【物語りVol.124】WTB 石岡 玲英  「僕はここにいる人たちとラグビーがしたい、とすごく感じたんです。」

東芝ブレイブルーパス東京
チーム・協会

【東芝ブレイブルーパス東京】

東芝ブレイブルーパス東京では、多くの皆さまにクラブのことをより知っていただくために、今シーズンもライターの戸塚啓さんにご協力いただき、選手・スタッフ一人ひとりの「物語り」を発信しています。
玲英と書いて「れい」と読む。スペイン語で「王」を意味する「REY(レイ)」に由来し、石岡家の遺伝子も継承する。

「先頭に立つ人になってほしいという願いが込められていて、漢字の『英』は祖父の名前からいただきました」と石岡は明かす。「名前も、漢字も、すごく好きなんです」と、言葉を弾ませた。

 母の導きがきっかけで、楕円球に触れた。

「お母さんの勤務先の社長さんのお子さんが、ラグビーをやっていまして。それで僕も小学校5年から始めて、中学校ではラグビー部に入りました」

 自由な雰囲気のなかでラグビーを楽しみながら、奈良県選抜にセレクトされた。「選抜ではスタメンで出ていませんので」と控え目に語るが、ラガーマンとしての才能は萌芽しつつあったのだろう。

 ところが、高校進学を控えた石岡はラグビーを続けるかどうかを悩むのだ。実は4歳からアイスホッケーに取り組み、中学校になっても大阪府のクラブへ通っていた。小学生年代では大阪府選抜の一員として、全国大会に出場している。

「アイスホッケーが盛んな北海道の高校へ行って、練習にも参加させてもらいました。アイスホッケーをやるか、ラグビーをやるか、ギリギリまで悩んだのですが……」

 奈良県立御所実業高校へ進学する。全国大会出場はもちろん優勝もターゲットとする強豪で、ラグビーに打ち込むことを選んだ。

「高校3年間を振り返ると、すごく有意義な時間でした。でも、もう一度経験したいかと言われると、ちょっともうお腹いっぱいかなあ(笑)」

 どちらも本音だろう。タフで厳しい日々を乗り越えるからこそ、達成感や充実感は大きくなるものだ。

「ラグビー部の竹田(寛行)先生は、ラグビーを通して人間性を学んでいこう、人として当たり前のことを当たり前にできるようになろう、という方針でした。たとえば、落ちているゴミを拾えるようになったら、チャンスが転がっていても気づくよね、拾えるよね、と。日常生活をラグビーへ転換しながら、色々なことを伝えてくれました」

 選手としての転機は、2年時の夏合宿に訪れた。

「1年から試合に出られるところに絡ませてもらったのですが、いつも怒られてばかりで。それなら下のチームへ落としてくれたらと思っていたんですけど、そうはならなくて……」

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いまなら期待の表われと理解して、自らを奮い立たせることができるだろう。しかし、練習についていくのが精いっぱいの1年生は、気持ちに余裕がない。竹田先生に「もう辞めろ」と言われ、石岡は「そんなん言うなら」と心を捻じ曲げた。

「でも、すねても何も始まらないと気づいて、自分なりに覚悟を決めたのが2年の夏合宿でした。御所実業のラグビールールを自分なりに整理して、こういう時はこうするというのをある程度のテンプレートのなかで試して、それがうまくハマったらすごく楽しくて。ここへ人が動くからここへスペースができるとか、そういうことを考えながらラグビーをやると、すごく面白いなって。一気にのめり込んでいきました」

 高校3年時には主将を務める。ここでまた、石岡は貴重な学びを得た。

「一学年上のチームが花園へ行けなくて、何でもっと練習からできなかったんだろう、何でもっと喋らなかったんだろうと、すごく後悔したんです。自分たちの学年では稲葉聖馬と津村大志(ともに現在はリコーブラックラムズ東京)がずっと試合に出ていて、彼らがリーダーになる雰囲気があったのですが、後悔した気持ちをなくしたくないと思って、自分でリーダーをやろう、頑張ろうと思って」

 責任感と使命感に燃えていた。燃え過ぎて、視野が狭くなった。周囲に対する物足りなさが胸でくすぶり、仲間の献身性や努力が見えなくなっていく。主将ひとりが頑張り過ぎた前年のチームを教訓として、石岡を含めた4人のリーダーが大きな柱となるべきなのに、気がつくと自分ひとりが先走っていた。

「竹田先生に『どうしてひとりで抱えているんだ。周りを見ているか?』と言われまして。ああ、そうだなあと」

 3年時は花園の舞台に立ち、決勝戦まで勝ち上がった。桐蔭学園高校に敗れたものの、悔しさの種類は前年とは違った。できることはやった、という思いを抱くことができた。

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大学進学を控えた石岡には、いくつかの大学から誘いの声がかかっていた。そのなかから、関東の伝統校である法政大学を選ぶ。

 1年生から11番を着けてリーグ戦に出場した。2年からはフルバックへポジションを移し、4年時はウイングが主戦場となった。最高学年では、高校に続いて主将を託された。

「リーグワンでラグビーをしたいなら、1年生から頑張らないといけない。ありがたいことに3年の頭ぐらいから、いくつかオファーをいただきました」

 ここで石岡は、自分と向き合う。この先もラグビーをやっていく覚悟があるのか。やるなら、どのチームがいいのか。1年間じっくりと考えたうえで、東芝ブレイブルーパス東京を選んだ。

「大学を卒業したあとのキャリアは、10年くらいが目安になると思うんです。人生の中での10年は短いけれど、10年続けてひとつのことをすると考えたら長い。その10年間に誰と付き合うのかはすごく大事だと思って、僕はここにいる人たちとラグビーがしたい、とすごく感じたんです」

 決断のタイミングがふるっている。

23年1月、石岡は秩父宮ラグビー場へ足を運んだ。東芝ブレイブルーパス東京対三菱重工相模原ダイナボアーズの試合を観戦した。19対23で苦杯をなめた試合後すぐに、採用担当者に電話をかけたという。

「やっぱり、東芝ブレイブルーパス東京やなって。この試合は負けたけれど、勝ち負けは関係ない、絶対にここでやりたい、と思ったんです」

24年度の新加入選手(アーリーエントリー選手)として、石岡は7人の同期とともに東芝ブレイブルーパス東京の一員となった。チームが大切にしてきたカルチャーに、すぐに馴染むことができた。

「年齢に関係なくいじり合ったりして、すごく温かい空気感がありつつ、やるべきところはしっかりやる。ものすごくいい雰囲気です」

 心に大切に刻む言葉がある。

「御所実業の竹田先生に、真面目と真剣の違いを学びました。自分で考えて行動して、失敗もしながら知恵を産み出していくのが真剣。真面目が悪いということではなく、真剣にラグビーと向き合えと教えられまして。それって簡単じゃないですけれど、ラグビーが好きだという純粋な気持ちがあるから、真剣に取り組めると思うんです」

 ラグビーへの真っ直ぐで澄んだ心のそばに、感謝の思いがある。グラウンドに立つモチベーションの芯となるものだ。

「自分がこうしてラグビーをできているのは、中学、高校、大学と色々な人のお世話になって、 両親とか周りの人たちに支えてもらってきたから。たくさん支えてもらっているぶん、自分は真剣に打ち込まないと失礼ですし、結果を出すことで恩返しをしなければ。 キツくても、ツラくても、やらなきゃいけないけれど、業務みたいになってしまうと限界があるので、ラグビーが好きだ、楽しいっていう気持ちはいつも大切にしています」

 日々の練習から一つひとつのプレーを大切にするチームカルチャーのなかで、石岡はどのような刺激を受け、才能を大きくしていくのだろう。小事を大切にしていく彼の日常に、その答えがあるはずだ。

【東芝ブレイブルーパス東京】

試合情報】
12/21より【NTTジャパンラグビー リーグワン2024-25】が開幕!

開幕節は、横浜キヤノンイーグルスに28-21にて勝利いたしました!

東芝ブレイブルーパス東京のホストゲーム開幕戦は、12/29(日)に味の素スタジアムにて三菱重工相模原ダイナボアーズと対戦します。
13:00キックオフとなりますので、ぜひ会場で皆様のご声援をよろしくお願いします!
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著者プロフィール

東芝ブレイブルーパス東京はジャパンラグビーリーグワン(Division1)に所属するラグビークラブです。日本代表のリーチマイケル選手や德永祥尭選手が在籍し日本ラグビーの強化に直接つなげることと同時に、東京都、府中市、調布市、三鷹市をホストエリアとして活動し、地域と共に歩み社会へ貢献し、日本ラグビーの更なる発展、価値向上に寄与して参ります。

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