岡山仙治 譲れないものを譲るとき

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岡山仙治(おかやま ひさのぶ)/1998年2月5日生まれ(26歳)/大阪府出身/身長168cm体重90kg/石見智翠館高校⇒天理大学⇒クボタスピアーズ船橋・東京ベイ(2020年入団)/ポジションはフランカー 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】

「岡山君のハーフタイムの表情が印象的でした」と試合後にチームフォトグラファーから伝えられた。納品された写真を見ると、試合中であることを疑うような表情をした岡山選手が写っていた。
どこかを見るわけでもない。感情を出すわけでもない。普段は明朗快活な人柄を知っているだけに、意外な一枚だった。
これは2020年11月のブラックラムズとの練習試合での出来事。試合は前半を終えてブラックラムズがリード。相手の外国人選手にことごとく突破を許し、ディフェンスに課題を残した前半だった。

2020年11月7日に行われた練習試合。最終スコアは17対41でスピアーズが敗戦。当時ルーキーイヤーだった岡山選手は前半の40分出場。 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】

後に本人に聞くと
「なにもできていない自分のパフォーマンスに呆然としていました。特にタックルは相手を止めきれず落ち込んでいました」
とその時の心境を振り返る。
ただこうした悔しさは成長の種。きっとこの時の悔しい経験が岡山選手を飛躍させる。
「公式戦に初出場した時のためにこの写真は取っておこう」そう決めてストックしていたのを思い出す。けれどそれは実現しなかった。
今シーズンを最後に岡山選手は引退するからだ。

大学時代 プレースタイルを変えた指揮官からの一言

「譲れないもの」とはなんだろう。
スポーツ選手には、キャリアを通じて確立されていく「譲れないもの」がきっとある。
岡山仙治にとって、「タックル」がきっとそれだった。
大柄な選手が多い現代ラグビーにおいて168㎝の身長で勇敢に戦う。それも肉弾戦こそが必修科目と言えるフランカーのポジションで。
どんな間合いでも瞬時に相手の足元に突き刺さるタックルこそが彼の持ち味だ。相手の大きさや強さ、日本人だろうと外国籍だろうと彼の肩の向く方に迷いはない。見ているこちらも勇気がわくような、そんなプレーを見せてくれる。

「モットーとしているのは『ビビらないこと』と『気合い』です。自分にとってラグビーは、結局最後はそうしたメンタルのところだと思っています。そういえば、昨年退団した井上大介さん(天理高→天理大→スピアーズ)には『気合い』 ってあだ名をつけられてましたね(笑)」

そのコメント通り、常に気迫あふれるプレーを見せる。そして愚直なまでのハードワークでチームのために身を粉にする姿を見せた。
岡山選手のタックルといえば、パスが空中に浮いている間に相手の間合いに入って倒す、いわゆる「詰める」タックル。しかし、彼はここでは終わらない。もしこの「詰める」標的にタックルを外された、もしくはパスをされてしまった場合には「詰める」のと同じスピードで後ろに返って次の標的を倒す。このリカバリーの力は相手にとっては脅威で、きっと相手はこう思うはず。「あれ?お前ついさっきまでタックルしてたじゃん」。

実は大学2年生までは、こうしたプレーはしてこなかったとは言う。
「タックルで目立ちたいという気持ちがありました。ビッグタックルを見せたいという気持ちが強かった。その後のリカバリーとかワークレートとかはあまり気にしていませんでした。走れない選手だったので」

それでも大学時代は2年生から公式戦に出場し続ける。U20日本代表にも選ばれて、自身のプレーに手応えを感じていた。そんなシーズンの締めとなるミーティングで、指揮官に呼び止められて言われた言葉が忘れられない。
「お前、チームが大切な時にいないよな」

95年から天理大学の監督を務め、古豪を復活させた小松監督。その指揮官の選手を見る目は冷静だった。いつも通りの穏やかな口調でも、吟味された突き刺さる言葉を投げかける。岡山選手が言われたその言葉は、自身のプレースタイルを変えるきっかけになった。
「ショックでしたね。自分自身では評価されていると勘違いしていましたが、評価されていなかったんだと。それからはもうハードワークです。練習でも試合でもとにかく走った。そうすると不思議なことに、走れないと思っていたはずの走力がどんどん伸びていったんです。自分で限界を作っていた。だから、結局メンタルなんですよね」

それからの岡山選手は4年生時に主将に抜擢。チームにとって大切な時に常にいる存在へと成長し、後の天理大学日本一達成の基礎を作った。

試合では足元に突き刺さるタックルを連発する 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】

「あと1試合だけさせてください」

2020年にスピアーズへ入団してからも、そのプレースタイルは変わらない。よりフィジカルの強度が増すなかタックルで刺さり続けた。オフフィールドでは明るく元気なムードメーカー。チームの内外のだれからも応援され、公式戦への出場が期待されていた。

そんな彼がラグビーをやめる。それはもうタックルをすることができなくなったからだ。きっかけは昨シーズンの終盤に立て続いた脳震盪。検査やリハビリをしながら約半年にわたる休息を経て、今シーズン再びピッチに戻ってきた。
脳振盪の危険はあってもスタイルは変えられない。体を張ることが自分の存在意義、それこそがチームへの貢献、そんな思いを持って日々練習に取り組んだ。だが非情にも、練習で再び脳振盪を起こしてしまう。その脳振盪から数か月たった練習試合では、プレー中に激しい頭痛を引き起こした。

自身のキャリアで最後の試合となった2024年1月28日のリコーブラックラムズ東京戦 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】

「チームからはもうプレーさせることはできないと告げられました。これで終わりだな、と覚悟を決めていたので引退については納得しました。けれどダメ元で『あと1試合だけさせてください』と頼みました。もちろん断られましたけどね。それでもお願いしたのは『これが最後の試合だ』と思ってプレーしたい気持ちがあったからです。例え練習試合だとしても、やっぱり試合は特別なんですよね。あと1試合がしたかった。そこだけは未練が残ります」

だが岡山選手は前を向く。「スピアーズで学んだことの一つ」と話すNext Job(切り替えて次の仕事に備えること)で、自分がなにをできるかを模索した。
チームに貢献することは全力を出すこと。これに尽きる。だけど自分はプレーできない。だから今できることに全力を注ぐ。

練習ではリハビリの合間にタッチラインの外から仲間に声をかける。
不振が続いたある日のフォワードミーティングで、自分の思いを託すように話した日もあった。
「俺はスピアーズの力強く前に出るフォワードが好きだ。けどそれは自分にはできない。その代わりにスタンドから全力で応援するから強い姿を見せてほしい」

【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】

「自分のラグビー人生に悔いはありません。ラグビーに育ててもらいました。今こうしてチームにいることも会社にいることもそのおかげです。中学時代までの自分なら今の立場にいることさえできなかった。高校に入って寮に入り、周りの先輩が格好良くて憧れた。『自分もこうなりたい』、そう思ってここまできました」

引退が決まってから、岡山選手はチームや職場と相談して、社業に専念する時間を他の社員選手よりも増やしてもらった。それはもちろん自身のNext Jobのひとつかもしれないが、それと同様にチームを含めたお世話になった人たちに尽くしたいという思いもある。
「ラグビーに割く時間が多かったので、今は仕事についていくのに必死です。ですが嬉しいこともあります。営業に回った先のお客様から『今度試合見に行くよ!』といったポジティブなコメントをいただくと、チームが広告塔になっているんだと実感します」
と嬉しそうに話してくれた。

次のドアを開けるとき

試合会場のスタンドからひときわ大きな声が響く。岡山選手の声だ。
「押せー!」
「入ったー!」
「まだいけるぞ!スピアーズ集中―!」
恥もなにもない。声が枯れても気にしない。
自分が選手としてこのチームにいる時間は限られている。これが選手としてできる最後のプレーだ。タックルせずともチームに貢献することをやるだけだ。

公式戦では試合前のグッズ販売やファンサービスにも積極的に参加した 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】

譲れないものを譲るとき
そこには少し格好良くなったと思える自分がいた。

譲れないものを譲るとき
周りには共に戦う仲間がいた。

譲れないものを譲るとき
自分のラグビー人生に感謝した。

大丈夫、次の舞台でもここで得たものはきっと活きる。
全力を尽くすこと、失敗してもすぐにリカバリーして次の仕事に向かうこと。

譲れないものを譲るとき
それは、次のドアを開けるとき。

グラウンドに響く声は彼の貢献の証 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】

文:クボタスピアーズ船橋・東京ベイ広報担当 岩爪航
写真:チームフォトグラファー 福島宏治
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著者プロフィール

〈クボタスピアーズ船橋・東京ベイについて〉 1978年創部。1990年、クボタ創業100周年を機にカンパニースポーツと定め、千葉県船橋市のクボタ京葉工場内にグランドとクラブハウスを整備。2003年、ジャパンラグビートップリーグ発足時からトップリーグの常連として戦ってきた。 「Proud Billboard」のビジョンの元、強く、愛されるチームを目指し、ステークホルダーの「誇りの広告塔」となるべくチーム強化を図っている。NTTジャパンラグビー リーグワン2022-23では、創部以来初の決勝に進出。激戦の末に勝利し、優勝という結果でシーズンを終えた。 また、チーム強化だけでなく、SDGsの推進やラグビーを通じた普及・育成活動などといった社会貢献活動を積極的に推進している。スピアーズではファンのことを「共にオレンジを着て戦う仲間」という意図から「オレンジアーミー」と呼んでいる。

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