【順天堂大学】プロ選手、警察官、大学教員―多彩な経歴を持つバレー部中田学監督が学生に託す「最も大切な教え」とは
【JUNTENDO UNIVERSITY】
指導者として日本代表チームに初参加
さまざまなチームから選手や指導者が集まる日本代表では、やはり短期間で“チーム”をつくる難しさを痛感しました。合宿から大会まで2カ月ほどの間でチームを仕上げていくため、特に意識していたのが、まずコーチである私自身が、監督が目指しているバレーをしっかり理解することです。その上で、監督の方向性を練習内容や指示に落とし込み、選手が迷わずにプレーできるよう気を配っていました。
また、今年2月には、男子日本代表のフィリップ・ブラン監督が指揮を執る「男子日本代表若手有望選手合宿」にもコーチングスタッフとして参加し、トップチームの練習内容やスキルを学ぶ機会をいただきました。代表チームに参加して学んだ練習方法の中のいくつかは、順天堂大学での練習にも取り入れています。指導者としての引き出しを増やすことができたのは、大きな収穫だったと思います。
【JUNTENDO UNIVERSITY】
バレーボールを通じて人間性を高める
私が日頃から指導の柱に据えているのは、バレーボールを通じた「人間性の育成」です。これまでいろいろな選手を見てきましたが、大成する選手は、競技の能力だけでなく、素晴らしい人間性も備えています。卒業後にどんな道に進んでも、一社会人として周りの方に認められる人間性を培ってほしい。そう考えて、練習中はもちろん、学校生活や私生活でのあいさつ、礼儀、報連相の大切さは、本当に口酸っぱく選手に言いますね。「一生懸命バレーに打ち込むこと、勝利を目指すことは当たり前。その上で、バレーを通じていかに人間性を高めていくかが大切だぞ」と。
【JUNTENDO UNIVERSITY】
とはいえ、初めから良い関係が築けていたわけではありません。コーチとして順大に戻ってきた当初は、学生に対して一方的に決めつけるような話し方をしていたこともあって、決して良い関係とは言えなかったんです。この10年、前監督である飯塚初義先生が指導する姿や、ほかの競技の選手・指導者との交流を通してコーチングとは何かを学び、選手とのコミュニケーションの仕方を変え、ようやく現在の形ができました。今は、私の提案に対して、学生が「こっちの方がいいんじゃないですか?」とためらわずに言ってくれていますし、私から「頼りにしてるよ」「ここはお願い」と学生を頼ることも多いんです。
【JUNTENDO UNIVERSITY】
バレーボール人生で迎えた3度の転機
バレーボールを始めたのは、小学生の時です。小中高と競技に打ち込み、高校時代は高校生の日本代表にも選ばれ、将来はバレーボールと長く関わることができる教員になりたいという夢を持つようになりました。
順天堂大学に進学した後は、身長の低さをカバーするため、日々の食事やトレーニング、休日の過ごし方にも気を配り、今考えても努力は人一倍していたと思います。その努力が実を結び、試合に出られるようになり、4年生でキャプテンも務めました。ただ当時は、選手としてプレーするのは大学まで、と思っていましたし、卒業したら中学か高校の先生になるつもりでした。
ところがそんな時、Vリーグの二部に当たるVチャレンジリーグ(当時)の東京ヴェルディから、「プロ選手としてプレーしないか」と声が掛かったんです。私のバレーボール人生で最初の大きな転機でした。教員採用試験は狭き門でしたし、教員になれば、もう選手としてはプレーできなくなります。一方、プロになれば大好きなバレーボールを続けることができ、何よりプロは誰にでも経験できることではありません。「今自分がやりたいこと」を考えた結果、私は教員ではなくVリーグでプレーする道を選びました。
【JUNTENDO UNIVERSITY】
試験に合格した後は、半年間警察学校に入り、1年間はいわゆる“交番のお巡りさん”も経験しました。その後は機動隊に配属され、重要施設の警備などに当たっていました。練習は勤務時間外に行うので、時には、夜勤明けで体育館に直行、ということもありましたね。そう聞くと「大変そう」と感じるかもしれませんが、私自身はやりたくてやっていることでしたから、大変だとは思っていませんでした。むしろ、練習できることが当たり前ではない環境だからこそ、プレーできることに感謝し、練習時間は目一杯バレーに打ち込んでいました。この「バレーボールができる環境は当たり前ではない」という思いは今でも強く、学生にも節目節目で周囲への感謝の大切さを伝えています。
【JUNTENDO UNIVERSITY】
警察官はやりがいのある仕事でしたし、特に結婚後は、公務員という安定した職を辞めてまで、教員に挑戦することはもうないと考えていました。ただ、大学の指導者という新しい道が目の前に現れた時、やはり指導者になりたい、バレーボールにずっと携わりたいという思いがわき上がってきたんです。教員が私の夢だったことを知っていた妻は、相談すると私の気持ちを理解し、背中を押してくれました。そこで、思い切って警視庁を辞め、母校で指導者としての第一歩を踏み出すことに決めました。
【JUNTENDO UNIVERSITY】
自分で考え、努力することが選択肢を増やす
プロ選手、警察官とキャリアを重ねる中で、失敗もたくさんありました。誰にでも失敗はありますが、大切なのは、失敗した後にどう頑張るか。その頑張り方を学ぶのが、大学での4年間だと私は思っています。バレーボールでも、がむしゃらに練習するだけでなく、今ある課題をどう解決するかを考えながら練習する力を身に付けてほしい。その力は、社会に出て困難に直面したとき、学生たちを支えてくれるはずです。これからも対話を通して学生と信頼関係を築き、バレーボールの能力はもちろん、社会で通じるさまざまな力を伸ばせる指導者をめざして、私自身も成長していきたいと考えています。
【JUNTENDO UNIVERSITY】
「順天堂、雰囲気がいいですね」
【JUNTENDO UNIVERSITY】
プロフィール
順天堂大学バレーボール部(男子) 監督
順天堂大学スポーツ健康科学部助教
順天堂大学スポーツ健康科学部卒業。順天堂大学大学院スポーツ健康科学研究科博士前期課程修了。大学卒業後の2006年、バレーボールVリーグの東京ヴェルディにプロ選手として入団。その後、Vリーグの警視庁フォートファイターズでもプレーした。2013年、順天堂大学男子バレーボール部のコーチとなり、2022年から監督を務めている。
- 前へ
- 1
- 次へ
1/1ページ