【連載】早大『令和5年度卒業記念特集』 鶴見汐花/馬術

チーム・協会
【早稲田スポーツ新聞会】記事 梶谷里桜、写真 横山勝興、梶谷里桜

馬と共に歩んだ4年間

 2年連続で副将を務め、馬術部の団体戦メンバーに不可欠な存在として活躍した鶴見汐花(スポ4=栃木・佐野日大中教校)。大学生活を振り返ると苦労は多かったが、その時に支えになったのは4年間毎日顔を合わせて世話をしてきた馬たちだった。4年間の軌跡とその時々の思いを振り返る。

 父親が乗馬クラブを経営していたこともあり、生まれたときから馬が身近な存在だったという鶴見。初めて馬に乗ったのは首が座ってすぐだった。早稲田大学を志すようになったのは、スポーツ科学に興味があったから。スポーツ科学部の受験方法を検討する中で、馬術部への推薦入学があると知り、入学を決めた。

 馬術部に入部してすぐ、新型コロナウイルスの流行によって環境は一変した。少しずつ練習が再開されたとき、鶴見は自分の馬を部活に移動させたり、実家でトレーニングをしたりするために、実家と部活の練習場を往復することが多かった。新型コロナウイルスに感染して家族にうつしてしまうことへの不安や、それでも部活に出るために移動をしなければならないという葛藤の中で、大変な時期だったと振り返る。これまでの馬術と大学馬術の違いにもとまどったという。大学馬術の特徴として、個人結果よりも団体結果を重視する傾向がある。今まで個人戦に多く出場していた鶴見にとって、はじめは団体戦の仕組みもわからなかった。しかし、大学で経験を積んでいく中で、団体戦を意識するようになり、「みんなのために私も頑張ろう」という意識が芽生え始めた。

東京六大学競技大会で中障害をクリアする鶴見とエオウィン 【早稲田スポーツ新聞会】

 少しずつ日常が戻ってきて、迎えた2022年度。この年の早稲田は記録づくしの1年だった。4月の東京六大学競技大会では、鶴見は最優秀選手賞を受賞し、チームも9年ぶりの総合優勝を達成。4年間で1番印象に残っているという関東学生競技大会では障害馬術の総合優勝を果たした。11月の全日本学生大会では史上初の3種目総合の準優勝。鶴見はその全てで団体のメンバーに入り、チームの勝利に大きく貢献した。

 大学馬術の最後の1年となった2023年度、馬術部の部活動停止という大きな出来事があった。その期間中は部員との接し方やチームのまとめ方、またスケジュールの調整など悩むことが多くあり、何度も体調を崩すことがあったという。部活動が再開になった後でも部活に行くことがつらく感じるときもあったが、その時に「部活に行って練習しよう」と思わせてくれたのは3年生の時に自分の馬として買ってもらったエオウィンだった。多くの人の協力のもと開催された12月の全慶應義塾対全早稲田定期戦(早慶戦)では、最後の種目となった中障害にエオウィンと出場。準優勝を果たし、チームとしては3年ぶりの早慶戦制覇に貢献した。大学を卒業したあとも馬術を続けたいと思ったきっかけもエオウィンだった。それまで、馬術は親がやっていたから始めたものであり、自分から馬術を楽しむというよりも受け身でやっているところがあったという。エオウィンは今まで乗ってきた馬に比べて気難しい性格で、なかなか乗りこなせなかった。しかし練習を重ねていくうちにできることが増えていき、馬術の楽しさを再認識した。それからもっと馬術を続けたいと思うようになり、早稲田大学を卒業した後はオランダに留学し、馬術についてもっと勉強することに決めた。

早慶戦でエオウィンとの最後の走行後、笑顔の鶴見 【早稲田スポーツ新聞会】

 早稲田大学の馬術部に入って、人間的にも、馬術の技術も成長できたという鶴見。この経験を生かし、さらなる「人馬一体」を求めて進んでいく姿を心から応援したい。
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著者プロフィール

「エンジの誇りよ、加速しろ。」 1897年の「早稲田大学体育部」発足から2022年で125年。スポーツを好み、運動を奨励した創設者・大隈重信が唱えた「人生125歳説」にちなみ、早稲田大学は次の125年を「早稲田スポーツ新世紀」として位置づけ、BEYOND125プロジェクトをスタートさせました。 ステークホルダーの喜び(バリュー)を最大化するため、学内外の一体感を醸成し、「早稲田スポーツ」の基盤を強化して、大学スポーツの新たなモデルを作っていきます。

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