4年ぶりの陸前高田訪問。これからもフロンターレとともに。

川崎フロンターレ
チーム・協会

【©KAWASAKI FRONTALE】

12月15日、16日の2日間にわたってフロンターレの選手たちが2019年以来4年ぶりに岩手県陸前高田市を訪れた。コロナ禍の影響で足を運べない時期もあったため、久しぶりに感じる地元の方々の温かさに選手たちも自然と笑顔になっていった。

フロンターレと陸前高田の歩み

献花の場“海を臨む場”で黙祷する選手たち 【© KAWASAKI FRONTALE】

2011年3月11日に発生した東日本大震災。綺麗な街並みが津波によって流されている映像は今でも鮮明に覚えている。当時も言葉にならないほど絶句した。そんなときフロンターレに川崎市の小学校の先生から相談の連絡が来た。

「友人が先生をしている陸前高田の小学校で教材が流され、校庭には仮設住宅を整備するなど、教育現場も大きな困難に直面しているそうです。フロンターレ算数ドリルを送ってくれませんか?」

東日本大震災津波伝承館で震災当時の話を真剣に聞く 【© KAWASAKI FRONTALE】

迷わずスタッフは算数ドリルを車に積んで10時間をかけて現地へと向かった。これを機にフロンターレと陸前高田の交流が始まり、同年にクラブ独自の被災地復興支援活動「東日本大震災復興支援活動Mind-1ニッポンプロジェクト」を立ち上げ、選手・スタッフが参加して等々力陸上競技場や川崎市内の駅での街頭募金などを実施。また陸前高田の魅力を発信すべく、ホームゲームイベントでは陸前高田のグルメを楽しめる「陸前高田ランド」、陸前高田市のマスコットキャラクターたかのゆめちゃんとカブレラの挙式を挙げた。選手たちも「何かやれることはないだろうか」と2011年から選手会主催の「陸前高田市サッカー教室」を開催するなど、クラブ・スタッフ・選手が様々な活動を通してともに復興への道のりを歩んできた。

4年ぶりの訪問

1日目の交流会にて。陸前高田の皆さんも天皇杯優勝を喜んでくれた 【© KAWASAKI FRONTALE】

トップチームの活動として4年ぶりとなる陸前高田への訪問。1日目は復興の取り組みに関わる映像、写真、被災物などが展示されている東日本大震災津波伝承館や震災の講話、リンゴ農園、牡蠣養殖場に足を運んだ。初めて来る選手たちも「この活動や交流を継続しなければいけない」と口を揃え、自分の目で見て色んなものを肌で感じた様子だった。

「震災のとき、僕は11歳でした。当時もテレビで見て深く考えることもありましたが、実際に被災された方の話を直接聞くと、時間は経ったけど簡単に傷が癒えるものではないと感じました。これからフロンターレが交流し続けることが大事だと思う。僕は初めて来ましたが、これから若い選手たちが色んな思いで引き継いで陸前高田の方々と交流していきたいと思いました。陸前高田の方々にフロンターレを応援してもらっていることが嬉しいですし、その応援に応えられるようにやっていきたいです」(山田新選手)

「講話で現地の方に話を聞かせていただいたのは初めての経験です。震災から12年が経った今でも、心の痛みが消えることはないと感じました。だからこそ自分たちには何ができるのかを考えさせられた時間でした。震災から時間が経つごとに被災していないからといって薄れていってしまうのではなく、これから僕たちは現地の方々の思いを心のなかにもって生活していきたい。僕たちはサッカー選手なので、この経験を通して強い覚悟で1日1日を過ごしていかなければいけないと思いました」(上福元直人選手)

濱口智さんと早坂勇希選手の2ショット。早坂選手も「陸前高田での活動を継続していかなければいけない」と語っていた 【© KAWASAKI FRONTALE】

講話を担当してくれたのは実際に被災したハマちゃんこと濱口智さん。当時のことを思い出し、涙ながらに選手たちに伝えようとしてくれた姿に胸を打たれる。そんな濱口さんはフロンターレが陸前高田に来てくれたことで救われた。

「僕にとっても陸前高田にとっても、フロンターレは復興のために一緒に走ってくれた存在だし、自分の居場所も作ってくれました。震災後、家も家族も無事だった人はすごく肩身の狭い思いをしたり、『俺はここにいていいんだろうか…』と思うこともありました。でも、フロンターレのおかげで自分がここにいていいんだと思える。クラブスタッフからお願いされて街にタペストリーを張ったりポスターを配ったり。それをやることで喜んでくれる人がいることを考えると、自分の居場所はここなんだと思うことができるんです」(濱口さん)

あの日の深い傷が癒えることはない。でもフロンターレが関わることで少しでも笑顔や居場所を作れることができているのであれば活動を継続してきた意味につながるのだろう。

誰よりも楽しんで笑顔を届けていたのが登里享平選手だった 【© KAWASAKI FRONTALE】

2日目は選手会主催のサッカー教室を開催。登里選手も「若い選手よりはしゃぎすぎた(笑)。でも、そうやって一緒にやることで心が近くなる」と話すように、どの選手も笑顔でゲーム形式のときには「失点したあとが大事だぞ!」「自分たちから崩れないぞ!」「集中!」など試合さながらの声が飛び交うなど本気モード。子どもたちも楽しそうにボールを蹴る様子を見ているだけで嬉しくなる。

「地元の方やサッカー教室に参加してくれた子どもたちが笑ってくれている姿は個人的にも幸せを感じました。ゲーム形式のときは、選手たちも負けず嫌いなのでたくさん声を出していい雰囲気でやることができました。自分のチームは2連敗から始まってしまったので、本気でやりましたし、楽しかったです。これからも川崎フロンターレの一員として、この場所に行き続けたいと思っています。少しでも子どもたちに夢や笑顔を与えられるサッカー選手になっていきたいと思っています」(大関友翔選手)

積極的に子どもたちと交流していた大関選手は高卒1年目。このように初めて陸前高田へ来た若い選手が、色んな思いを胸にサッカー教室を開催してきた先輩選手たちの思いが引き継いでくれていると認識できたのも今回の訪問で大きかった。サッカー教室を主催した選手会会長の安藤駿介選手も感慨深そうな表情を浮かべて言葉を紡ぐ。

「久々に多くの選手と陸前高田に行くことができ、現地の方々や風景を見て懐かしい気持ちになりました。ここへ来ると皆さんが笑顔になってくれるので改めてチームとして活動を続けてきてよかったなと思えます。正直、若い選手のなかには震災のことをあまり知らない選手もいると思いますが、講話などで感じたものがあると思います。これだけ多くの方に歓迎されて、笑顔になってもらえているので嬉しいです。この活動は復興支援から始まりましたが、友好協定も結んでいるのでお互いにいい関係を築いていきたいです。陸前高田は食べ物も美味しいですし、そのことを広めるための役割をフロンターレが担っていきたいと思っています。僕らはそれしかできませんから。軽々しく皆さんの前で『頑張れ』と言えないですし、経験した人にしか分からない気持ちでもあります。だから僕たちは寄り添って現地の皆さんに笑顔になってもらえるような活動をしていきたいです」

これからの関係性

本気モードで子どもと触れ合う山田選手 【© KAWASAKI FRONTALE】

現在の陸前高田は復興が進み、道の駅や子どもたちが林間学校に利用できる施設が建つなど徐々に活気が戻ってきている。だからこそ、これからは支援から始まった陸前高田との関係もお互いが支え合える関係性を築いていけるように活動することが大事になる。それは陸前高田フロンターレサポーターずとして活動のアテンドをしてくれた松本直美さんや講話をしてくれた濱口さんも思いは同じだ。

「ここは遠い岩手県陸前高田市ですが、フロンターレのすぐ側に私たちがいると思ってくれたら嬉しいです。スタッフの方も含めて『ただいま』と言ってくれます。遠い場所にいるけど近い存在。そして寄り添ってくれる存在です。私はサッカーのことは何も分かりません。でもフロンターレが来てくれて思ったのは、スポーツはこんなにも人を笑顔にしてくれるんだということ。このまま継続してフロンターレとずっと寄り添い合っていきたいですし、お互いがWin-Winになれているからこそ、ずっとその関係で歩んでいきたいです」(松本さん)

「僕たちはフロンターレを支えたい。応援で選手を後押ししたり、等々力に行って声援を送って高田の人が来ているからと頑張ってもらえたらなら嬉しいです。僕らにとっては応援できるチームがあるのは幸せなんです。だから勝てばすごく嬉しいし、負けたらすごく悔しい。また、フロンターレと仲良くしているから川崎に住んでいる人が旅行に来てくれる人が増えてくれれば、Win-Winの関係になっていけると思っています」(濱口さん)

円陣で心をひとつに! 【© KAWASAKI FRONTALE】

第2のホームタウンと言える陸前高田。ここは何回でも来たいと思える人の温かさを感じることができる場所だ。

「ただいまと言っておかえりと返ってくるアットホームな感じが全てを物語っている」(脇坂泰斗)

「自分にとって陸前高田は『ただいま』と言える場所です」(登里)

選手・スタッフが帰り際に発した言葉は「また来ます!」。これからも陸前高田とともに──。

(高澤真輝)
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著者プロフィール

神奈川県川崎市をホームタウンとし、1997年にJリーグ加盟を目指してプロ化。J1での年間2位3回、カップ戦での準優勝5回など、あと一歩のところでタイトルを逃し続けてきたことから「シルバーコレクター」と呼ばれることもあったが、クラブ創設21年目となる2017年に明治安田生命J1リーグ初優勝を果たすと、2023年までに7つのタイトルを獲得。ピッチ外でのホームタウン活動にも力を入れており、Jリーグ観戦者調査では10年連続(2010-2019)で地域貢献度No.1の評価を受けている。

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