【物語りVol.123】SH 池戸 将太郎 「いまは1試合でも多く東芝で試合に出たい、という気持ちです。」
【東芝ブレイブルーパス東京】
「父がラグビーをやっていて、テレビ中継があれば必ず観るような環境で。気がついたらラグビーボールに触っていた、という感じでした」
高校進学にあたっては、いくつかの選択肢があった。そのなかから、池戸は神奈川県の東海大学付属相模高校を選ぶ。三木雄介監督から勧誘を受けたことに加えて、東海大学付属大阪仰星高校を花園優勝へ導いた土井崇司先生が、自身の入学と同じタイミングで赴任してくることも入学の理由となった。
「神奈川県から全国大会を目ざすなら、桐蔭学園という選択肢もあったんですけど、桐蔭を倒して花園に行きたいと考えたんです。それに、体験練習の雰囲気が自分に合っていたのも理由でした」
15歳の池戸が抱いた野心は、18歳になっても叶わなかった。花園の芝生を踏むことはできないまま、高校3年間は終わりを告げる。
「でも、全然後悔はしてないんです。ラグビーを学ぶことができましたし、人としてというところを大切にする部活なので、人間的にもすごく成長できました。上下関係がありながらもみんな仲が良くて、すごく充実した3年間でした」
花園には出場できなかったものの、センバツで全国の強豪と戦うことができた。3年時には高校日本代表候補に選ばれている。
【東芝ブレイブルーパス東京】
「ちょうど僕の学年ぐらいから、『行きたいところへ行っていいよ』という感じになりまして。明治大学の監督だった田中澄憲さんに声をかけていただいて、せっかくのチャンスだからチャレンジしてみよう、と思ったんです」
1年時の対抗戦第1節から、紫紺のジャージを身にまとった。2節、3節と3試合連続で出場した。
「最初の3試合に出られたのはすごくポジティブでしたが、そのまま出続けることができなかった。しかも出られない時期が、長い間続いてしまいました」
2年時は関東大学春季大会と対抗戦に、1試合ずつ出場しただけだった。何をしても、うまくいかない。うまくいっても、評価されない。評価されていたのかもしれないが、そうは受け止められなかった。
「変に頑固なところがあったんです……。コーチに指摘されても腑に落ちなければ納得できない、とか」
ラグビーが楽しくない。練習へ行くのが苦痛に感じられる。そんなことは、初めてだった。
「自分なりにここは曲げられない、というのはあってもいいと思うんです。でも、もう少しバランス良く、もう少し柔軟に考えるべきでした。スタンドオフとして『俺に合わせてくれ』という感じだったんですが、2年生の終わりぐらいから自分がどういうプレーをしたらいいのかを、周りの選手に聞くようにしていきました。ヘッドコーチからの指摘も、素直に受け止めるように心がけました。いま思えば、そんなの当たり前のことなんですけどね……」
池戸なりの自己改革は、周りとの関係性を改善させた。3年から出場機会が増えた。4年時はフルバックとして、スタートから出場するようになる。
「フルバックで出ることについて、スタンドオフからポジションを移動させられたと感じる人もいるかもしれません。でも、自分を必要としてくれていると思えたので、ホントに素直に『分かりました、頑張ります』と言うことができました。おかげで最後のシーズンはすごく楽しかったし、ヘッドコーチからの信頼も感じることができました」
人間としての視野も広がった。それまで意識しなかったことに気づき、他者を思いやる気持ちが育まれていった。
「中学、高校とずっと試合に出てきて、試合に出られない人がどんな気持ちなのか、こんな辛いんだ、こんな苦しいんだ、というのが分かりました。試合に出られない立場を経験できたのは、大学の4年間で一番と言っていいぐらい貴重なことです」
【東芝ブレイブルーパス東京】
「初めて声をかけてもらったのは大学3年の夏頃で、日本人で背が高くて、スクラムハーフとスタンドオフができる選手を探しているとのことでした。『でも、僕はハーフはそんなにやってないです』と答えたら、『高校の時の動画を観たよ』と言われまして。ええっ、そんな動画どうやって探したんだろう、とビックリしましたし、『どちらかと言うとスタンドオフではなくスクラムハーフをメインで考えている』と聞いて、またびっくりしました』
驚きの感情を抱えながら、池戸は練習見学へ向かう。東芝ブレイブルーパス東京の選手たちが、気さくに話しかけてくれた。
「練習はすごく真剣にやっているんですけど、終わったあとの雰囲気がファミリー感に溢れていて。これってうわべだけじゃないよな、ホントに仲良くないとこうは見えないよな、と感じました」
東京都出身の池戸は、東芝が現在のチーム名になるかなり以前から、トップリーグなどの試合を観てきた。そのチームが誘ってくれて、選手たちの作り出す雰囲気が素晴らしいのである。加入を断る理由など、あるはずもなかった。
「自分にとって9番はチャレンジですけど、同じポジションの先輩方は、みなさん、惜しみなく教えてくれます。自分もいつかそういう人間になりたい、と思うぐらい親切なんです。9番は専門職なので、9番、10番、15番ができる選手はなかなかいない。そこまでできたら大きな武器になると思う。いまはまだ、全然ですけれど」
【東芝ブレイブルーパス東京】
「正直、先のことは考えていないんです。ちょっと前なら日本代表に入りたいとか答えたかもしれませんが、日本代表になりたくないわけじゃなく、いまは1試合でも多く東芝で試合に出たい、という気持ちです。このチームでまた優勝したいし、 できれば誰も移籍とかしてほしくない。いまはもうホントに東芝に集中して、このチームに貢献できたら、と思っています」
そう言って池戸は、「面白くない答えですみません」と頭を下げるのだ。それがまた、彼の人柄を表わす。相手を思いやることができるのだ。それも、さりげなく。
将軍の「将」と日本男児らしい「太郎」を合わせ、将太郎と名付けられたラガーマンは、東芝ブレイブルーパス東京でのプレーに集中するとの思いを、どのようにプレーに編み込んでいくのか。加入1年目にして「誰も移籍してほしくない」と口にするほどの忠誠心を、どうやってプレーで表現していくのか。どんな立場でもチーム最優先で動ける池戸なら、彼ならではの存在感を発揮できるはずだ。
【東芝ブレイブルーパス東京】
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