【物語りVol.120】FL 尹 礼温
【東芝ブレイブルーパス東京】
幼少期から身体は大きかった。小学校時はサッカーボールを追いかけたが、周囲からはラグビーを勧められていた。
「大阪朝鮮高校のラグビー部が花園に出ると、家族や近所の人たちが集まってテレビで試合を観たり、スタジアムへ観に行ったりしていたんですね。そういうこともあって、小さい頃からラグビーを勧められていました。それで、中学への進学をきっかけにやってみようと思ったんです」
周囲からの期待を受けて始めたラグビーだったが、礼温少年はすぐにのめり込んでいく。楽しさに目覚めていった。
「サッカーも身体のぶつかり合いはありますけど、ラグビーとは全然違います。タックルをするとか相手に身体を当てることが、新鮮だったし面白かったですね」
高校は大阪朝鮮高校(20年よりへ大阪朝鮮中高級学校へ校名変更)へ進む。尹にとってはあらかじめ決められたルートだった。
朗らかな表情が広がる。
「中学でラグビーを始めた時点で、大阪朝鮮へ入るのも、そこでラグビーをやるのも、何となく決まっているような感じでした」
有名大学やトップリーグでプレーする選手を数多く輩出し、全国大会にも出場してきた強豪である。厳しい練習は覚悟していた。
「厳しかったですね」と頷く。今度は少し、苦そうな笑みがこぼれる。
「先生からも先輩からも厳しく言われましたし、フルコンタクトでの練習も多かったり、走り込みも長かったりで。1年生の時は、ホンマにキツかったです」
けれど、辞めたいとは思わないのだ。
「1年生から試合に出させてもらっていたこともあって、上達していくのが自分でも感じられたんです。試合ではもう、必死でしたけど」
3年時には主将に指名された。
「自分よりチームが最優先で、チームがどうあるべきかをいつも考えていました。いま振り返ると、自分のプレーに全然フォーカスできていなかったですね」
チームが負ける。自問自答する。自分のどこがいけなかったのか。チームの改善ポイントはどこにあるのか。厳しいルーティーンを自らに課してきた主将は、9月に戦線離脱してしまう。
「練習試合で右ひざの半月板を痛めて、手術をすることになりました。これから花園の予選が始まるという大事に時期に、主将の自分がいなくなって、チームに大きな迷惑をかけてしまいました」
主将としての責任感、使命感、存在感を、グラウンド上で示すことができない。歯がゆさに身体が縛られる。一日でも早く復帰しなければならない。それまで見せていたパフォーマンスを、発揮しなければならない。大阪府予選決勝の1週間前に、尹は戦列へ戻った。
「1週間で何とか試合に間に合わせたんですが、自分のパフォーマンスはあまり良くなかったです。結果も出なかったですし」
大阪桐蔭高校に敗れ、尹の高校ラグビーは幕を閉じた。全国大会で顕著は成績を残すことはできなかったが、2年時、3年時とセブンズユースアカデミーにセレクトされていた。将来性豊かなタレントのひとりと見なされる彼には、複数の大学が興味を示していた。
「高校では全国優勝できなかったので、日本一を目ざせるチームでやりたい、という気持ちがありました。それには帝京大学が一番いいだろう、と思いました」
FWが強くて逞しく、プライドを持って戦っている姿に惹かれた。その土台となる練習は厳しく、肉体的にも精神的にも鍛えられた。充実感が表情にこぼれる。
「いやあ、めちゃくちゃ鍛えられました。同級生にも先輩にもライバルが多いし、いい選手がどんどん入ってくるので、練習からすごく緊張感がありました」
【東芝ブレイブルーパス東京】
「初めて試合に出た時は、全然通用しなくて。周りはどう思っていたのかは分からないですけれど、自分のなかでは全然ダメやなと思っていて」
できない自分を嘆くだけではない。自らの現在地を知った尹は、さらに厳しい練習に励んでいく。
「試合に出ると肌で感じるものがあります。やっぱりここが足りないとか、ここはもうちょっと伸ばしていかないといけないっていうものを毎試合、毎試合感じることができますので」
もっと強い自分に。もっとタフな自分に。もっと勝利に貢献できる自分に。成長を求めていく尹は、3年時と4年時に大学選手権の決勝に出場した。4年時は5番をつけ、帝京の大学選手権3連覇に力を注いだ。
卒業後の進路は、早いタイミングで決めていた。
「ラグビーでいけるところまでいきたい、というのがずっと変わらない考えです。帝京大学でラグビーを続けたことでいくつか声をかけていただきまして、3年生の夏合宿の前には東芝ブレイブルーパス東京にお世話になろうと決めました」
加入を打診された選手は、事前に練習参加をすることが多い。ところが、尹は府中グラウンドへ足を運んでいないのである。
「決める前に練習参加はしなかったですけれど、リクルーターさんとか帝京のコーチの方から、すごく温かい雰囲気のチームだと聞きました。ラグビーが自分に合うというのはもちろん大事でしょうが、僕は好きになれるチームに入りたくて。自分にとっては、それが東芝さんだったんです」
「めちゃめちゃ温かく迎えてもらいました。誰も置いてきぼりにしないというか、みんなで助け合う。スタッフの方々も選手の人たちも、誰かが良くなればチーム全体が良くなるという考えで動いている。もちろん、間違っていることは厳しく指摘してくれる。家族みたいなんですよね」
東芝ブレイブルーパス東京では、フランカーでの出場を見込まれている。シャノン・フリゼルや佐々木剛を軸に、激しい競争が繰り広げられるポジションだ。
「日本でもトップレベルの選手たちが揃っていて、シャノン選手は世界でもトップの選手なので、みなさんのちょっとしたスキルとか動きから、日々学ぶことばかりです。すごく良いお手本に囲まれています」
多士済々のタレントが集う東芝ブレイブルーパス東京で、メンバー入りを争っていく。それがどれほど過酷なものであり、だからこそ得るものが多いことを、尹は理解している。
「このチームで試合に出て優勝したい。ワールドカップの代表に選ばれて優勝したい。そのふたつが自分の目標で、それを達成するまでは諦められないし、弱音は吐けない。いくら練習しても足りないと、つねに思っています」
そうやって自らを奮い立たせる胸中では、感謝の思いが育まれている。たくさんの「ありがとう」を、心に深く留めている。
「家族や親戚が応援してくれているのはもちろんですけれど、友だちや友だちのご両親、知り合いの方々とかも、地元へ帰ると頑張ってねと言ってくれます。そういう人たちの存在は、大きなモチベーションになっています」
かつてスタンドで声援を送っていたひとりから、声援を受ける存在へ。困難にぶつかってもくじけずに、しなやかに乗り越えて、東芝ブレイブルーパス東京に勝利をもたらす存在となる。
(文中敬称略)
(ライター:戸塚啓)
【東芝ブレイブルーパス東京】
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