松下怜央、迷いなきプレーで見えた決断力

チーム・協会
心境がプレーから垣間見える瞬間がラグビーにはある。
昨年末の12月27日、横浜キヤノンイーグルスとの練習試合で見せた松下怜央選手のプレーがそれだった。

開始1分でのスクラムでセンターの松下選手がボールをもらうと、相手ディフェンスにできたスペースに迷わず走り込んだ。右から来たタックルを弾き、左から受けたタックルを引きずり、左右のフォローを見て同期の二村選手にボールを託した。そのまま二村選手がトライ。開始1分でルーキー二人が繋ぐ圧巻の先制トライだった。

「バックスからはパスやキックのオプションも用意されていました。けれど、自分が行くと伝えました。ここで逃げないプレーをすることが12番の役目だと思いましたし、なにより自信がありました」

その時のプレーをそう振り返る松下選手。実はこの日が初めてスピアーズでセンターとして出場した試合だった。それまでチームで任されたポジションはウィング。そんな慣れない挑戦でも、自身が語るその心境通りの迷いなきプレーをファーストタッチで見せた。

松下怜央(まつしたれお)/2001年1月31日生まれ(22歳)/神奈川県出身/身長183cm体重93kg/関東学院六浦高校→早稲田大学→クボタスピアーズ船橋・東京ベイ(2023) 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】

中学進学時の苦い経験がラグビーとの出会い

バックスとしては大型とも言える体形に、瞬発力に長けた運動能力、そしてステップとキック。そんな松下選手は神奈川県で生まれ育った。ラグビー選手としての素質を兼ねそろえた松下選手が、関東地方のなかでもラグビーが盛んな地域と言える場所でラグビーを始めるのは自然な流れだったかもしれない。だがこのラグビーとの出会いは、少しほろ苦い思い出を回顧する必要がある。

松下選手は小学校まではサッカー少年。地元のクラブに所属しそのスキルを磨いた。エネルギーもあり余り、サッカー以外の時間も友達とマンションの階段や廊下を駆け周り、都会のなかで活発に育つ。「もっとサッカーがうまくなりたい」そんな思いで、サッカー名門校を目指して中学受験を希望したのは自分の意志だった。

その意志に家族も協力的だったと思い返す。
「塾にも通わせてくれましたし、受験の際は一緒に車中泊して試験に臨んでくれました。受験の関係でサッカーに通えずチームメイトからいい顔をされなかったこともありましたが、保護者を通じて母が説明してくれたこともありました」

だが志望校へ進学することは叶わなかった。当初は親子で落ち込むこともあり、松下選手にとっての中学受験は、ほろ苦い思い出となった。それでも本人の気質か親への感謝の気持ちがそうさせたのか、進学した中高一貫校の関東学院六浦中では前向きな気持ちで入学したという。そんな中で出会ったのがラグビーだった。
「初めて出会ったラグビーは、サッカーと違って手でボールを扱うことの楽しさに魅了されました。実際入部すると練習はきついし痛かったですが」

新しい生活で新しいスポーツと出会った松下選手は高校でもラグビーを続ける。そのころには体格も成長し、17歳以下のラグビー日本代表に選出されるまでにその才能は開花していた。2017年に行われたU17の代表試合では、周りは強豪校の選手たちに囲まれながらも、堂々と日の丸を背負ってプレーした。

自身の強みはボールキャリーだという松下選手 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】

大学進学時の大きな決断

そんな松下選手に大学進学時に、もうひとつの転機が訪れる。それが早稲田大学への進学だった。候補の進学先の中で、早稲田大学以外の大学はほぼ確約の好条件。対する早稲田大学は不確か、チャレンジの進学先だった。
母は早稲田大学ではない学校への進学を促した。それは中学受験で経験した苦い思いをもうさせたくないという親心だったかもしれない。

だが、松下選手の心は決まっていた。
「早稲田でラグビーがしたい」
そう自分で決断し、後には引けない状況に自ら追い込み早稲田にかけた。母には相談しなかった。反対されることがわかっていたからだ。決断を告げた日のことを松下選手は鮮明に覚えている。
「早稲田に決めたことを母に伝えると、案の定叱られました。けれど、『絶対に受かる、受かってみせる』と母を説得しました」

自身の決断を母だけでなく自分にも言い聞かせるようにして心を強く持つ。そうして臨んだ試験、結果は合格だった。反対していた母が泣いて喜んでくれた姿を見て、あの決断に間違いはなかったと自信を持った。

早稲田大学進学後はラグビー部でさらに揉まれ、壁にぶつかることしばしばあった。だがその度に自分で考えて突破口を見出し、その決断を応援してくれる家族や仲間たちがいた。そうやってここまで成長し、今はリーグワンでの公式戦出場を狙う。

ウィングもセンターもできるユーティリティな働きが期待できる松下選手。まずは公式戦出場に向けてリザーブ入りが目標かと思ったが、彼の意志はここでも明快だった。
「先発での出場です。ほかのチームの同期たちも活躍しているので負けられません」
そう迷いなくコメントした。

ラグビーも人生も、いい時もあればうまくいかない時もある。
果たしてこれが自分の進むべき道なのかと、疑いたくなる時もある。
けれど、大切なのは自分でその舵を切り、その決断に対して責任を負うこと。
そうして生きている人に、周りはきっとサポートを惜しまない。

年末の練習試合で松下選手が見せてくれたプレーには、そんな彼のこれまでの軌跡が刻まれていた。

サッカーが大好きで、それを追った先で楕円のボールと出会ったのが約10年前。
あの頃の松下少年は、いまラグビー選手として力強い一歩を踏み出している。

【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】

文:クボタスピアーズ船橋・東京ベイ広報担当 岩爪航
写真:チームフォトグラファー 福島宏治
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著者プロフィール

〈クボタスピアーズ船橋・東京ベイについて〉 1978年創部。1990年、クボタ創業100周年を機にカンパニースポーツと定め、千葉県船橋市のクボタ京葉工場内にグランドとクラブハウスを整備。2003年、ジャパンラグビートップリーグ発足時からトップリーグの常連として戦ってきた。 「Proud Billboard」のビジョンの元、強く、愛されるチームを目指し、ステークホルダーの「誇りの広告塔」となるべくチーム強化を図っている。NTTジャパンラグビー リーグワン2022-23では、創部以来初の決勝に進出。激戦の末に勝利し、優勝という結果でシーズンを終えた。 また、チーム強化だけでなく、SDGsの推進やラグビーを通じた普及・育成活動などといった社会貢献活動を積極的に推進している。スピアーズではファンのことを「共にオレンジを着て戦う仲間」という意図から「オレンジアーミー」と呼んでいる。

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