早大競走部 【特集】新体制対談【第2回】池田海主将×眞々田洸大副将×鷺麻耶子女子主将

チーム・協会
【早稲田スポーツ新聞会】取材・編集 飯田諒、植村皓大

 今シーズン110代目を迎えた早稲田大学競走部。チームを引っ張るのは池田海主将(スポ4=愛媛・松山北)、眞々田洸大副将(スポ4=千葉・成田)、鷺麻耶子女子主将(スポ4=東京・八王子東)。幹部として競走部をまとめる3人に、チームをまとめる上で意識していること、さらにはラストシーズンに向けた熱い思いを伺った。

※この取材は4月20日に行われたものです。

「チームとしての形、強さを後輩につないでいきたい」(池田)

対談中の池田主将 【早稲田スポーツ新聞会】

――最初に他己紹介をお願いします。まず、鷺選手の紹介を池田選手、眞々田選手からお願いします

池田 彼女は高校1年の時からずっとトップで競技をやってきました。女子部員が少ない中でずっとトップでいるのは責任感や苦しさがあったと思います。ただ、その座を譲らずにずっとやってきて、4年生になって女子主将に選ばれてからは、より一層責任感が強くなったと感じています。後輩はすごく増えてきていますが、後輩全体がうまく女子としてのグループでまとまるように、それだけではなくチーム全体がうまくまとまるように動いてくれているので素晴らしい選手だと思います。

眞々田 僕はゼミも一緒で、結構関わる時間も多いと思います。やはり女子目線に立ったら、鷺さんという大きな像があるというか、慕われているのかなと見ています。また自分からしっかりコミュニケーションを取りに行っている姿をよく見ますし、女子の顔といいますか、それこそ今の競走部の女子があるのも鷺の活躍があってこそです。(それによって)今女子部員も増えてきていると思うので、とても尊敬する存在です。

――続いて眞々田選手の紹介を鷺選手、池田選手からお願いします

 眞々田はゼミも一緒なので、部活にいる時とそれ以外の時を見る場面がありますが、多分眞々田のことが嫌いな人はいないと思うくらいいろんな人に好かれるオーラを出していると思います(笑)。多分それは眞々田本人の人柄があってこそだと思います。それから、競技で言うと昨年全カレ(日本学生対校選手権)で優勝していましたが、それにおごることなく、冬季練習でもずっと先頭で練習を引っ張っていました。誰からでも慕われている先輩だろうなととても思いますし、この学年が今1番上に立ってチームを引っ張っていくとなった時にも、眞々田の存在はチームが上手く回るような立ち位置になってくれていると思います。

池田 ずっと寮内で一緒にやってきて、仲が良いです。その中で感じるのは、責任感があることです。400メートルブロックの練習でも彼本人が突っ走るのではなく、全体がどうすればレベルアップできるかを考えている印象があります。今回、僕たちの代で副将が新設されて、眞々田がやっているのですが、本当に僕の手が回らないところも一緒にサポートしてくれてチームとしてのまとまりにつながっているので、とても助かっています。

――最後に池田選手の紹介をお願いします

 先ほど眞々田が言ってくれたことと似ているのですが、池田は今の競走部の1番の顔だと思いますし、池田の存在がグラウンドにあるのとないのとでは全然空気が違ってきます。もちろん後輩とのコミュニケーションなど細かいこともよく頑張ってくれているのですが、それ以上に、池田がグラウンドにいることがすごくチーム全体を引き締めることにつながっていると思います。そういった雰囲気をつくれることもそうですし、主将はとても重圧のかかる役職で、私がサポートしてあげられることはそんなに多くはないのですが、いつも広い視点でチーム全体を見ていると話すたびに感じますし、とても尊敬している存在です。

眞々田 1年生の頃からこの学年を引っ張ってきたのは海君でした。今回主将となって、海君がなんでこの学年のトップにふさわしいのかというお話を合宿の時に大前さん(大前祐介監督、平17人卒=東京・本郷)としたのですが、1番納得のいく言葉がありました。キャプテンシーがあるということです。海くんは発言する言葉の重みというか、自分が見えている視点から発言する内容、それに対する責任感もありますし、一番掲げたスローガンに対して、その目的を体現してくれてるのが、そして(その思いが)この代で一番強いのが池田だと思っています。主将、副将という関係なので、お互いができないところを助け合っていますし、僕もとても尊敬する存在です。

――出会った当初の1年生から3年間経ってお互いの印象で変わったことと変わらないことはありますか

 池田は1年生の時の方が怖かったかな。今は役職柄もそうですし、いろんな部分で話す機会が増えたのですが、おそらく1年生の頃はあまり話したことがなかったと思います。ただ、先ほど眞々田が言ったように学年ミーティングをやる時もいつもしっかり聞いてくれていて、そういった部分でとても責任感もあると思っていました。池田が主将になっていくんだろうなとは最初から思っていました。眞々田は本当に変わってないですね。ずっとこんな感じです(笑)。ただ、1年生の時から2年生、3年生と学年が上がるにつれてマイルリレー(4×400メートルリレー)のメンバーに入って主力になってというようにどんどんレベルアップしてきた姿を見ているので、そういう部分では後輩を引っ張れる存在になったのかなと思います。

眞々田 池田は最初ちょっと怖さもありました。この人と4年間一緒に競技と寮生活できていけるのかなという不安もあったのですが、時間を重ねていくにつれて、中身を知っていけたと思います。池田の強いところも弱いところも苦手なことも、得意なことも全部分かります。池田の知らないところはないぐらいの関係にはなれたと個人的に思っています(笑)。ただ、選手として尊敬するところはずっと変わっていないので刺激になる存在です。鷺に対してはそれこそもう高2の頃から全国レベルの選手で、個人的には知っていたので、そんな選手と一緒に競技をやっていくんだという思いがありました。また、1年生の頃から早稲田のユニホームを着て対校戦で活躍して、早稲田記録も出していたので、やはり追いつく存在になりたいということは当時思っていたことです。

池田 鷺に関しては先ほど言ったように、1年の頃同じ大会に出てはいましたが、あまり喋れていなかったと思います。ただ、やはり最初の紹介でも話したように、ずっと記録も出して、成績を出していたので、そういった面ですごく意識が強かったように思います。ブロックが違っても、やはり競走部の一員として実績を出している同期という意識はあってそこは今の関係になっても変わりません。最初の頃は喋れなかったので、どんな人かもあまり分からなかったのですが、知っていくにつれてすごく印象も変わって、より尊敬できる存在になったと思います。眞々田は1年の頃からずっと仲良くしてもらっています。何でも知っていると言われましたが、本当に色々なことで助けてもらっているので、それが故にかもしれません。印象が変わったことがあるとすれば、面倒見というか、後輩に対する接し方が学年を追うごとに確立されたと思います。やはり彼の上にはずっと先輩がいて、そこについていくというようなイメージが強かったです。ただ、学年が上がっていくうちに後輩の面倒も見るようになったと思います。

――改めて現役職についた経緯、それから副将が新設された経緯を教えてください

池田 主将に関しては漠然とやりたいという気持ちをずっと持っていました。ただ、僕の中では引っかかりというか、このまま主将をやっていいのかという思いもありました。いざこう決めるとなった時がちょうどケガが苦しかった時と重なって、すごく迷いがありました。ただ、そこでやはり主将をやりたいという気持ちが強くなりました。競走部で陸上をやるうえで、チームとしての形、強さを後輩につないでいきたいという思いにも至りました。そこで主将をやりたいという覚悟を決めて、同期にも話をしました。副将をつくった経緯としては、僕がケガしている状態で、実際主将としての役割は変わらないのですが、僕が例えば練習を離脱してしまう可能性もあったので、そういった場合、もちろん僕がいない中でもチーム全体が進む方向に向かってやっていくのがベストではありますが、やはりそこで引っ張っていく人が必要だと思って副将が新設されました。

 女子主将が川村さん(川村優佳氏、令6スポ卒)の代で競走部幹部として初めてできました。女子主将という役割は、やはりすごく立ち位置が難しく、主将が全てを統括している中で男子主将ではないので、そこをどういった組織図にしていったらいいのか難しさを感じています。ただ、新入生は女子もすごく多く入ってくれました。女子として対校戦で今後戦っていくことを見据えたら女子主将という存在になり、ある程度競技の結果とか、そこに同じ高いレベルの試合に行けることで示せるものもあると思いました。すごくやりたかったかというと、そういうわけではないです。あまり私は大勢の前で話すことが得意ではなく、今でもたまに、2人がいなくて全体集合で話す時にカンペを持って話したことがあるぐらいです。また、リーダー経験がほとんどなく、高校時代にも1度も自分が幹部の立場になることもありませんでした。しかし、3年間これまで競走部でエンジをまとって戦っている先輩たちを見てきて、自分もそこで一緒に戦うことができたからこそ、後輩にちゃんと伝えていけることが色々あると思いましたし、恥ずかしいけどやり切りたいというように自分の中で思えたので引き受けました。

眞々田 副将は池田が言ったような内容で決まった経緯はありますが、僕自身中学、高校と主将をやってきましたし、憧れの場所だった早稲田大学競走部でチームを引っ張る立場になりたいっていう思いもありました。その中で池田や鷺など主要な選手たちと協力してやっていきたいという思いがあったので副将になりました。これはやり始めてから気づいたことでもあるのですが、今まではブロック長が幹部としてあったのですが、今回副将という立場になったことで、長距離ブロックにもアプローチできる立場になったと認識しました。今、実際それができているかは別ですが、組織行動がしっかり自分の中で理解できた上で働きかけることが副将になって増えたと思います。

――池田選手、鷺選手は前任者がいらっしゃいますが、何かアドバイスなどをいただきましたか

池田 僕は色々聞いて印象に残っているのは、誰かを追うなということです。誰かの姿を目指すより自分が理想とするチームをつくるために自分がやるべきことをやることが重要だと感じました。

 私も川村さんと話をしましたが、麻耶子らしくていいんだよと言ってくださいました。川村さんは主将をやりながら全カレでも優勝されていて、本当に難しいことをやってのけていた方でした。その後を引き継いだのが自分だったので、川村さんには競技力で及ばない自分が女子主将になったことでみんながどこかで川村さんと比べているのではないかと不安でした。特に去年の世代交代した直後とかはすごく比べてしまって落ち込むことが多かったです。ただ、徐々に去年の代と今の代との空気の違いがはっきりしてきたことでみんなもしっかりとついてきてくれるようになったので、これで間違えてないかもしれないと思えるようになりました。

「冬季練習は明確な目的を持って取り組めた」(鷺)

対談中の鷺 【早稲田スポーツ新聞会】

――続いて競技の話に移ります。まず、冬季練習で重点的に取り組んだことは何ですか

眞々田 僕は去年の全カレで優勝して、自分のレーススタイルが確立しました。監督やコーチ、先輩方からのアドバイスもいただいて自分のレースプランが確立した手ごたえがあったのであとはその精度を高めるだけだと思っています。冬季練習ではその精度を高めていくことを意識して練習していました。また、マイルリレーに関しては強い先輩たちが抜けてしまったので、自分だけが強くなるのではなくマイルを走れる人を増やすことや、400メートル勢の力をつけるといったことにも視野を広く持ちながら練習していました。

 冬季練習の最初の方は特に種目関係なく全員同じメニューをやっていました。その中で自分の種目のことも考えつつ、他の種目の人のその種目特性に今の練習がどう生かせるのかを私も一緒に考えて、それを共有し合うことはずっと心がけてやっていました。意味のない練習にならないようにすることを意識していました。個人としては、1月に早稲田ではなく東京都の方で合宿があり1月に沖縄に行かせていただきました。沖縄の暖かいところで練習ができて、そこで自分の中でかなり良いものを掴んで戻ってくることができました。それを戻ってから継続してやりつつ、後輩にも伝えてそれがはまってきたという声もありました。だらだらと練習するのではなく、明確な目的を持って組めたと思います。

――池田選手はケガをされている中でどのようなことに取り組まれましたか

池田 股関節のケガをしていて、ずっとリハビリをしていたので、全体のメニューには入れていません。その中でまずはケガを治すための課題を洗い出して、それを1つ1つ取り組む形でずっとやってきています。その中でも主将としてやるべきことはありますが、中途半端にはしたくないと思っていました。メニューに入れていなかったので、直接的にメニューの中でチームを引っ張ることや、技術的アドバイスするっていうところはもちろんできないし、きっとそういうことをやろうとすると中途半端になってしまうと思っていました。なので、自分がやるべきことをやる姿勢を見せつつ、見られる範囲でチームの状況を見て、気になったところはアドバイスすることは意識してやってきました。

――シーズンインしてからのコンディションはいかがですか

 シンガポールでのシーズンインだったので、これまでと違いシーズン初戦が1番暑い状況で、なかなか自己ベストからは遠い結果ではありました。ただ、体はよく動いたので良い感覚をつかんで戻ってくることができました。その後、少し痛いところがある状態ではあるのですが、六大学(東京六大学対校)では自分が取ってくるべき点数を取ることができて、記録もここ3年で1番良い、セカンドベストぐらいのタイムがこの時期に出たというのはすごく自分としては嬉しいことでした。先週の出雲グランプリ(出雲陸上)でも痛いところが多くてあまりいい状態では走れなかったのですが、その中でも自己ベストを出すことができたので良い流れで来ていると思います。

眞々田 鷺と同じように僕もシンガポールに遠征をさせてもらって、そこでシーズンインとなりました。冬期ずっと意識してきたことが形となって現れていますし、数字としても昨年よりもシーズンインのタイムが0.6秒ぐらい速くなっていて、現時点でも昨年と比べたら1秒ぐらい速いので、意識し続けてきたことがしっかり形になっているなと実感しています。ただ、ずっと目標としていた出雲で目標達成できなかった悔しさは残っているので、狙った試合で勝ち切れなかった部分は正直冬季練習でもう少し詰められたのかなと思っています。また、マイルリレーに関してはそれこそ自分が率いて危機感を持ってやらなければいけないと思っていた中で、故障者が増えてきて、結構厳しいのが現状です。ブロックを率いる身として、もっとやれたことがあるんじゃないか、走れる選手に対してもっとアプローチできたのではないかという反省が自分の中であるので、マイルに対してはもっと危機感を持っていやっていかないと目標としている全カレ総合優勝には届かないと正直思っているところです。

池田 シーズンインは苦しんでいる選手が多かった印象ではありますが、しっかり形になり始めている選手もいました。六大学はシーズン最初の対校戦でしたが、お互いがフォローしあえるような試合だったと思います。そんな中で、自分のベストパフォーマンスに及ばないけれども、自己ベストを出した選手もいます。同期の千田杜真寿(スポ4=茨城キリスト教学園)は大きくベストを出していましたし、2年生の関口裕太(スポ2=新潟・東京学館新潟)は去年とても苦しんでいましたがやってきたことが形になっていたと思います。全体としてはまだまだこれから状態が上がっていける準備が整いつつあると思います。

――六大学対校で池田選手が走れない中でも先頭に立って応援している姿が印象的でしたが、出られない中でも意識していたことはありますか

池田 当日僕ができることは限られていたのでとにかく応援をするしかない状況でした。ただ、出ないことは既に決めていたので、自分に何ができるかについて考えていました。特に後輩の西徹朗(スポ3=愛知・名古屋)は、海外での連戦からずっといい調子でした。ただ、その中でも崩れそうになることもありましたが、自分のやるべきことがしっかりできるようにサポートしていました。また、チーム全員が自分の目標に対して突き進めるように、やるべきことをぶれずにやれる立ち回りというのを意識してやっていました。

「『早稲田人たる覚悟』を体現する」(眞々田)

対談中の眞々田 【早稲田スポーツ新聞会】

――今シーズンどんなチームづくりをしていきたいかイメージはありますか

池田 今シーズンのスローガンとして『早稲田人たる覚悟』というのを掲げました。そこに込めた思いというのは、110代続く歴史ある早稲田大学競走部の中で、やはり他の大学にはないものがあると思っています。きっと競技に専念することはどこでもできることですが、それだけではなく人間としてしっかり成長すること、アスリートとして人前に立って社会に影響を及ぼすような人間になるためには何をすればいいのかっていうのを常に考えられるようにこのスローガンになりました。確かに分かりづらい概念ではあると思いますが、それぞれが意味を考えることが重要だと思います。例えばなぜ陸上に専念できているのか、どんな人の支えのお陰なのかといった、陸上から一歩引いた視点で選手全員が考えられるようになると、個々の強さがとても上がってくると思います。個々の強さが確立されれば必然的にそのチームとしてのまとまりもできると思うので、そういったチームを目指しています。

――今年は長短のブロックの垣根を越えた結束を重視しているように見えますが、その点で意識していることはありますか

眞々田 特にこの代は伊藤大志(スポ4=長野・佐久長聖)が駅伝主将、相川賢人(スポ4=神奈川・生田)が駅伝主務をやっていることもあって、長短の壁が非常に薄いことが僕たちの学年の強みだと思っています。短距離だけで考えるのではなく、大志や相川、石塚(陽士、教4=東京・早実)たちと力を合わせてやっていくことが大事だと思っています。長距離はどうしても駅伝に方向がシフトしてしまうと思いますが、大志は結構対校戦での短距離側の思いも汲み取ってくれています。

池田 これまではどちらも干渉せずという雰囲気だったのですが、別々に考えず、1つの競走部として考えることを形だけでなく、しっかり活動中から取り組むことを常に考えています。その成果はこの前の対校戦でも少しずつ出てきていると思います。

――役職に就かれてから、チーム運営で感じた難しさはありますか

 1年生が入ってきてそれぞれ学年が一つ上がり、役割が変わってきたと思うので、それについてしっかり各学年で話し合って、自分たちが何をやるべきなのか共通の認識を持って全員が行動することがとても重要だと思っています。その上でそれをどうやって伝えていくか、それをいかに言語化して伝えるかが難しいと思っています。また今年は特に新入生の人数が多く、新入生にしっかり伝わらないと下から崩れてしまう構造になりやすいと思っているので、早稲田大学競走部はどういうものなのか、ここで競技をするっていうのはどういうことなのかを理解してもらうのがすごく難しいと感じます。

眞々田 こういった役職についたからこそ、自分の行動と発言に責任を持たなければいけないと思っています。例えば自分が発した言葉がどれだけ相手にとって説得力があるかが重要かなと思っていて、それこそ110代目のスローガンを一番体現していかなければならないのが自分たち4年生だと思っているので、どういった姿であるべきなのかは日頃意識しています。

池田 隠れていること、日頃見られていない部分も常に見られていると考えて行動することを意識しています。結局自分のことを一番律することができるのは自分だと思うので、甘えず愚直に信じたことをやりきらないといけないと思います。

――現役職についてから成長したと思うことはありますか

眞々田 先ほど話しましたが、中学、高校の主将とはわけが違います。副将という立場でも、歴史がある組織の中での幹部として活動していているので、先輩としてあるべき姿でなければいけないという責任感が強くなりました。先輩がつくってきたものを継承していかなければいけないので、自分の立ち振る舞いなどへの責任感は幹部になる前に比べたら強くなったかなと思います。

 自分の行動や存在が後輩にどんな影響を与えるのか、意識することが強くなりました。例えば練習でも同期の中だったらウエートトレーニングで女子の中では一番の重量を上げようとしたり、なるべく練習を離脱しなかったりなど、いろいろなところで背中で語りたいなって思っています。自分の競技の最後の1年間でもありますが、それ以上にみんなの競技生活の1年間を女子主将という立場で預かっていると思っているので、一人一人が苦しい思いをしているのを放置せず、しっかり1人ずつと向き合ってやっていきたいと思います。

池田 これまで自分本位になってしまうことが多かったのですが、主将になってから視野を広く持って、1つの事柄がいろいろなことが関係して結果として出ていることが見られるようになってきました。そういう見方ができるようになったからこそ、自分が掲げる目標に対しての道筋をより明確にしやすくなって、自分のやるべきことに集中しやすくなったとは思います。

――1年生は既に練習に合流していますが、1年生にはどのような印象を持っていますか

眞々田 フレッシュさは羨ましいな(笑)。

池田 結構ガツガツくる感じです。

眞々田 僕らの下の学年の中だと1番のびしろがありそうというか、いい顔をしていると思います(笑)。

 女子に関しては、今までにないぐらい強い選手が多く入ってきて、おそらく今の4学年の中で1番実績を持っている学年ではあります。どうして早稲田で陸上をやりたいのかをいろんな子に聞いていると、これから2年後、3年後にエンジがすごく似合う選手になるんだろうなと思ってとても楽しみです。

――今年、2年生、3年生で特に期待する選手はいますか

 もうみんな楽しみです!

池田 今後は注目してほしい選手としては、障害ブロックの権田浬(スポ1=千葉・佐倉)ですね。どんな選手が見ても光るものを持っているので、今後是非注目して欲しいです!

眞々田 森田陽樹(創理2=埼玉・早大本庄)ですね。冬季練習中は今年から大体走力が同じくらいのメンバーでセットを組んで練習していました。元々僕と森田は違う組だったのですが、森田も積極的に取り組んできてくれて、それこそ練習でも僕が負けそうになるくらい、食らいついてきていたので、やはり期待はしたいと思っています。また、2年の平田和(スポ2=鹿児島・松陽)も冬季練習中、倒れそうになるまで金本昌樹(スポ4=東京・日大桜丘)や盛岡優喜(スポ3=千葉・八千代松蔭)、田中天智龍さん(令6スポ卒、現エイジェック)たちについて行っていました。大きなケガもなく消化できていると思いますし、シーズンインも良い調子だと思うので、活躍してくれそうだなと思っています。

――最後に今シーズンに向けて質問させていただきます。まず、今年の個人としての目標をお願いします

 まずは関東インカレ(関東学生対校選手権)の100メートルと200メートルで優勝すること、それから4×100メートルリレーで優勝することです。それから、全日本インカレではこれまで決勝に進めていないので、まずしっかり決勝に進んでしっかり戦って表彰台に乗ることが目標です。全日本インカレの4×100メートルリレーは去年4位だったのですが、予選のタイムから2位には行けたはずでした。昨年からメンバーが一人も抜けていないので、全カレでは表彰台の一番上に上りたいです。

眞々田 昨年全カレで優勝して、もう学生に負けることは許されないと思っているので、対校戦は全て勝ち切ることです。マイルリレーは昨年悔しい思いも経験して、先輩方の思いもつないでいかなければと思っているので、マイルリレーも対校戦は全て勝つことが目標です。また、日本選手権に今年初めて出られるので、しっかり決勝に残って勝負したいと思います。

池田 全カレの総合優勝に貢献することです。ケガ次第ではありますが、それまでに関東インカレや日本選手権で記録を出して、来年の世界大会につなげられるようにしたいです。

――今年のチームとしての目標をお願いします

池田 男子は全カレ総合優勝です!

 女子は全カレ総合3位です!

――ありがとうございました!

他己紹介中におどける眞々田とそれを見つめる二人 【早稲田スポーツ新聞会】

今年の競走部のスローガンである『早稲田人たる覚悟』を書いていただきました! 【早稲田スポーツ新聞会】

◆池田海(いけだ・かい)(※写真中央)
2002(平14)年4月26日生まれ。188センチ。愛媛・松山北高出身。スポーツ科学部4年。自己記録:110メートル障害13秒66。六大学の時、独自のWポーズを提案していた池田選手。これは1年の時からずっとやりたいと温めておいたものだそうです!

◆眞々田洸大(ままだ・こうだい)(※写真左)
2002(平14)年7月26日生まれ。179センチ。千葉・成田高出身。スポーツ科学部4年。自己記録:400メートル46秒08、200メートル21秒12。シンガポール遠征のお土産にドリアンのチョコを池田主将に渡したそうですが、味の方はあんまり…?終始笑顔で答えて下さったのが印象的でした!

◆鷺麻耶子(さぎ・まやこ)
2003(平15)年1月3日生まれ。167センチ。東京・八王子東高出身。スポーツ科学部4年。自己記録:100メートル11秒67、200メートル24秒29。シンガポール遠征が初の海外だったという鷺選手。猛暑の中自転車で80分かけて行った島が一番印象に残っているそうです!
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著者プロフィール

「エンジの誇りよ、加速しろ。」 1897年の「早稲田大学体育部」発足から2022年で125年。スポーツを好み、運動を奨励した創設者・大隈重信が唱えた「人生125歳説」にちなみ、早稲田大学は次の125年を「早稲田スポーツ新世紀」として位置づけ、BEYOND125プロジェクトをスタートさせました。 ステークホルダーの喜び(バリュー)を最大化するため、学内外の一体感を醸成し、「早稲田スポーツ」の基盤を強化して、大学スポーツの新たなモデルを作っていきます。

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