佐々木千隼 マリーンズからベイスターズへ スタートライン 新しい風

千葉ロッテマリーンズ
チーム・協会

マウンドで躍動する佐々木千隼投手 【千葉ロッテマリーンズ提供】

 ふと耳に入ってきた曲があった。偶然、聞いたその曲の歌詞はスッと自然と大学時代の佐々木千隼投手の耳に入ってきた。

 自宅でボッとしていた時だった。「どんな時も 信じることをやめないで きっと チャンスは何でも 君のそばに~」。聞き終わると自問自答を繰り返した。諦めそうになる心と向き合い、もう一度、挑戦することを決めた。

 「大学二年の時ですね。全然勝てなかった。歯が立たなくて、自分にも自信がなくて、そんな落ち込んでいる時に偶然、この曲を聞いたんです。試合で負けても、野球がまったくうまくいかなくても、頑張らないといけない。人生とはそのようなものだなって。奮い立たせてもらいました」

 馬場俊英さんの「スタートライン~新しい風」。その歌詞は佐々木にとっては自分の人生そのものに感じた。自分を信じ続けた、そしてチャンスはまだあるといつも前を向いた。この曲の歌詞と同じ想いがいつも自分で自分を励ましていた。

 野球エリートではない中で挫折を繰り返し試行錯誤しながら生きてきた。中学までは軟式野球部。高校では一塁と外野手として都立高校で名門私立校を倒そうと頑張った。高校2年の冬、東京都選抜メンバーに選ばれて、意気揚々と向かったロサンゼルス遠征。そこでレベルの差を痛感させられた。ひと際、目についたのが現カープの鈴木誠也(二松学舎大学付属)だった。どこまでも飛んでいくボールに、自分がちっぽけな存在に感じた。同じ年とは思えなかった。差は歴然。その背中はキラキラと輝いて見えた。
 
 「高校生とは思えなかった。化け物。直接、見てレベルの違いを感じました」

 天と地の差。それでも、だからこそさらに野球を極めて、不可能に挑戦したいという想いを抱いた。それは生まれながらの負けん気の強さからくるものであり、目の前で見た鈴木誠也という同じ年のスーパースターに刺激を受けたものでもあった。

 桜美林大学に入ると本格的にピッチャーとしてマウンドに上がるようになる。しかし、球種も少なく、なかなかうまくはいかなった。2年の時にチームが一部昇格をするとなおさら力の差を感じた。負けるのが、打たれるのが怖く、どうしようもなく辛かった。自信はなくなり、何度も諦めようかと思った。そんな逃げ出そうとした時に馬場俊英さんの「スタートライン~新しい風」が耳に入ってきた。この曲は「もうダメさ これ以上は前に進めない。そんな日が誰にだってある」から始まる。元々、知っている曲ではあったが心が折れそうな時に聞くと歌詞の一つ一つが胸に響くようだった。励ましてくれているように聞こえた。

 ハッとさせられた。大学生活はまだ半分も終わったわけではない。自分を信じ練習の虫となる事を決意した。今まで積極的ではなかったウェートにも挑戦をした。その後も挫折をしそうになるとこの曲を聞いて自分を励ました。そして大学3年になると頭角を現すようになる。

 ちょっとしたことがキッカケでグングンと力が伸びていった。140キロそこそこだったストレートは150キロに達した。気が付くと大学4年次にはドラフト注目選手となっていた。そしてドラフト会議ではプロ5球団が1位指名。マリーンズのユニホームに袖を通した。絵に描いたようなサクセスストーリー。今までわき役だった若者は突然、誰もが羨む物語の主人公になっていた。しかし、このことがまた佐々木を悩まし、苦しめ自信を奪っていくことになる。

 「それまでプロを自分の将来の中で身近に感じていませんでした。それが4年の夏ぐらいから急に注目をしてもらえるようになって。ただ、今思うとそのギャップに戸惑いがあった。いきなりガッと違う世界に連れて行ってもらった感じ。キツかったです」と佐々木千隼。

 栄光のドラフト1位でプロ入りをしたが、再び自分自身を失いかけ、自信もどこかに置き忘れたかのような日々が始まった。1年目の春季キャンプでは連日、マスコミの注目の的となった。当時の事を佐々木千は「ドラフト1位だから、もっと頑張らないといけない。これでは駄目だと、自分で自分をただ苦しめていた。結局、どんどんマイナスになっていた。メディアも沢山いて、気負っていた。今思うとなんであんなに追い込んで悩んでいたのかなあと思う。本当に苦しい時期でした」と振り返る。

 アマチュア時代にほとんど注目をされていなかったこともありメディア慣れをしていなかった。自身の行動の一挙手一投足を追うカメラに重圧を感じ、ストレスを深めていった。気負った投球に襲い掛かる怪我。一年目こそ先発で4勝を挙げたものの、翌18年は右ひじを手術して一軍登板ナシ。19年は2勝で20年は春季キャンプで右肩を痛め大きく出遅れ、わずか5試合の登板で未勝利に終わった。防御率は8・31。二軍戦でも打ち込まれた。まさに、どん底。しかし、それこそが転機となった。開き直った。

 「二軍でもボコボコに打たれて・・・。でも、そこで吹っ切れた部分がありました。今までは実際に投げるボールと思い描いているボールのギャップなどに思い悩んでいましたけど、そうじゃなくて今、投げられるボールで勝負するしかないと。出来ないことを追い求めるのではなくて今できることでチャレンジする。なんかふと、もうちょっと力を抜いて気楽にやってみようと思ったんです。それからちょっと余裕が持てるようになりました」

 勝負の5年目となった21年。先発ではなくセットアッパーとして再出発した。新しい仕事場での可能性を見出したのは現マリーンズ監督で吉井理人投手コーチ(当時)。2月18日に沖縄本島で行われたイーグルスとの練習試合(金武)では2回を無失点に抑えると、その後も練習試合、オープン戦を通じて結果を出し、アピール。一軍の切符を手に入れた。マリーンズでは07年ドラフトで1位入団をした唐川侑己投手が18年からセットアッパーに転身し存在感を増した。佐々木千隼も同じように環境を変える事によって力を発揮できるようになった。可能性が広がった。

 安定感抜群のピッチング。テンポいい投球で試合の中盤を支配する。ビハインドの場面で逆転が生まれるのは決まって佐々木千隼が投げた後であることは決して偶然ではなく必然。その投球がチームに勢いと活気をもたらし、その後、マリーンズ勝利の方程式で欠かすことが出来ない存在となっていく。21年には初めてオールスターゲームにも選ばれた。吉報を聞いた佐々木千隼は「プロ入りからここまで辛いことばかりで・・・。なんか、報われたような気がした」と目を潤ませながら喜んだ。

 キレのあるストレートと独特の横に曲がるスライダーとシンカーが武器。その投球は苦労人だからこその渋さがある。苦しみ悩み抜き、ポジションを確立した。その過程で気持ちの変化があり、色々な事を学び成長した。ただ、一つ変わらない事があった。好きな曲だ。苦しい時に原点に戻れる曲は今もやはり馬場俊英さんの「スタートライン~新しい風」である。

 大学時代だけではなく、相次ぐ怪我に見舞われ思うような投球ができない日々。苦しかったプロ入り後も、この曲がいつも励まし背中を押し続けた。「どんな時も 信じることをやめないで きっと チャンスは何度でも 君のそばに~」。この曲を聞き終わると不思議と勇気が湧き、ずっと聞いた。「プロ入りする前もその後もボクは聞いています。移動のバスの中とかで聞いて励ましてもらっている」と特別な曲への想いを口にした。

 12月8日。現役ドラフトでのベースターズ移籍が発表となった。「離れるのは寂しい気持ちがある」と佐々木千だが、すぐに「ボクにとってはチャンス。ありがたいこと」と前を向いた。そして「まさに新しいスタートラインですね」と笑った。これからも大好きな歌と共に自分を信じて、進んでいく。佐々木千隼は12月11日、横浜で入団会見を行った。新しいスタートラインに立った。

千葉ロッテマリーンズ広報室 梶原 紀章

 
  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

球団に関するニュース、球団広報によるコラム、オフィシャルライターによるチームのこぼれ話や球団情報をお届けします。お楽しみに!!

新着記事

編集部ピックアップ

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着コラム

コラム一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント