「“王者”として棚橋弘至を倒し、二人のシングル対決を勝利で締めくくりたい」3.6『旗揚げ記念日』へ向け“今が全盛期”宣言!IWGP世界ヘビー級チャンピオン・後藤洋央紀にロングインタビュー!

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【新日本プロレスリング株式会社】

3月6日(木)『旗揚げ記念日』大田区総合体育館大会で初防衛戦に挑むIWGP世界ヘビー級王者・後藤洋央紀選手にロングインタビューを敢行!

テキスト/鈴木佑
撮影/中原義史

■『旗揚げ記念日』
3月6日(木) 17:00開場18:30開始
東京・大田区総合体育館
※「ロイヤルシート」「アリーナ席」「2FスタンドD」は完売となりました。
※「2FスタンドC」は残りわずかとなりました。

※リンク先は外部サイトの場合があります

■消灯しても眠れなかったです(笑)。試合の前後含め、興奮が止まらなかったというか。

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――後藤選手、あらためて悲願の団体最高峰の王座戴冠、おめでとうございます!

後藤 ありがとうございます! 22年かけて、ようやく獲ることができました。

――2.11大阪の一夜明け会見では「興奮で眠れなかった」と発言されていましたね。

後藤 ええ、消灯しても眠れなかったです(笑)。試合の前後含め、興奮が止まらなかったというか。

――最後に入退場ゲートのところで阿部リングアナが選手コールをしましたが、それに応えることなくそのままバックステージに引き上げたのも興奮からでしょうか?

後藤 エッ、どういうことですか?

――通常、ラストの選手コールのタイミングでポーズを決めるのが恒例なので、放送席で解説を務めていたエル・デスペラード選手や矢野通選手もツッコまれていて(苦笑)。

後藤 ハッハッハッ! アララ、まったく気づいてなかったです、いまのいままで。俺らしいですね、すみません(笑)。

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――最後まで後藤選手らしさ爆発で(笑)。その王座戦を振り返りたいのですが、入場時から大きな「後藤」コールが巻き起こっていました。あの日は超満員札止め、しかも激闘続きでメインへの期待感が場内を包んでいたというか。

後藤 完全に会場がデキ上がってましたよね。今回、前哨から各地で「後藤」コールを送ってもらえたのは力になりましたし、本当にありがたかったです。とくに最後の大阪の歓声はすごかったですし、入場前のVTRの時点でちょっとグッと来てました。

――入場テーマ曲の『覇道』のロングバージョンをBGMに、これまでの後藤選手のIWGPヘビー挑戦の映像が流れて。

後藤 いろいろ思い出しましたね……。また、その映像が曲とマッチするんですよ、ちょっと切ない曲調で(苦笑)。あれを観て、より気持ちが入りました。

■試合で感じたのはそのザックの進化、あとは彼の“覚悟”ですね。

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――試合では王者ザック・セイバーJr.選手の厳しい攻撃で、大ピンチに陥る場面もありました。

後藤 (セイバー)ドライバーで叩きつけられて、サブミッション(クラーキー・キャット)で捕まったときはヤバかったです。さすが王者というか、ザックもどんどん進化しているのをあらためて感じました。

――ちなみにザック選手が初めて新日本管轄のタイトルに挑んだのが、2017年の4.9両国での後藤選手とのNEVER無差別級王座戦なんですよね。

後藤 あの頃からザックのテクニックはすごかったですけど、いまよりかなり身体が細くて攻撃も軽かったんですよ。いまや大きくなりパワーもつけて、こっちがコントロールするのも難しくて。試合で感じたのはそのザックの進化、あとは彼の“覚悟”ですね。

――それは新日本の看板タイトルを持つ王者としての覚悟という意味でしょうか?

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後藤 そうです。コロナ禍のときに日本にとどまり、新日本のリングに上がり続けるって、凄いことだと思うんですよ。もし逆の立場だったら難しいだろうなって。

――まさに新日本に身を捧げているというか。ザック選手は今年1月の東京ドーム2連戦では、共に王者としてメインを勝利で締めくくりました。

後藤 正直、あれは俺には無理です、できる気がしないです。ていうのは俺、ビッグマッチのメインで戦うと、身体が興奮しちゃって眠れないんですよ。だから、次の日もメインをやるなんて絶対に無理だろうなって(苦笑)。しかもザックはどっちも勝ってるわけで、とてつもないチャンピオンですよ。

――今回、後藤選手を後押しする声が大きかった中で、ザック選手は王者として見事に戦い抜いたというか。

後藤 本当にプロフェッショナルだと思います。『G1 CLIMAX』に優勝してベルトも巻いて、プロレス大賞も獲った。それだけの実績を持つザックから奪ったベルトだからこそ、大きな価値があると思ってます。

■マジで今が俺の全盛期だと思ってます。相手と言い合いになっても、いまだったら強いですよ、俺(笑)

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――ザック選手にGTR改で勝利した直後、場内は割れんばかりの大歓声に包まれ、後藤選手も男泣きしていましたね。

後藤 あれはもう、いろんなものがこみ上げてきて感極まっちゃいましたね……。親父への思いもありましたし、これまで大事な試合で負けて、いろいろ言われた言葉も思い出しましたし。

――悔しい思いをしてきたと。

後藤 でも、それが勝負の世界ですから。勝てば賞賛されるし、負ければその逆。負けるっていうのはファンにしてみればある種の“裏切り”なわけで、俺はこれまで8回も裏切ってきているので。

――中には心ない言葉もあったと思います。

後藤 それを昔の俺は受け流せなかったんですよね。相手レスラーからの挑発に対しても、俺は真っ正面から受け止めて、真面目すぎるほど真面目に返していたというか。でも、それじゃダメなんですよ。客観的に考える力がプロレスには必要で、それがいまの俺にはできるようになって。だからいま、気持ち的には楽になりましたね。

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――自分のメンタル面をコントロールできるようになったと?

後藤 はい。だから、マジでいまが俺の全盛期だと思ってます。相手と言い合いになっても、いまだったら強いですよ、俺(笑)。

――勝利後のリング上で「知ってるかたもたくさんいるでしょうが、俺はバカです」と発言されていましたが、そんなことはないのでは?

後藤 いや、バカは変わらないです(苦笑)。でもバカを、バカ真面目を貫き通したからこそいまがあり、もはや怖いものなしみたいな感覚ですね。

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――そして「長男でありながら家業も継がず、プロレスラーを目指した。でも、そんなバカな俺でも貫き通せばチャンピオンになれるんです。親父、獲ったぞ!」というマイクは、お父さんへの思いが強く伝わってきました。

後藤 ホント、親父にもあの大歓声を聞かせてやりたかったですよ……。

――お父さんは後藤選手の試合を観に会場にいらっしゃったことは?

後藤 たぶん3回くらいしかないです。たぐっちゃん(田口隆祐)とやったデビュー戦(2003年7月6日/岐阜産業会館)と、いつかの愛知県体育館、あとは自分の20周年記念大会(2023年4月22日/三重・津市産業スポーツセンター)。それで去年の2月に親父は亡くなって。

■親父にもベルト姿を見せたかったですね……。親父が仕事を貫いたように、俺もあきらめずにプロレスを貫いてよかったです

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――後藤選手から見て、どのようなお父さんでしたか?

後藤 本当に真面目な人でしたね、口数も多くなくて。昔は俺、親父としゃべれなかったんですよ。

――それは厳しくて?

後藤 そういうわけじゃないんですけど。怒られたのは本当に悪いことしたときくらいで。

――近所の草むらを燃やしたときとか?(笑)。

後藤 そうそう、燃え広がって火が消せなくなって近所の人たちがバケツリレーで消したっていう(苦笑)。そのときは学校でも問題になって、親父にはメチャクチャ怒られました。まあ、そもそも親父はずっと仕事をしていて、こっちはふだんから話しかけづらかったというか。

――後藤選手のお父さんは電気工事の会社を経営されていたそうで。

後藤 そうです、自分で会社を作って。とにかく仕事づくめで、毎日のように夜中に帰ってきてました。よく覚えてるのが、俺は子どもの頃にプラモデルを作るのが苦手で、そのまま居間の机に置いてたんですね。それで朝起きたら、プラモデルが完成してるんですよ(笑)。仕事帰りの親父が、わざわざ作ってくれて。

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――自分が父親になってから、お父さんの偉大さを実感する部分はあるのでは?

後藤 そうですね。自分で会社を起こして、子どもを3人育て上げて。俺も子どもが3人いるんですけど、それは「親父がやってくれたことを自分も」と思う部分が強いです。

――プロレスラーになってから、お父さんとはどのような会話を?

後藤 しばらくは「いつ辞めて帰ってくるんや?」って、そればかり言われてましたね(苦笑)。3人のうち二人が姉で、男は俺だけだったんで。

――跡取り息子ということですね。結局、会社のほうは?

後藤 俺が継がなかったから、親父の代で廃業しました。だからこそ、親父には本当に申しわけなかったし、この気持ちは一生消えないと思います。

――でも紆余曲折ありつつ、こうして最高峰のベルトに到達し、きっとお父さまも天国で喜んでいると思います。

後藤 だといいんですけどね。親父にもベルト姿を見せたかったですね……。親父が仕事を貫いたように、俺もあきらめずにプロレスを貫いてよかったです。

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――後藤選手が若手の頃は新日本プロレスが苦しい時代で、同期や先輩たちが退団していきました。それでも後藤選手は自分の道を信じて、あきらめなかったというか。

後藤 それは新日本プロレスが好きだからですよ。俺は新日本の入門テストしか受けなかったし、もし入れなかったらプロレスラーにはなってないですから。その気持ちがあったから、今回こうして成就したのかなって。ザックに勝った瞬間、泣いているお客さんも見えて、あきらめないでよかったなって思いましたね。

――さまざまな反響も多かったと思いますが、盟友である柴田勝頼選手(現AEW)から何かメッセージはありましたか?

後藤 一言、「アメリカで待ってるよ!」って来ました(笑)。ほかにも、かつて戦ったことのある外国人レスラーとか、いろんな人からメッセージもらいましたね。意外と海外のプロレスファンからも反応がありましたし。

――これはザック選手がおっしゃっていたんですが、後藤選手は風貌からして“ザ・ジャパニーズレスラー”というイメージが強く、海外のファンから人気が高いと。

後藤 エッ、そうなんですか? 全然知らなかったです。まあ、外国人からメッセージが来ても、俺は英語が読めないので(苦笑)。でもうれしいですね、がんばってきて本当によかったなって思います。

■試合後にはサプライズで俺に手紙をくれて……。ちょっと親バカですけど、心優しい女の子に育ってるなって思いました。

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――そして試合後のリング上には、激闘を見届けたお子さんたちを呼び込みました。

後藤 本当は今回、子どもたちをリングサイドに呼ぶのはやめようと思ってたんですよ。というのは(デビッド・)フィンレー戦のことがありましたし、いい影響ばかりじゃないので。

――去年の11.4大阪のIWGP GLOBAL王座戦ですね。後藤選手が敗れ、娘さんが泣いてしまって。さらに「もうお父さんと一緒に寝ない」と言われてしまったそうで。

後藤 そうなんです(苦笑)。実際、フィンレー戦のことがショックで、今年の1.4東京ドームは会場に来なかったですから。でも、そのときの試合(IWGP世界ヘビー級王座挑戦権争奪ニュージャパンランボー)で勝ったことを娘に報告したら、「行けばよかった!」って後悔してて。それで大阪のときは「今回、IWGP世界ヘビーに挑戦するのは最後になるかもしれない」と伝えたら、「じゃあ、行く!」ってなって。

――お父さんの勝利を信じて観にいこうと。

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後藤 でも、「行くけど絶対に勝ってね! イス使っても何してもいいから!!」って言われて、「いや、反則負けになっちゃうよ」ってちょっと困っちゃいましたけど(苦笑)。それだけ父親に勝ってほしかったんでしょうし、試合後にはサプライズで俺に手紙をくれて……。ちょっと親バカですけど、心優しい女の子に育ってるなって思いました。

――負けても這い上がる姿を見せたりと、後藤選手はプロレスを通してお子さんたちに、自分ならではの教育をしているというか。

後藤 そう! そうなんですよ。フィンレー戦のときは「あの年で人生の厳しさを見せるのはどうなのかな」とも思ったんですけど、大阪では本当にすばらしい光景を見せることができてよかったです。

――いまや後藤選手の家族の絆を感じさせるマイクアピールは、多くのファンの感動を呼ぶ、まさに“後藤劇場”というか。

後藤 俺、プロレスというのは人生そのものだと思ってるんです。プロレスラーが表現するのは生きざまであり、それをさらけだすことが重要というか。自分の姿からお客さんが何かを感じ取ってくださるのであれば、レスラー冥利に尽きますよ。

■時代を戻したいわけじゃないけど逆転現象というか、それもまたおもしろいじゃないですか。

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――そのほか、マイクアピールでは家族やYOSHI-HASHI選手、お客さんに感謝を伝えたあと、「最後に22年間、デビューしてここまでやってきた自分自身の身体にありがとうございますと伝えたい」という言葉も印象的でした。

後藤 もちろん、若いときよりダメージは蓄積してますし、回復も遅くなってますけど、俺はこれまで大きなケガなく来ることができたからこそ、今回ベルトを巻けたと思ってるので。本当、頑丈に生んでくれた両親に感謝ですね。

――現在の新日本マットは新世代の選手たちの台頭が目覚ましいですが、その中でベテランであるご自身がIWGP世界ヘビーのベルトを獲得したことを、どのように捉えていますか?

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後藤 やっぱり自分が王者になることによって他の同世代の人間、あるいは自分より上の世代の人たちの刺激には絶対になってると思うんですよ。だからこそ永田(裕志)さんが挑戦表明してきてくれたんでしょうし、“後藤革命”が本格的に始まりましたよ。

――新たな風景を作るのは、必ずしも新世代の選手ではないというか。

後藤 時代を戻したいわけじゃないけど逆転現象というか、それもまたおもしろいじゃないですか。ファンのみなさんもあれだけ盛り上がってくれたわけで。新世代は当然おもしろくないでしょうし、立ち向かってきてほしいですね。それを俺は返り討ちにするだけなんで。

――後藤選手は昨年の『G1 CLIMAX』にエントリーした際も、「出場できなかった同世代のぶんも戦う」という主旨の発言をされてましたね。

後藤 あのときは「俺がベテランの力を証明するしかない」っていう気持ちでしたから。「このまま排除されるわけにはいかない」という思いをリングにぶつけたからこそ、お客さんたちも声援を送ってくれたのかなって思います。まだまだ、俺たちベテランにしかできない戦いがあると俺は信じてますし、確信してます。

■いつか自分が王者として迎え撃ちたいとずっと思っていて。俺たちがいまベルトを懸けて戦うことで、若い人間には見せられないものがある

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――そして後藤選手は試合後のバックステージで、次期挑戦者として棚橋弘至選手を指名。3.6大田区総合体育館の『旗揚げ記念日』で実現することが決定しました。

後藤 前々から王者になったら、挑戦者に棚橋さんを指名することは考えていました。引退が決まって時間もないですし、あと俺がIWGPヘビー級王者の棚橋弘至に挑んだことはあっても、その逆はなかったので、いつか自分が王者として迎え撃ちたいとずっと思っていて。俺たちがいまベルトを懸けて戦うことで、若い人間には見せられないものがあると思いますし。

――お二人の試合でいうと、やはり後藤選手の初のIWGPヘビー級王座挑戦となった2007年の11.11両国国技館の激闘が忘れられません。かつて棚橋選手も自身のベストバウトとして、あの試合を挙げていました。

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後藤 俺も強く印象に残ってます。その年に凱旋帰国して、初めてIWGPヘビーに挑んで。当時は新日本が集客に苦しんでいた時代ですけど、あのときは会場の盛り上がりがすさまじかったんですよね。試合中の歓声の移り変わりが、映画みたいに起承転結があって。

――当時は棚橋選手にブーイングが飛んでいた時代で、序盤は後藤選手に声援が集まっていたのが、白熱の攻防により気づけば場内はどちらも応援するようになって。

後藤 最後は負けて悔しかったですけど、結果を抜きにすれば充実感の残る試合でした。その後も俺はIWGPヘビーを懸けた試合で棚橋さんに負けてるんですけど、もし棚橋さんがいなかったらもっと早くチャンピオンになれていたかもしれないですね(笑)。でも棚橋さんがいなければ、いまの俺はいないと思ってます。

――ちなみに棚橋選手とはシングルでこれまでじつに15度も対戦し、戦績は後藤選手の3勝12敗です。

後藤 いまのところ最後に当たったのが2023年の『G1 CLIMAX』で、そこで俺は負けてるんですよ。だからこそ、今回は王者として棚橋弘至を倒し、二人のシングル対決を自分の勝利で締めくくりたいというか。

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――あらためて、棚橋選手は後藤選手にとってどのような存在でしょうか?

後藤 キャリアでいえば3年くらい先輩ですけど、世代的には同じくくりに近い感覚というか。

――お二人に真壁刀義選手と中邑真輔選手も含め、“四天王”と称されたこともありました。

後藤 だから、やっぱり棚橋さんは“よきライバル”だと思ってます。

――棚橋選手は過去に後藤選手との試合について、2007年のIWGPヘビー級王座戦のインパクトが強すぎて、なかなかあれを超えるような戦いを生み出すのは難しいと発言されています。あの当時、棚橋選手が30歳、後藤選手は28歳でした。

後藤 たしかにいま、若かった頃と同じような動きはできないですよ。だけど、あのときとはまた違う、なんていうのか、いまの俺たちならあのベルトを懸けて“心に染みる戦い”ができると思うんです。もちろん記録は大事ですけど、記憶に残る試合をしたいですね。

――その舞台が新日本にとって重要な『旗揚げ記念日』というのも、お膳立てが整ったというか。

後藤 そうですね。しっかりと新日本プロレスの“いま”を見せて、「“いま”が俺なんだ!」っていうことを、観る人たちに伝えたいです。

■永田さん、凄い人ですよ。56歳になっても最高峰のベルトを目指すその気持ち。それこそがプロレスラーなんですよ。

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――あとは先ほど話に出たとおり、大ベテランの永田選手も後藤選手の王座戴冠に触発され、14年ぶりとなる頂点ベルトへの挑戦をアピールしました。永田選手が“ミスターIWGP”と呼ばれていた時代、後藤選手は付き人をされていましたよね。

後藤 はい、永田さんが当時の最多防衛記録を樹立した頃に、自分は付き人をさせてもらってました。永田さん、凄い人ですよ。56歳になっても最高峰のベルトを目指すその気持ち。それこそがプロレスラーなんですよ。常に挑戦の姿勢を崩さないし、自分もそうありたい。俺はまだ45ですし、永田さんの姿を見ると気が引き締まりますね。永田さんとの王座戦が実現するまで、俺はベルトを守りぬきますよ。

――現状、棚橋選手との王座戦の勝者が、4.5両国で次期シリーズ『NEW JAPAN CUP 2025』の優勝者の挑戦を受けることが決定しています。トーナメントの組み合わせも発表されましたが、後藤選手がこの中で気になる選手は?

後藤 それはやっぱりヨッちゃんですよ、タッグパートナーとしてずっと一緒にやってるわけですから。俺がベルトを巻いたことで当然刺激を受けてるでしょうし、ヨッちゃんは勝ち上がるだけの実力はありますから。

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――YOSHI-HASHI選手は先シリーズの1.23後楽園で大岩陵平選手に敗れているだけに、この『NEW JAPAN CUP』は踏ん張りどころというか。

後藤 彼ももう少ししたらベテランの部類に入りますし、若い選手に負けてほしくないというか、意地を見せてほしいです。いや、見せてくれますよ。ヨッちゃんの強さは、俺が一番知ってますから。それとほかに気になるのは海野(翔太)ですね。

――海野選手は2.11大阪でグレート-O-カーン選手に敗れ、自らバリカンで断髪しました。ここからどう巻き返しを図るのか、注目が集まります。

後藤 このまま落ちていくのか、それとも乗り越えるのか。この『NEW JAPAN CUP』は正念場の戦いになると思いますよ。あとは……、やっぱり辻(陽太)かな。

――辻選手は今回、『NEW JAPAN CUP』2連覇を懸け、IWGP GLOBAL王者として出場します。後藤選手は去年の『NEW JAPAN CUP』決勝で辻選手に敗れていますが、そのあとの『G1 CLIMAX』公式戦でリベンジを果たしています。

後藤 今度は両国で、お互い王者として戦う可能性もあるってことですよね。まあでも、誰が上がってきても、いまの俺は負けるつもりはないので。

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――そのほか、後藤選手は防衛戦の相手として、現AEWのオカダ・カズチカ選手や柴田選手の名前も挙げられていましたね。

後藤 俺をCHAOSに勧誘したのはオカダですけど、そもそも俺はオカダを超えるためにCHAOSに入りましたし、やっぱり彼に挑戦した“ワーストバウト”が忘れられないので。

――CHAOS加入直前に挑んだ2016年の2.10大阪のIWGPヘビー級王座戦ですね。

後藤 あの時は試合中に頭を打っちゃって、最後にレインメーカーを食らったのだけ覚えていて。そのいまわしい記憶を勝利で払拭したい。柴田に関しては、高校時代からベルトを懸けて戦う約束をしてるので。彼とはNEVER無差別級王座戦を1.4東京ドームでやりましたけど(2017年)、やっぱりいつかこのベルトを懸けて戦ってみたいですね。

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――IWGP世界ヘビー初戴冠を果たしたことで、キャリア22年目にしてさらに夢が広がったのでは?

後藤 そうなんですよ。あきらめずに思い続けていれば、必ずチャンスは巡ってくるんだなって実感してます。

――最後に王者としての所信表明というか、応援するファンへのメッセージをいただければ。

後藤 王者としてみなさんに感動や興奮を届けたいっていうのはありますけど、一番は俺の試合を観て「よし、明日も生きるぞ!」って、そういう気持ちを持ってもらうことなんですよね。「後藤ががんばってるから、自分もがんばろう」、そう思ってもらえるようなチャンピオンに、俺はなりたい。俺が好きになったプロレスは、そういうものでしたから。

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著者プロフィール

1972年3月6日に創業者のアントニオ猪木が旗揚げ。「キング・オブ・スポーツ」を旗頭にストロングスタイルを掲げ、1980年代-1990年代と一大ブームを巻き起こして、数多くの名選手を輩出した。2010年代以降は、棚橋弘至、中邑真輔、オカダ・カズチカらの台頭で再び隆盛を迎えて、現在は日本だけでなく海外からも多くのファンの支持を集めている。

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