才田智 イヴの日に流した涙のワケ

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才田智(さいたさとし)/1993年6月7日生まれ(30歳)/福岡県出身/身長180cm体重114kg/東福岡高校→同志社大学→クボタスピアーズ船橋・東京ベイ(2016) 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】

激闘のブルーレヴズ戦 試合後に溢れた感情

12月24日、静岡ブルーレヴズ戦。クボタスピアーズ船橋・東京ベイは、耐えに耐えた。序盤から目立ったペナルティは嵩み、自陣のゴールラインを割られたのは1度や2度ではない。
それでも点差は離されず、後半立ち上がりには立川主将のキックから木田選手のトライに繋げる昨年度決勝でも見せたプレーで4点差まで迫る。ここからが自分たちのターンだ。勢いを取り戻し逆転に繋げる。そんな緊張感漂う後半15分に才田選手は途中出場した。

後半先制はスピアーズだが、決して優勢とは言えない。防戦一方となる時間が続いた。ブルーレヴズのスクラムがスピアーズを自陣釘付けにした。だが、才田選手を含めたフォワード陣は耐える。そして取り返す。ギリギリの攻防から少ないチャンスを全員で繋いで19対16と残り5分で逆転。勝機を掴んだかのように思えた。

だが決着はラスト1プレーまでもつれる。20フェイズ近く相手の攻撃を止めた末、相手10番にインゴールに飛び込まれた。最終スコア19対23。激闘の末の敗戦だった。
チームのだれもが肩を落とす中、とりわけ落胆していたのが才田選手だった。手で涙をこらえている姿が見えた。

「まず悔しい。そして次に出てきたのが(チームの)期待に応えられなかった、という感情です。ノーサイドの笛がなり、ロッカーに戻る際に自然と込み上げるものがありました」

試合を振り返りそうコメントする才田選手。
試合前には「これがラストチャンスだ」と自身の進退を賭けて、意気込んだ試合だった。
しかし敗戦という現実を目の当たりにして、心の奥からからこみ上げてきた感情は「チームの役に立ちたかった」という歯がゆさや悔しさだった。

才田選手は18番を付けて後半15分から出場 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】

小学校はピチピチのバスケシャツ、中学入学では門の前に柔道部

才田選手の話を聞いていくと、才田智という人柄を説明するのにぴったりのエピソードがあった。それは自身の小学校のころまで時間をさかのぼる。
才田選手がラグビーと出会ったのは小学校4年生。そこからラグビーの道に一筋!と思ったが実はそうではないという。なぜなら5年生の時にバスケットボール部から熱い誘いを受けたからだ。

「自分の体格を見て感じるものがあったのか顧問の先生に誘われました。公式戦に出場するのに規定の人数に足りないからという理由で、いきなり公式戦に出させられました。けれど、それが面白くてそこからはバスケットにのめり込みましたね。当時から体は大きく身長も体重も学年で一番後ろ。バスケットのユニフォームがピチピチすぎてかわいそうだからって、特注で大きいサイズのユニフォームを作ってもらいました」

小学校時代はバスケットでその体格を活かした才田少年。中学進学後もバスケットボール部に入部しようと考えたが、中学校の入学式でもまた思わぬ出会いがある。
「マンガのような話なんですが、中学の入学式で柔道部が門の前で待っていたんです。そこから柔道部の部室に連れていかれて『お前は柔道をやるべきだ』と」

バスケットを始めた時と同様、ここでも才田選手の体格を見て柔道部が猛プッシュ。そしてなんとここでも才田選手は柔道部に入部してしまう。平日は柔道、土日はクラブチームでラグビーを続けるという中学校生活を送る。

「押しに弱いのかなんなのか。そんなに言われたらやってみよう!という気持ちになりました。必要とされるのが嬉しかったんでしょうね」

「必要とされたい」
才田選手の話を聞くと、プレーの原動力はここに集約されている。

そんな思いはスピアーズに入団後も現れる。2016年にスピアーズに入団した才田選手だが、入団直後は苦労の連続だったという。
「走力もコンタクトもスキルもついてくのに必死でした。入団1年目はとにかくきつかったのを覚えています。けれどその中でも一番きつかったのは、試合に出場してチームに貢献している同期たちがいるなかで、自分が貢献できていなかったこと。『チームに必要とされる存在になりたい』そう思って取り組んでいました」

痛い、苦しい。けれどチームに貢献できていない自分でいることはもっと辛い。そうした思いを胸に才田選手は努力を続け、入団2年目にして公式戦に初出場を果たす。後半32分で出場したデビュー戦、試合終了間際にトライを決めて勝利を決定づけた。

才田選手のデビュー戦は2017年8月26日に瑞穂ラグビー場で行われたレッドハリケーンズ戦。デビュー戦で初トライという活躍を見せ、チームのだれもが祝福した 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】

一本一本の緊張感、1年1年が勝負の年、やめろと言われるまでこのチームで貢献したい

あのデビュー戦から約6年半。才田選手は先日のクロスボーダーマッチで、デビュー戦以来のトライを決めた。

クリスマスイヴの試合後に見せた表情とは違い、そこには皆から祝福され充実した表情の才田選手がいた。

2月10日に行われたギャラガー・チーフス戦では前半40分から出場。後半にはフッカーの江良選手や逆サイドのプロップの紙森選手など若い選手と共に相手スクラムを押し込んだ 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】

そんな才田選手は、現在のチームをこう語る
「入団時もしんどさはありました。けれど、今のスピアーズは緊張感が違うというか、いい意味でピリピリしたものを感じます。チームの成長とともに雰囲気も変わったんでしょうね。だから一日一日が気が抜けない、一本のスクラムやひとつのプレーが常に真剣勝負」

才田選手はフランヘッドコーチ体制初年度からチームを見守ってきた。故に試合結果だけでは感じ取れない張りつめたものを肌に感じる。ただそうした「勝負の世界で生きる集団」の空気感は勝負所で現れる。
第3節のブルーレヴズ戦以降、スピアーズは5試合連続で5点差以内の僅差の試合。拮抗した試合のなかでいかに少ないチャンスをモノにするか。その戦いは日々の練習から始まっている。

「試合や練習だけでなく、毎シーズンが勝負だと思っています。自分の年齢を考えて、あとどれだけプレーできるかわからない。スピアーズは自分のラグビーキャリアの中で最後のチームだと思っています。毎年、『ああ、また1年スピアーズでプレーできるな』と感謝してシーズンを迎えています」

ラグビーを続ければ続けるほど、プレーしたい理由は増えてくる。
共にラグビーの道を歩んでいた兄(才田修二さん、東福岡高校→同志社大→花園L)も2022年に現役を引退した。

職場ではいつも声をかけてくれる同僚の存在が背中を押してくれた。

グラウンドで共に切磋琢磨する同期の存在はいつだって心強い。

「チームだけでなく会社を含めて、自分が力になれる存在でありたいと思っています。一日でも長くプレーしたい気持ちはありますが、必要とされなくなった時には『ありがとうございました』といって去る覚悟はできています。やめろといわれるまでこのチームに貢献していきたいです」

才田選手のポジション、プロップ。その名前の由来は「支柱」「支えになる人」だという。
例えどんな大きな建物だろうと、この支柱がなくては成り立たない。そして、その支柱が感じる想いや苦悩は知る由もない。
だがそれでいい。チームの支えとなっている自分自身の実感があれば、まだ走れる。まだ頑張れる。
才田選手は今日もチームの支柱として貢献する。

【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】

文:クボタスピアーズ船橋・東京ベイ広報担当 岩爪航
写真:チームフォトグラファー 福島宏治
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著者プロフィール

〈クボタスピアーズ船橋・東京ベイについて〉 1978年創部。1990年、クボタ創業100周年を機にカンパニースポーツと定め、千葉県船橋市のクボタ京葉工場内にグランドとクラブハウスを整備。2003年、ジャパンラグビートップリーグ発足時からトップリーグの常連として戦ってきた。 「Proud Billboard」のビジョンの元、強く、愛されるチームを目指し、ステークホルダーの「誇りの広告塔」となるべくチーム強化を図っている。NTTジャパンラグビー リーグワン2022-23では、創部以来初の決勝に進出。激戦の末に勝利し、優勝という結果でシーズンを終えた。 また、チーム強化だけでなく、SDGsの推進やラグビーを通じた普及・育成活動などといった社会貢献活動を積極的に推進している。スピアーズではファンのことを「共にオレンジを着て戦う仲間」という意図から「オレンジアーミー」と呼んでいる。

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