【鹿島アントラーズ】“戻ってきた”漢が熱い!「本当に自信をなくしていた」荒木遼太郎が“取り戻したもの”。初めての壁に「変えずにやり続けて良かった」こととは。

鹿島アントラーズ
チーム・協会

【@KASHIMA ANTLERS】

苦しみのなかで再確認したこと

プロ入り後、初めての壁に当たった。

「一昨年は本当に自信がなくなっていました。自分のプレースタイルそのままで本当に大丈夫なのか。そう思わされることがいろいろありましたね」

2020年、荒木遼太郎は東福岡高校から鹿島アントラーズに加入すると、2年目にクラブ史上初となる10代でのリーグ戦2桁得点を達成。ベストヤングプレーヤー賞も受賞し、一躍チームの中心となった。170cm、60kg。身体が大きいわけでもなく、スピードがあるわけでもない。フィジカルに恵まれたわけでもないが、その分、幼少期から「強い速い選手にどうすれば勝てるのか。常に考えながらプレーしてきた」ことで、自らのピッチ上で生きる道を切り開いてきた。

プロ3年目の2022年、さらなる飛躍を期待されて背番号10を背負う。しかし、頚椎椎間板ヘルニアのケガもありリーグ戦の先発はわずか6試合に終わり、さらに2023年は3試合と出場機会が激減。チームとして守備強度を求められるなか、荒木は周りとのコンビネーションで切り崩すことも、狭いスペースで受けて攻撃に変化をもたらす本来の良さも、なかなか表現できずにいた。スタメンから外れれば、日々の練習や紅白戦、練習試合でアピールしなければならない。それでも、目立った活躍ができずに2シーズンを終えた。

下を向く荒木の背中を押したのは、チームメイトであり先輩の言葉だった。

「プライベートではずっと(鈴木)優磨くんが面倒を見てくれていました。よくご飯に連れて行ってくれていたし、サッカーのところは(広瀬)陸斗くんから『変える必要はない。自分を信じろ』と言ってもらったことで救われました。いろんな先輩に本当にお世話になりました」

本来の姿を取り戻した2024シーズン

自分のプレースタイルを再確認し、そのなかで2024年にFC東京への期限付き移籍を決断した。本来の姿を取り戻すため、新たな環境での挑戦を選んだ。

「(FC東京では)自由にやらせてくれたのもあって、自分のプレーを出すことができた1年でした。でも、チームが変わればやり方も変わる。それぞれのチームに色があって、FC東京はポゼッションしつつ、簡単にやるところだったり、状況に合わせてプレーすることを求められました。昨年1年間でそういった臨機応変に対応することも少しはできるようになったのかなと思います」

FC東京ではリーグ戦29試合7ゴール。トップ下で自由を与えられると、一瞬の動き出しでマークを剥がしたり、ボールを持てば相手の力を逆手に取ったプレーで得点機を演出し続けた。時間も空間も限られる現代サッカーにおいて、狭いスペースを見つけて相手の間で受けてゴールまで迫る荒木のプレースタイルは、FC東京のサッカーにフィットした。

リズム良く活躍を重ねれば、新たな刺激も舞い込んでくる。2024年8月2日、パリ五輪準々決勝スペイン戦でU23日本代表が2ゴールを決められた選手に目を奪われた。

「同年代でこんな選手がいるとは……」。

試合が終わって携帯で「U-23スペイン代表、11番」と検索。フェルミン・ロペス。バルセロナですでにトップデビューを果たし、スペイン代表としてEURO2024の優勝メンバーにも名を連ねていた。

ピッチを離れると「サッカーは見ない」タイプだ。ピッチ上で感じた、自身と同年代で同じポジションの相手選手の迫力、両足から繰り出される高い精度のパスと、試合を決定づけるゴールを決め切る決定力。ここに追いつきたい。同じステージで戦いたい。ポジティブな思考の積み重ねは、新たな高い基準ももたらした。

「一昨年は、自分自身も試合に出られないことに対しての不満を抱いたり、精神的に未熟なところが多かった。プレースタイルについて、いろいろと指摘されたこともあった。でも今になって振り返ると、自分のプレースタイルを変えずにやり続けて良かったなと思います。それが昨年に生きました」

【@KASHIMA ANTLERS】

自信を胸に。「優勝までの道のりを経験したい」

2024年1月5日、鹿島アントラーズへの復帰が発表された。

鹿島アントラーズ復帰の思いはシンプルだ。これまでタイトルを獲ったことがない。だから、優勝を経験したい。

「やっぱりまだ鹿島に来て一度もタイトルを獲れていないので、今年は何かしら必ず獲りたい。まだ知らないタイトルを経験してみたい。優勝までの道のりを経験したい。その気持ちで戻ってきました。個人的にはコンスタントに試合に出続けたい。あまり先のことを考えるタイプではないので、目の前のことに一生懸命に取り組みたいと思います」

新チームがスタートして、早速手応えも感じている。

「知っている選手も多いなか、特徴の分かる選手ばかり。とはいえ、ひさしぶりだったので難しさもありましたが、ちゃんと周りと連携しながらコミュニケーションを取って出来ているので、いい感じでやれています」

今シーズン、鹿島アントラーズは鬼木達監督が新たに就任した。1月7日から始動したチームは、宮崎キャンプを経て2月15日の開幕に向けて準備を進めているところだ。「止めて蹴る」という基本技術を大切にしながら、相手の嫌がるところへボールを運び、守備でも果敢に前から仕掛けていく。ただし、すぐに結果として表れるものではなく、当たり前の基準は徐々に上げていくもの。練習のうちから出すべきところにボールを出し続けるチャレンジを積み重ねることで、試合でも再現出来るようになっていく。鬼木監督も「個人の技術や個人の目をそろえる作業を大事にしようと選手スタッフに共有している」と話すが、成功と失敗を繰り返している段階だ。荒木自身、前向きに取り組んでいるという。

「鬼木監督は本当に分かりやすいし、自分のプレースタイルに合ったサッカーなので、言っていることはよく分かります。すごくやりやすい。自分としてはDFラインと前線の間のつなぎ目の役割かなと捉えていて。それに加えていろいろなポジションをやっているので、どこにでも関わっていく幅を広げていく必要があるのかなと思っています」

【@KASHIMA ANTLERS】

間で受けて攻撃を活性化させる。荒木自身が得意とするプレーだ。加えて、昨シーズンに得た対応力をもって臨むつもりだ。

「“自由に動いていい”と言われているので、自由に動きながらも“これ前にパスが通せないな”と思ったら、味方とやり取りしてポジションに関わらず左右に動いて、出しどころを探すようにしています。前線には(鈴木)優磨くんだったり、レオ(セアラ)だったり、強烈な得点力のある人たちがいるので。自分も同じようになるというよりは、その中に食い込みつつ、サイドから中に入ってリズムを作りながら、うまく2人を生かして自分も得点に絡めたらなと思っています」

2月1日、プレシーズンマッチの水戸ホーリーホック戦。荒木はスタメンで出場し、69分間プレーした。

「いい攻撃が出来ていたと思いますし、決定的なシーンも何度か作れていた。プラスに捉えていいかなと思います。これまでやっていなかった新しいことに取り組んでいて、まだ2人だけの関係で終わっている。3人、4人とつながっていかないといけない難しさを感じています。まだまだ鬼木さんが求めるサッカーには届いていないと思いますけど、シーズンまでに、またシーズンを通してもどんどん良くしていけたらと思っています」

荒木自身、「先を考えるタイプではなく、日々を積み重ねるタイプ」と自己分析する。

「高校の頃から、“波をなくしたい”と思ってきました。まだまだ出来ているのか分からないけど、サッカーではどんな相手でも、どんな状況でも変わらず自分のプレーをし続けるというのを意識している。自分のやるべきことを徹底してやる方が大きくなっていける気がするんです」

まずは今日の練習、そして1試合1試合。
その積み重ねに、荒木遼太郎の描く理想がある。

【@KASHIMA ANTLERS】

ホーム開幕は2/22(土)東京V戦! チケットは下記リンクから!

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著者プロフィール

1991年10月、地元5自治体43企業の出資を経て、茨城県鹿島町(現鹿嶋市)に鹿島アントラーズFCが誕生。鹿角を意味する「アントラーズ」というクラブ名は、地域を代表する鹿島神宮の神鹿にちなみ、茨城県の“いばら”をイメージしている。本拠地は茨城県立カシマサッカースタジアム。2000年に国内主要タイトル3冠、2007~2009年にJ1リーグ史上初の3連覇、2018年にAFCアジアチャンピオンズリーグ初優勝を果たすなど、これまでにJリーグクラブ最多となる主要タイトル20冠を獲得している。

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