【物語りVol.121】PR ヴェア・タモエフォラウ

東芝ブレイブルーパス東京
チーム・協会

【東芝ブレイブルーパス東京】

東芝ブレイブルーパス東京では、多くの皆さまにクラブのことをより知っていただくために、今シーズンもライターの戸塚啓さんにご協力いただき、選手・スタッフ一人ひとりの「物語り」を発信しています。



運命の導き、というものがあるのなら──。

ヴェア・タモエフォラウがラグビーを始めたのも、東芝ブレイブルーパス東京の一員となったのも、天命なのかもしれない。

 ニュージーランドで生まれ、トンガ出身の父も、サモア出身の母もラグビーをしていた。ヴェア少年はと言えば、ラグビーではなくバレーボールに打ち込んでいく。
「小学校で初めてやったスポーツが、たまたまバレーボールだったんです。僕は好きで続けていたんですけど、友だちもみんなラグビーをやっているし、お父さんもお母さんも『何かちょっと、違うんじゃない』みたいに思っていたみたいで、『分かりました、僕もラグビーをやってみるよ』と言って始めたのが13歳でした」

 身体は細かった。サイズも普通である。ぶつかり合いが痛い。ラグビーになかなか馴染めなかった。
「でも、1年ぐらい経つと『下手だけど強いな』と言われるようになって。自分でもタックルがどんどん好きになって、6番でプレーするようになりました。いまよりもランナーだったんですよ」
 チームはU―15のカテゴリーで好成績を収める。ヴェアの前には、オークランドのラグビー強豪校への進学という道が開けた。ここで、思いがけない勧誘を受ける。

運命が、動き出す。

「日本の高校でやってみないか、と言われたんです。すぐに『嫌です』って断りました(笑)。でも、何度も何度も誘ってもらって、『リーチ マイケルも留学した高校なんだよ』と聞いて。リーチさんはニュージーランドでも有名な選手で、僕ももちろん知っていました。その人が通ったハイスクールならいいんじゃないかな、それなら行ってみようかな、と」
 父は賛成してくれた。母は反対した。「離れたくないわ」と悲しむ母をどうにか説得して、ヴェアは南半球から北半球へ向かう。
「雪を見たのは生まれて初めてで、最初の1週間ぐらいは雪に飛び込んだりして遊んでいました。でも、札幌は寒いし、日本語は何も分からないし、すぐに寂しくなりました。日本へ来て3か月くらいは、いつも隠れて泣いていました。ホームシックです。その間はずっと、ミキオ先生にお世話になっていました。何かあったら電話しろと言ってくれて、ファミレスに連れていってくれたり」

 ラグビーの佐藤幹夫総監督らのサポートを受け、未知の環境に少しずつ、少しずつ馴染んでいった。留学生同士で固まりがちだったが、日本人のなかへ思い切って飛び込んでいった。

景色が、変わっていく。

「日本人の優しさがどんどん伝わってきて。分からないことを聞いたら、教えてくれる。ホントみんな、優しくて。練習も楽しくなって」
メンタルが安定すれば、ラグビーに打ち込める。2、3年時は花園行きを果たしたチームでNo.8を任され、2年連続で高校日本代表候補にセレクトされた。
 札幌山の手高校で充実した日々を過ごしたヴェアは、20年春に京都産業大学へ進学する。新型コロナウイルス感染症が、世界的に拡大していくタイミングである。
「コロナの影響でなかなか練習ができなくて、食べてばかりでどんどん太っちゃって。大学1年のときは体重が戻らなくて、パフォーマンスは良くなかったですね。2年からは体重を落としたけど、3年まではリザーブでした。このままだとリーグワンのチームにリクルートされるのは無理だなあと思って、4年から3番で勝負するようにしました。実は体重が増えた1年のときも、プロップをやらないかと言われたんです。そのときは断ったんですけど、パワーでは簡単に負けないし、3番の選手としては走れるほうだと思うので、4年からは切り替えてプロップで勝負しました」

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思考の転換が、キャリアを切り開く。東芝ブレイブルーパス東京のリクルーターの目に留まったのだ。

「3番で続けるのなら来てほしいと言われて、すぐに『行きます』って。他のチームの練習にも参加したんですけど、東芝の練習に一度参加したら、ずっと前からこのチームにいるような感じがしたんです。みんなあったかくて、話しかけてくれるし。チームの文化がすごくいいなあ、って」
 日本行きを間接的に後押ししてくれた偉大な先輩リーチ マイケルが、チームメイトになった。かつて「リーチ2世」と呼ばれたヴェアは「それはホント言い過ぎです。プレッシャーでしかないです」と苦笑いする。
「レジェンドですから。そうやってい言われるのは嬉しいですけど、自分のキャラクターで、自分らしくプレーしていきます」

オールブラックスのリッチー・モウンガやシャノン・フリゼルも、同じクラブハウスで過ごす仲間となった。ワールドカップに出場したことのある選手がいて、これから出場を目ざす現役の日本代表もいる。「テレビで観ていた人たちと一緒に練習するなんて、有り得ないですね」と、ヴェアは頭を下げた。日本人のような立ち居振る舞いが、すっかり身体に馴染んでいる。

「リッチーはシンプルなパス練習を、毎日繰り返しやっている。それが試合での余裕につながるんだと思います。シャノンはパワーがすごい。走り方とか筋トレを見ているだけで勉強になります」
世界のトップ・オブ・トップで戦ってきた歴戦の勇士に、間近で触れることができるのだ。意欲が高まらないはずはない。

「日本代表に選ばれて、ワールドカップに出たい気持ちはすごくあります。27年のワールドカップは、可能性がまったくないわけではないと思うので。このチームで試合に出られるようになれば、そこは見えてくると思うので」

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ラガーマンとしての高みを目ざしたい、という真っ直ぐな欲求が胸のなかで燃える。その道のりがどれほど険しくとも、ヴェアの心はくじけない。家族への揺るぎない愛があるからだ。
「コロナのパンデミックから、ニュージーランドに一度も帰ってないんです。それはホントに辛い。お父さんが一度だけ会いに来てくれたんですけど、家族みんなに会いたいです。僕は6人兄弟の長男で、弟がふたり、妹が3人います。ビデオ通話で話すと、弟も妹もどんどん大きくなっているので、めちゃめちゃ会いたいし、帰りたくなります」

5人の子どもを育てている両親を、経済的に支えたい。弟妹に好きなことをやらせてあげたい。厳しい練習に耐えることが、昨日の自分を超えることが、家族の幸せにつながっていく。
「たくさん頑張って、お金を貯めて、できるだけ親を楽にさせてあげたい。そういう気持ちが、いますごく、僕のなかで燃えてます」

 運命の導きがあったのだとしても、運命を受け入れるのかどうかを決めるのは自分だ。いまをどう生きるのかを決めるのは自分だ。ニュージーランドの家族と心を通わせながら、ヴェアは一日たりとも無為に過ごさない。



(文中敬称略)
(ライター:戸塚啓)

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著者プロフィール

東芝ブレイブルーパス東京はジャパンラグビーリーグワン(Division1)に所属するラグビークラブです。日本代表のリーチマイケル選手や德永祥尭選手が在籍し日本ラグビーの強化に直接つなげることと同時に、東京都、府中市、調布市、三鷹市をホストエリアとして活動し、地域と共に歩み社会へ貢献し、日本ラグビーの更なる発展、価値向上に寄与して参ります。

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