どうしてもこれを叶えたいと強く思った。なぜここまでこだわるのか。それは、メニーナの最後日本一を獲って笑顔で若葉さんを送り出せなかったから。最後の最後で負けた悔しさ、相手の喜んでいる姿を茫然と見ることしか出来なかった自分の不甲斐なさは今でも鮮明に覚えている。」
(公式部員ブログ『ア女日記』より)
「若葉さん」とは、後藤若葉(令6スポ卒=現三菱重工浦和レッズレディース)のこと。大山のメニーナ時代からのチームメイトであり3歳上の先輩で、一昨年のア式蹴球部女子(ア女)の主将だ。入学初年度からア女を引っ張り続け、2年時には全日本大学女子選手権(インカレ)優勝の立役者となった選手である。現在は三菱重工浦和レッズレディースでプレーしている。
改めて真意を聞いてみた。「やっぱりずっと同じクラブでプレーしていたので。今でもベレーザもヴェルディも大好きですけど、少しでも環境を変えて、サッカー選手として1つでも2つでも成長したいという思いが芽生えたんです。それが若葉さんとやりたい、という思いと合わさったという感じでした」。当時の指導者たちも大山の決意の固さを理解し、最後は背中を押してくれたという。
カテゴリーを下げれば、代表選出にも多少なりとも影響が出るのは間違いない。そこに不安や迷いはなかったのか。
「自分のレベルをキープすれば良いと思っていましたし、ア女に行くからこそ、結果を出し続けないと代表にも選ばれないと思っていました。周りではなく自分が目指しているところを忘れずに、基準を保ち続けよう、と」。言うは易しだが、実際に日本の大学生で唯一U20W杯メンバー入りを果たし、中心選手として活躍してみせたのは前述のとおり。まさに有言実行である。
劇的だったのは、準決勝・帝京平成大戦(2024年1月4日、◯1-0)。スコアレスで迎えた試合終盤、フリーキックの場面でボールをセットした大山は、ゴール前に上がってきた後藤に何やら耳打ち。すると笛の合図で大山が蹴り込んだニアへの鋭いボールに、走り込んだ後藤が頭で合わせて決勝点。大山と後藤は抱き合い、喜びを爆発させた。「若葉さんを優勝させる」、そんな大会前の宣言通り。ここでも有言実行で、大山のア女デビューシーズンは華々しく幕を閉じようとしていた。
「(インカレは)初戦からマークにつかれていて、なかなかボールを受けられなくて。その中でも結果は出さなければいけなかったなと、悔いが残る大会です。昨年のW杯についても、全てを上回られてしまったと思っているので、もっとやらないとな、と感じています。とはいえ自分自身深く考えるタイプではないので、その時々は悔しいですけどすぐに切り替えていますね。引きずるとかはないです」
目の前のことに集中し、終われば切り替える。チームのために全力でプレーし、一方で常に自らの目標地点を忘れない。この強い自意識とメタ認知能力が、ピッチ内のプレーに勝るとも劣らない、アスリートとしての大山の圧倒的な強みだ。
- 前へ
- 1
- 次へ
1/1ページ