【連載企画】東芝ブレイブルーパス東京「道標」 (Vol.1)
【東芝ブレイブルーパス東京】
東芝ブレイブルーパス東京では、ファンの皆さまにクラブの歴史・カルチャーをより知っていただくために、ライターの田村一博さんにご協力いただき、様々なレジェンドOBにインタビューを実施していきます。
初回は、インタビュアーの田村一博さんのコラムを掲載いたします。
砂埃が舞っていた。
初めて東芝府中のラグビーグラウンドを訪ねたのは1990年だったか。
大学卒業後、出版社へ就職。ラグビーマガジン編集部に配属となって2年目。関東中学生大会の取材に向かった。
6月だった。土のグラウンドで少年たちは泥だらけ。観客も取材者も、砂埃の中にいた。
関東高校大会も開催された。セキュリティがどうなっていたか記憶にない。
家庭を持ち、娘がラグビーを始めてからも、付き添いでグラウンドを訪れたことがある。
取材時とは違い、つい気が緩む。炎天下の練習を長く見ているのも疲れるので草むらの中に身を隠して昼寝をしていたら、ラグビースクールのコーチ陣が、ぶっ倒れたのではないかと様子を見に来た。
親切なみなさんの顔と青空、木の緑を覚えている。
いま2025年1月。初めての日から30年以上経った。そのあいだ、何度も何度もグラウンドを訪ね、グラウンドそのものも、クラブハウスも、周囲の風景もだいぶ変わった。
しかし、チームに漂う空気があまり変わらないと感じるのは気のせいだろうか。いい意味で、のどかな空気がいつもある。
そんなことを思っていたら、2024年12月にラジオNIKKEI『藤島大の楕円球にみる夢』に出演していたブレイブルーパスのFL、佐々木剛が話していた内容を聞いて腹落ちした。
前シーズンにリーグワンを制したチャンピオンチームに漂う空気を「いい意味で部活みたい」と表現していた。
佐々木は練習後の仲間との会話や日常を話していた。
「このあと、どうする」から動き出す仲間との時間や、引退した先輩たちからの宴席へのお誘いのことなどなど。「飲んだら(その次の日こそ)ちゃんとやれよ、と言われます」の言葉がいい。
気さくな仲間たちと、優しくてちょっと怖い先輩やOBたち。部活そのものだ。
2024年の秋から、ブレイブルーパスの歴史を紡いできた方々に、いろんな話を聞く機会があった(近日中に、連載『道標』として紹介していきます)。
強豪になる前。初優勝に手が届いた。悔しい思いをたくさんしたよ、もあれば、とにかく楽しかったもあった。東芝ラグビーの道を作ってきたOBたち皆さんの日常が、チームカルチャーを作り上げてきたと、はっきり分かった。
話を聞いたOBたちすべての方に共通していたのは、2024-2025シーズンのリーグワンを戦っている選手たちにも漂っている泥臭さだ。
それは、人間臭さと言った方がいいのかもしれない。一人ひとりに生き方や考え方があるのだけど、それぞれがそれを練習でぶつけ合ってひとつのチームになるから、長く強い。
さらに街に繰り出し、酒場でもぶつかり合い、認め合う文化を持っているのが、他とは違うたくましさを持つ理由。応援する人たちも、データでは表せない強さと魅力を持つチームに惹かれる。
2022年5月1日、味の素スタジアムでおこなわれたリーグワンの東芝ブレイブルーパス東京×東京サントリーサンゴリアスの試合リポート。私はその記事に「雨、狼たちの夜」とタイトルを付け、ラグビーマガジンにこう書き出している。
「日曜の夜、雨らしいよ。そんな天気予報を知って笑顔になったチームが勝った。5月1日、雨。味の素スタジアムに集まった1万169人のファンはいいものを見た。17時キックオフ。肌寒さをブレイブルーパスの情熱が吹き飛ばした。27-3の完勝だった」
文中にはその試合でゲームキャプテンを務めた小川高廣が試合前のロッカールームで、「この雨はうちに味方するぞ」と言ったと書いてある。
リーチ マイケルが言った「東芝は雨が好き」の表現には、いろんなことが詰まっている。相手ヘッドコーチが「ローカルダービーは(ライバル意識が強くて)フィジカルバトルになるもの。そこであちらが上回った」と完敗を認めたのも仕方なかった。
2019年、日本で開催されたワールドカップの開幕前にトッド・ブラックアダー ヘッドコーチに聞いた話が記憶に刻まれている。
オールブラックスの主将を務めたことがある。誰もが尊敬するポジションについて「自分の人生の一部であり誇りです」と言った。
「(NZ代表主将経験者という)エリートの集まるクラブに入った。人生が変わったかと問われれば、イエスでもあり、ノーでもある。人生は変わらないが、人生に素晴らしいものが付け加えられました。良い人間になるのに、オールブラックスのキャプテンになる必要はありません。大切なのは、地に足をつけて生きることです」
「ラグビーはチームスポーツです。そこにどれだけ偉大なリーダーがいても、一人ひとりがお互いを頼らないとできません。いいときもあれば、悪いときもある。それは人生もラグビーも同じ。私は、ラグビーから謙虚でいることの大切さを学びました」
ブレイブルーパスは、自分たちのカルチャーに合った人を指揮官に迎えたと直感的に思った。
そして、言葉はさらに続いた。
「よく覚えていることがあります。18歳のとき、コリンウッドというローカルクラブでプレーをしていました。ある試合のあと、ひとりで街のバーで飲んでいると、ある男性に言われました。君は将来オールブラックスになるよ、と。ニュージーランドにあるストーリーです。小さなクラブの小さな試合を見てくれている人がいて、誰かがチャンスを与えてくれる。それをつかみ取る。そうやって手にした栄光は一生忘れない」
レジェンドの一人、大野均と重なる。
福島の、ごく普通の高校の野球部出身。ローカルクラブ(地元の日大工学部ラグビー部)でプレーしているところを東芝に誘われ、日本代表キャップを98も積み重ねた人の話を想起させる。
「いまもニュージーランドにはある話です。そうである限り(あの国のラグビーは)強い」の言葉は、ニュージーランドを東芝に置き換えれば、そのまま現在のブレイブルーパスに受け継がれている伝統と変わらない。
連載『道標』にも、それぞれの人たちの似たストーリーが詰まっている。
(文中敬称略)
(ライター:田村 一博)
砂埃が舞っていた。
初めて東芝府中のラグビーグラウンドを訪ねたのは1990年だったか。
大学卒業後、出版社へ就職。ラグビーマガジン編集部に配属となって2年目。関東中学生大会の取材に向かった。
6月だった。土のグラウンドで少年たちは泥だらけ。観客も取材者も、砂埃の中にいた。
関東高校大会も開催された。セキュリティがどうなっていたか記憶にない。
家庭を持ち、娘がラグビーを始めてからも、付き添いでグラウンドを訪れたことがある。
取材時とは違い、つい気が緩む。炎天下の練習を長く見ているのも疲れるので草むらの中に身を隠して昼寝をしていたら、ラグビースクールのコーチ陣が、ぶっ倒れたのではないかと様子を見に来た。
親切なみなさんの顔と青空、木の緑を覚えている。
いま2025年1月。初めての日から30年以上経った。そのあいだ、何度も何度もグラウンドを訪ね、グラウンドそのものも、クラブハウスも、周囲の風景もだいぶ変わった。
しかし、チームに漂う空気があまり変わらないと感じるのは気のせいだろうか。いい意味で、のどかな空気がいつもある。
そんなことを思っていたら、2024年12月にラジオNIKKEI『藤島大の楕円球にみる夢』に出演していたブレイブルーパスのFL、佐々木剛が話していた内容を聞いて腹落ちした。
前シーズンにリーグワンを制したチャンピオンチームに漂う空気を「いい意味で部活みたい」と表現していた。
佐々木は練習後の仲間との会話や日常を話していた。
「このあと、どうする」から動き出す仲間との時間や、引退した先輩たちからの宴席へのお誘いのことなどなど。「飲んだら(その次の日こそ)ちゃんとやれよ、と言われます」の言葉がいい。
気さくな仲間たちと、優しくてちょっと怖い先輩やOBたち。部活そのものだ。
2024年の秋から、ブレイブルーパスの歴史を紡いできた方々に、いろんな話を聞く機会があった(近日中に、連載『道標』として紹介していきます)。
強豪になる前。初優勝に手が届いた。悔しい思いをたくさんしたよ、もあれば、とにかく楽しかったもあった。東芝ラグビーの道を作ってきたOBたち皆さんの日常が、チームカルチャーを作り上げてきたと、はっきり分かった。
話を聞いたOBたちすべての方に共通していたのは、2024-2025シーズンのリーグワンを戦っている選手たちにも漂っている泥臭さだ。
それは、人間臭さと言った方がいいのかもしれない。一人ひとりに生き方や考え方があるのだけど、それぞれがそれを練習でぶつけ合ってひとつのチームになるから、長く強い。
さらに街に繰り出し、酒場でもぶつかり合い、認め合う文化を持っているのが、他とは違うたくましさを持つ理由。応援する人たちも、データでは表せない強さと魅力を持つチームに惹かれる。
2022年5月1日、味の素スタジアムでおこなわれたリーグワンの東芝ブレイブルーパス東京×東京サントリーサンゴリアスの試合リポート。私はその記事に「雨、狼たちの夜」とタイトルを付け、ラグビーマガジンにこう書き出している。
「日曜の夜、雨らしいよ。そんな天気予報を知って笑顔になったチームが勝った。5月1日、雨。味の素スタジアムに集まった1万169人のファンはいいものを見た。17時キックオフ。肌寒さをブレイブルーパスの情熱が吹き飛ばした。27-3の完勝だった」
文中にはその試合でゲームキャプテンを務めた小川高廣が試合前のロッカールームで、「この雨はうちに味方するぞ」と言ったと書いてある。
リーチ マイケルが言った「東芝は雨が好き」の表現には、いろんなことが詰まっている。相手ヘッドコーチが「ローカルダービーは(ライバル意識が強くて)フィジカルバトルになるもの。そこであちらが上回った」と完敗を認めたのも仕方なかった。
2019年、日本で開催されたワールドカップの開幕前にトッド・ブラックアダー ヘッドコーチに聞いた話が記憶に刻まれている。
オールブラックスの主将を務めたことがある。誰もが尊敬するポジションについて「自分の人生の一部であり誇りです」と言った。
「(NZ代表主将経験者という)エリートの集まるクラブに入った。人生が変わったかと問われれば、イエスでもあり、ノーでもある。人生は変わらないが、人生に素晴らしいものが付け加えられました。良い人間になるのに、オールブラックスのキャプテンになる必要はありません。大切なのは、地に足をつけて生きることです」
「ラグビーはチームスポーツです。そこにどれだけ偉大なリーダーがいても、一人ひとりがお互いを頼らないとできません。いいときもあれば、悪いときもある。それは人生もラグビーも同じ。私は、ラグビーから謙虚でいることの大切さを学びました」
ブレイブルーパスは、自分たちのカルチャーに合った人を指揮官に迎えたと直感的に思った。
そして、言葉はさらに続いた。
「よく覚えていることがあります。18歳のとき、コリンウッドというローカルクラブでプレーをしていました。ある試合のあと、ひとりで街のバーで飲んでいると、ある男性に言われました。君は将来オールブラックスになるよ、と。ニュージーランドにあるストーリーです。小さなクラブの小さな試合を見てくれている人がいて、誰かがチャンスを与えてくれる。それをつかみ取る。そうやって手にした栄光は一生忘れない」
レジェンドの一人、大野均と重なる。
福島の、ごく普通の高校の野球部出身。ローカルクラブ(地元の日大工学部ラグビー部)でプレーしているところを東芝に誘われ、日本代表キャップを98も積み重ねた人の話を想起させる。
「いまもニュージーランドにはある話です。そうである限り(あの国のラグビーは)強い」の言葉は、ニュージーランドを東芝に置き換えれば、そのまま現在のブレイブルーパスに受け継がれている伝統と変わらない。
連載『道標』にも、それぞれの人たちの似たストーリーが詰まっている。
(文中敬称略)
(ライター:田村 一博)
【東芝ブレイブルーパス東京】
田村 一博(たむら・かずひろ)
1964年生まれ。早稲田大学卒業後、1989年にベースボール・マガジン社に入社し、ラグビーマガジン編集部に配属。1997年に編集長に就任し、2024年に退任。現在は編集者やライターとして活動中。
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