【物語りVol.126】PR 原渕 修人「身体をぶつけるところで、負けるわけにはいかないですからね」
【東芝ブレイブルーパス東京】
「僕は2002年生まれなんですけど、その年にサッカーのW杯が日本(と韓国の共催)であったじゃないですか。で、シュートから修人にしたと。チラっと聞いただけなので、ホンマかどうかは分からないですけど」
少年時代に打ち込んだのは、サッカーでもラグビーでもない。野球なのだ。大阪府堺市立原山台中学校では、エースにして主軸バッターでキャプテンも任されていた。
「2歳年上のお兄ちゃんが中学まで野球をやっていて、高校からラグビーを始めたんです。お兄ちゃんがやることをずっと追いかけていて、試合を観に行ったら面白そうだったんですね。それで、中学3年で『自分も高校からラグビーをやろう』と決めました」
同級生のなかでは、身体は大きかった。中学3年時の体重は70キロで、高校入学時は80キロ後半から90キロまで増やした。
「増やしたというのもありますし、成長期なので増えたというのもありました」
大阪府立摂津高校へ入学した原渕は、勇躍ラグビー部の一員となる。しかし、ラグビーに取り組むのは初めてである。待っていたのはシビアな現実だった。
「最初はもう、練習についていくのに必死でした。しんどかったし、キツかったし。花園に出たいなんてまったく考えることもできず、とにかくラグビーがうまくなりたい、という気持ちでした」
2年時からは試合に絡んでいく。「花園」が具体的な目標となっていくが、大阪府は言わずと知れた激戦区だ。全国大会の舞台は遠く、同世代における自らの現在地も把握できなかった。
「自分なりの手応えなんて全然、もうまったくなくて。ラグビーで大学へ行けるか行けへんか、たぶん難しいやろなあと思いながらやっていて、何とか摂南大学へ行けることになったので」
上級生にも、同級生にも、強豪校からやってきた経験者がズラリと並ぶ。ここでまた、高校入学時とは違う種類の現実と向き合う。
「自分と同じプロップのポジションに、1年生からリザーブに入る選手がいて。ああっ、出られへんのやあと思って」
落胆と失望ののちに胸に去来したのは、闘争心だった。負けず嫌いな気持ちが、静かに燃え上がっていく。
「このまま試合に出られへんのは嫌や。頑張るしかない」
身体を動かす前にまず、思考を働かせた。自らの立ち位置を、冷静に見極めた。
「試合に出ている選手と自分を比べてみて、何が足りへんかを自分なりに考えました。で、その選手より走れる強みを生かそうと。身体もまだ全然でかくなかったので、ウエイトもガンガンやりました」
2年生からは3番と18番を着け、関西大学リーグに出場した。真剣勝負で身体をぶつけ合える喜びを感じつつ、高校の先輩から大いなる刺激をもらった。
「自分が高校1年生の時の3年生だった白國亮太さんが、帝京大学へ進んで大学選手権で優勝したんです。しかも、決勝で3トライしている。高校の時からすごい選手だったので、大学でラグビーをすることに驚きはなかったんですけど、帝京でそこまで活躍するのは想像しにくかった。しかも、4年生から試合に出るようになった。なので、すごい励みになりましたね」
【東芝ブレイブルーパス東京】
「他にもいくつか話をいただいていたのですが、ディビジョン3のチームだったんです。どうしようかと考えているところで、監督の瀬川(智広)さんに『東芝も見てくれているから』と教えられて。『ええっ、マジっすか』なんて言ってたら、GMの薫田さんが練習に来てくれたんです。その1週間後か2週間後に、お世話になることが決まりました。やっぱり、嬉しかったですね」
練習を見学したり、参加したりはしていない。「たぶん行ってたら、ビビって入れなかったかもしれないですね」と笑う。
チームには24年2月に、アーリーエントリーで合流した。「もうヤバかったです」と、率直な思いを明かす。
「初めて練習に参加した時は、とんでもないところに来ちゃったなという感じでした。何もかもが違う。ついていくのに必死でした」
圧倒的なまでのレベルの違いを突きつけられるものの、居心地の悪さは感じない。むしろ、チームにどんどんと惹かれていった。
「初めましての瞬間から、もう家族みたいで。めちゃくちゃいいチームだと思います」
摂南大学では3番を任されていたが、東芝ブレイブルーパス東京では1番にトライしている。接点無双の伝統を、力強く継承していく。
「身体をぶつけるところで、負けるわけにはいかないですからね」
24-25シーズンのプレシーズンマッチでジャージに袖を通して、心に芽生えた思いがある。背筋がピンと伸びた。
【東芝ブレイブルーパス東京】
エリートコースを歩んできたわけではない。ここまでの道のりは険しく、向かい風にもさらされてきた。それでも、原渕の心は灰色にも黒色にも染まらない。まぶしいくらい真っ白だ。
「負けず嫌いですし、諦めるのはめっちゃ嫌いなんです。両親からも、やるんやったらとことんやり続けろ、諦めずにやり続けろ、と言われてきた。シンプルにラグビーが好きですし、試合に勝ったときはもう最高の気持ちになるので」
チームを代表して戦う緊張感と責任感、それに充実感に包まれながら、原渕は東芝ブレイブルーパス東京の一員として戦う。飽くなき勝利への執念が沸き上がり、自らのすべてを一つひとつのプレーに注ぎ込むのだ。
(文中敬称略)
(ライター:戸塚啓)
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