【連載】早大『令和5年度卒業記念特集』 鶴見汐花/馬術
馬と共に歩んだ4年間
父親が乗馬クラブを経営していたこともあり、生まれたときから馬が身近な存在だったという鶴見。初めて馬に乗ったのは首が座ってすぐだった。早稲田大学を志すようになったのは、スポーツ科学に興味があったから。スポーツ科学部の受験方法を検討する中で、馬術部への推薦入学があると知り、入学を決めた。
馬術部に入部してすぐ、新型コロナウイルスの流行によって環境は一変した。少しずつ練習が再開されたとき、鶴見は自分の馬を部活に移動させたり、実家でトレーニングをしたりするために、実家と部活の練習場を往復することが多かった。新型コロナウイルスに感染して家族にうつしてしまうことへの不安や、それでも部活に出るために移動をしなければならないという葛藤の中で、大変な時期だったと振り返る。これまでの馬術と大学馬術の違いにもとまどったという。大学馬術の特徴として、個人結果よりも団体結果を重視する傾向がある。今まで個人戦に多く出場していた鶴見にとって、はじめは団体戦の仕組みもわからなかった。しかし、大学で経験を積んでいく中で、団体戦を意識するようになり、「みんなのために私も頑張ろう」という意識が芽生え始めた。
東京六大学競技大会で中障害をクリアする鶴見とエオウィン 【早稲田スポーツ新聞会】
大学馬術の最後の1年となった2023年度、馬術部の部活動停止という大きな出来事があった。その期間中は部員との接し方やチームのまとめ方、またスケジュールの調整など悩むことが多くあり、何度も体調を崩すことがあったという。部活動が再開になった後でも部活に行くことがつらく感じるときもあったが、その時に「部活に行って練習しよう」と思わせてくれたのは3年生の時に自分の馬として買ってもらったエオウィンだった。多くの人の協力のもと開催された12月の全慶應義塾対全早稲田定期戦(早慶戦)では、最後の種目となった中障害にエオウィンと出場。準優勝を果たし、チームとしては3年ぶりの早慶戦制覇に貢献した。大学を卒業したあとも馬術を続けたいと思ったきっかけもエオウィンだった。それまで、馬術は親がやっていたから始めたものであり、自分から馬術を楽しむというよりも受け身でやっているところがあったという。エオウィンは今まで乗ってきた馬に比べて気難しい性格で、なかなか乗りこなせなかった。しかし練習を重ねていくうちにできることが増えていき、馬術の楽しさを再認識した。それからもっと馬術を続けたいと思うようになり、早稲田大学を卒業した後はオランダに留学し、馬術についてもっと勉強することに決めた。
早慶戦でエオウィンとの最後の走行後、笑顔の鶴見 【早稲田スポーツ新聞会】
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