<国内男子ゴルフ>高校時に松山と交流マッチで対戦。阿久津未来也「ぜひまたご一緒できたら」
【©JGTOimages】
「第51回ダンロップフェニックス」
11月14日ー17日 フェニックスカントリークラブ(宮崎県)7042yard・par71 ▼ 14日・大会初日
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招待選手ら海外勢がひしめく初日の順位ボードに名前を並べた。
プロ9年目の阿久津未来也(あくつ・みきや)が、5アンダーの2位発進した。
最後9番の第2打は、思った以上に飛んで、グリーンの奥にこぼれた。
「あたり感は良かったが、風が若干弱くなったのか、自分の中ではがっくり。奥はダメだ」と悔やんだが、ライは思ったより悪くなかった。
「幸いにも左足上りで止まっていた。なんとかパーを、というところでご褒美がきた」とチップインバーディを奪ってガッツポーズが出た。
結果、首位と1差に踏みとどまれた。
「フェアウェイには行ってるんですけど、きょうはティショットも、アイアンショットの質もあまりよくない。正直、5アンダー出る感じもなく不思議な感じ」と、首をかしげる好発進だ。
海風にさらされて、曲がりくねった松林に囲まれた洋芝のコースは「けっして得意ではない。まだ攻略もできていない」。
それでも、前半11、16番で1メートルのチャンスをものにし、ターンして2番と3番では5メートルと7メートルを沈めて連続バーディを奪い、ピン奥5メートルを沈めた7番パー5は、バンカーから出すだけになった第3打が185ヤードも残っただけに、「気持ちはイーグルみたいなバーディ」と、確かな手ごたえがある。
シード3季目の今季はトップ10が5回。
最終日を単独首位で迎えた8月の「横浜ミナト Championship ~Fujiki Centennial~」では初の最終組も経験した。
初Vへ。着実に近づく中で「今年はいろいろなコースで対応する、というのがひとつ自分の中での目標。フェニックスでも初日5アンダー出せた、ということは評価をしたい」と、兆しは感じる。
2年連続の大会出場を決めた松山英樹には、一方的な思い出がある。
地元・栃木の作新学院高校時代に、東北福祉大との交流マッチの機会があった。
ちょうど松山が、日本人アマとして初めてマスターズに出場し、ローアマチュアを獲得して戻った年だ。
「確か帰ってこられたばかりの時で。キャディバッグから、マスターズのお水が出てきた。松山さんは、覚えておられないと思いますけど、ハーフをご一緒させていただいた」と、今も鮮明に思い出す。
「そのころから見たこともない球筋を打たれていて、僕はがちがちに緊張していた」。
それから10余年。
「今は、間違いなく世界に誇る日本のナンバーワン。今週も、必ず上に来られると思いますし、機会があるならぜひ一緒に回らせていただきたい」と、切望する。
プロ入り後の初ラウンドが実現したら、プレーの合間に尋ねてみたいことはたくさんある。
プロ9年目の阿久津未来也(あくつ・みきや)が、5アンダーの2位発進した。
最後9番の第2打は、思った以上に飛んで、グリーンの奥にこぼれた。
「あたり感は良かったが、風が若干弱くなったのか、自分の中ではがっくり。奥はダメだ」と悔やんだが、ライは思ったより悪くなかった。
「幸いにも左足上りで止まっていた。なんとかパーを、というところでご褒美がきた」とチップインバーディを奪ってガッツポーズが出た。
結果、首位と1差に踏みとどまれた。
「フェアウェイには行ってるんですけど、きょうはティショットも、アイアンショットの質もあまりよくない。正直、5アンダー出る感じもなく不思議な感じ」と、首をかしげる好発進だ。
海風にさらされて、曲がりくねった松林に囲まれた洋芝のコースは「けっして得意ではない。まだ攻略もできていない」。
それでも、前半11、16番で1メートルのチャンスをものにし、ターンして2番と3番では5メートルと7メートルを沈めて連続バーディを奪い、ピン奥5メートルを沈めた7番パー5は、バンカーから出すだけになった第3打が185ヤードも残っただけに、「気持ちはイーグルみたいなバーディ」と、確かな手ごたえがある。
シード3季目の今季はトップ10が5回。
最終日を単独首位で迎えた8月の「横浜ミナト Championship ~Fujiki Centennial~」では初の最終組も経験した。
初Vへ。着実に近づく中で「今年はいろいろなコースで対応する、というのがひとつ自分の中での目標。フェニックスでも初日5アンダー出せた、ということは評価をしたい」と、兆しは感じる。
2年連続の大会出場を決めた松山英樹には、一方的な思い出がある。
地元・栃木の作新学院高校時代に、東北福祉大との交流マッチの機会があった。
ちょうど松山が、日本人アマとして初めてマスターズに出場し、ローアマチュアを獲得して戻った年だ。
「確か帰ってこられたばかりの時で。キャディバッグから、マスターズのお水が出てきた。松山さんは、覚えておられないと思いますけど、ハーフをご一緒させていただいた」と、今も鮮明に思い出す。
「そのころから見たこともない球筋を打たれていて、僕はがちがちに緊張していた」。
それから10余年。
「今は、間違いなく世界に誇る日本のナンバーワン。今週も、必ず上に来られると思いますし、機会があるならぜひ一緒に回らせていただきたい」と、切望する。
プロ入り後の初ラウンドが実現したら、プレーの合間に尋ねてみたいことはたくさんある。
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