【ワグナーJr.インタビュー】10・14ナショナル王座挑戦は情熱戦争―ワグナーが乗り越えた名家ゆえの苦悩と、その先にあった想像以上の人生
【PRO-WRESTLING NOAH】
頸椎捻挫によって公式戦3戦を闘ったところでの欠場は言うまでもなく無念の思いを味わったが、幸いにも長引くことはなく最終戦の9・1大阪で復帰し、さあこれから新たな目標を定めていくかという矢先。征矢に呼び込まれたワグナーは王座戴冠を祝福した上で「オーライ!」と返答し、握手に応じた。
首の具合に関しては、「オーサカではナーバスになったけど、動いてみたら問題なかったので、100%OKだ」とのことだったが、肉体面以上に引きずったのがN-1の戦線離脱。GHCヘビー級とナショナルの両王座を獲得しているワグナーは、2つの頂点を経験しながら事あるごとにシングルリーグ戦制覇への強いこだわりを言葉にしてきた。
「私にとってのN-1とは、単なるリーグ戦ではない。2019年に初めてNOAHに参戦したが、そのシリーズがN-1だったんだ。一発目の公式戦の相手がモチヅキ(望月成晃)で、今も強く心に刻まれている。あの試合で、こういうリングなのかといったイメージを植えつけられた。自分にとってのNOAHのスタートライン。毎年、あの初期衝動を思い起こし優勝を目指してきた。それが今年はこのような形になってしまった。メキシカンで初めて優勝トロフィーを手にすることは、タイトルとはまた違った一つのゴールだったのに、ゴールどころか完走さえも…」
だとしたら、来年も出場して優勝を目指さなくてはならなくなりましたねと振ると、ワグナーは少しばかりマスク越しの素顔を曇らせた。今年に懸ける覚悟として、開幕前に「優勝できなかったら、次のN-1には出場しないぐらいのつもりで臨む」と発言していたためだ。
あくまでも「つもり」だから…などといったフォローは、ワグナーに通用しない。それが彼の美意識であり、ダンディズム。もちろん、1年後に自分がどんな気持ちになっているかはわからぬものだし、状況にもよる。
その上で容易に「今年は途中でリタイアしたから次回、仕切り直しを…」と言わないのが、イホ・デ・ドクトル・ワグナーJr.という男なのだと思えた。ましてや自分の意志とは別のところで訪れたチャンス、そうした嫌な流れを変えるのにむしろ恰好のタイミングだと受け取るべきだ。
【PRO-WRESTLING NOAH】
当時の征矢は金剛に属し、メンバーたちがセコンドとしてズラリと背後に並び自分にニラミを効かせるシーンがパッと浮かんできたとワグナー。前回と同じタイトルが懸かりながら、王者と挑戦者の立場が入れ替わるシチュエーションだが、それ以前の変化を警戒していた。
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「一つの目標の達成は、さらなるネクストを必然的に生み出す。今はナショナルタイトルに集中するだけだけど、獲ることで新たに拓ける道があるはず。その過程において、GHCヘビー級も巻きたいとの願望が芽生えるのは当然だ。もちろんそれは、そうなった時に言うべき。今はナショナルのベルトが欲しいと、心から思える」
ワグナーの言葉は、一見するとありがちな「○○を獲ったら次は●●」と映るかもしれない。しかし、根源にあるのはN-1制覇と同じ「メキシコ人初」の誇り。ヘビー級王座とナショナル王座の同時戴冠は、それを具現化した一つの形という価値観だ。
だからワグナーの中でどちらのタイトルが上か的な発想はない。自身より高めるための手段としてのベルトは、何度手にしようと変わらぬ輝きで自分の顔を照らしてくれる。
思えばワグナーは、タッグも王座も含めNOAHにおけるヘビー級のタイトルをすべて手にしている。軽量級によるスピーディーかつ難易度の高い動きが持ち味とされるメキシカンの中で、重量級ゆえに独自性をまとい、方舟のリングが提供するプロレスの幅を広げてきた。
実父のドクトル・ワグナーJr.はジュニアシーンで実績を残した。その姿を幼少の頃に見ていたイホは、はじめから親とは違うヘビー級の道を描いたのだろうか。
「ヘビーウェートでやる姿は、早い段階で頭の中に生まれていた。というのも、私の祖父(ドクトル・ワグナー)とドス・カラスがオールジャパンプロレスでヘビー級としてメインイベントを闘った実績があるのを聞かされていて、そのイメージがあったんだ。 もっとも、十代半ばまでは背が伸びなくて、親父と同じ軽量級になるかなと思ったら、18歳で急激に伸びて今ぐらいの身長になった。もちろんまだ痩せっぽちだったけど、これほどの背丈に恵まれたのであれば、やはりヘビー級でいこうと思って、そこから肉体を作りあげる努力を続けた」
イホが語った祖父の試合とは、1980年3月2日に後楽園でおこなわれた一戦。UWAメキシカンライトヘビー級王座にワグナーが挑戦したタイトルマッチのため厳密にはヘビー級と違うが、両者ともメキシコでは大型の部類であり、何よりジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、ディック・マードックなどを差し置いてメインを張ったとあれば、ワグナー家で代々語り継がれる偉業であるのは間違いない。
私は、イホが初めて日本にやってきた東京愚連隊興行(2018年7月17日、新宿FACE)を現場で見ている。素顔となった父がレイ・ワグナーのリングネームとなり“ドクトル・ワグナー”のブランドを継承する男という認識だったが正直、その時点では日本の老舗系団体でヘビー級戦士としてトップに食い込む存在になるとは想像していなかった。
祖父と父だけでなく母(ロッシー・モレノ)、父方の叔父(シルバー・キング)、母方の叔父(エル・オリエンタル)、母方の叔母(エステル&シンティア&アレダのモレノ姉妹)、そして弟のガレノ・デル・マルとルチャの名家に生まれ、デビューして14年。現在のステータスにまで昇れたことを、本人はどうとらえるのか。
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あまりにも重すぎるワグナー家の名前。おそらく彼が歩んできたのは、脇目も振らずにその血筋を全うする14年間だったのだろう。家族以外で影響を与えられたルチャドールをあげてほしいと振ったところ「父と母以外のヒーロー(ヒロイン)はいない」と、迷うことなく答えた。
「『レスリングへの愛情は絶対に捨てるな。それを失った時が引退の日だ。そこまではレスリングと常に向き合って、目をそらしてはならない』――これが父より教わったアテテュードだ。日々の中で言うなら、今日は疲れたからとか言い訳をして練習をサボるなど、プロレスととことん向き合わずにいる行為だ。 この教えは自分にとって今でも最重要であり、またレスリングに対する愛情は“情熱=パッション”という言葉に言い換えることもできる。常にプロレスへの情熱を持ち続けるのが、ワグナー家の存在証明なんだ」
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これで10・14後楽園ホール、GHCナショナル選手権試合で肝となる部分は把握できたはず。
「ソヤが“ジョーネツ”をぶつけてくるならば、父から授かったパッションで応えるまでだ」
と、ワグナー自身も定まった。2人の情熱戦争によって、GHCヘビー級王座とは明確なまでに違う世界観が描かれるだろう。
(取材&文・鈴木健.txt)
■10.14後楽園ホール大会詳細は こちら
https://www.noah.co.jp/schedule/612/
皆様のご来場、お待ちしております!
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