水野晃樹:一度経験すると忘れらないセルティックの魅力|セルティックFC

セルティックFC
チーム・協会

【©CelticFC】

中村の後にセルティックに移籍した水野晃樹。スコットランドでの経験を今も大切にしている。

独占インタビュー:RYAN MAHER(こちらの記事は2022年4月に作成されたものです)


2008年12月、フォルカーク・スタジアムで前半をスコアレスで折り返した際、セルティックの選手たちは思い悩みながらドレッシングルームに戻った。前の2試合に勝てず、タイトル争いも熾烈を極めている中、勝ち点を落とすわけにはいかなかったのだ。
特に、次の試合ではアイブロックスでレンジャーズとのダービー戦を控えていた。
水野晃樹もまた、思い悩みながらハーフタイムを迎えた。ジェフユナイテッドから移籍して約1年ほど経っていた彼にとって、この日がセルティックでの初出場だったのである。
デビュー戦となったこの試合で、彼は常に動き回りインパクトを残そうとする気概は見られたが、ボールが彼のところに来ることはほとんどなかった。

水野「前半はボールに関与できませんでした。でもハーフタイム中に中村さんが『君がスペースに走り込んでいるのが見えるから、僕がボールを持ったら動き続けて。君にボールを出すから』と言ってくれたんです」
そしてこの言葉は実現する。試合は終了間際、裏に走った水野は中村から完璧なスルーパスを受け、ダメ押しゴール。3-0の勝利に貢献したのである。
さらなる成功への足がかりとなることを期待されていた水野だが、この試合のゴールがセルティックでの2年半で決めた唯一のゴールとなってしまった。しかし水野はこの瞬間を、自分のキャリアの思い出の筆頭に挙げる。
「スコットランドで過ごした時間の中で、特に最高の瞬間でした」と彼は話す。「中村さんが指示したように、彼がボールを持つたびに僕は走り、彼からのスルーパスでゴールを決めました。チームメイトはみんな一緒に祝ってくれました。GKのアルトゥール・ボルツもゴールから走ってきて、僕にハグしてくれたんです。あの瞬間は最高でしたね」
「あのゴールの後、やっとセルティックの一員になれたと感じました。サポーターは僕に対してとても温かく接してくれて、彼らの応援とあのゴールは本当に僕のプレーに自信を与えてくれたんです」

仮にも2008年のこの試合から1年前の水野に「君はセルティックに移籍し、スコットランドのフォルカークという街でゴールを決める運命だ」ともし伝えたとすれば、彼は真っ先に「ありえない」と言うだろう。
しかしセルティックのようなクラブがオファーをしたことが驚きだったわけではない。当時の水野はJリーグのジェフユナイテッドでブレイクし、2006年のヤマサキナビスコカップでは大会最優秀選手に選ばれるなど、新星として成長していたのである。
2007年には日本代表として4試合に出場し、アジアカップの準決勝進出に貢献した。

【©CelticFC】

このとき、セルティックで活躍していた中村俊輔と初めて一緒にプレーしたのだった。チャンピオンズリーグという大舞台で活躍し、スコットランドでもタイトルを獲得する中村俊輔の姿を、水野は尊敬の眼差しで見つめていた。

中村をキッカケにセルティックのファンになった水野は、クラブが関心を示していると聞いたときは、考えるまでもなく決断した。
「新しい代理人と契約したとき、セルティックに移籍する可能性があると言われたんです」と水野は言う。「中村さんが活躍しているので、彼らが日本市場にも目を向けているとのことでした。オランダでプレーしたU-20ワールドカップ以来、海外でプレーすることが夢でした。セルティックからオファーがあったとき、このチャンスは逃したくなく、自分がどれだけプレーできるのか、何を成し遂げられるのかワクワクしていました」
「僕がクラブに興味を持っていると聞いた中村さんがクラブについて入団前から話してくれました。そして入団を勧められたのです。彼は、僕が尊敬している選手だったので、彼からクラブの話を聞き、スコットランドで一緒にプレーできるチャンスを得たことは、僕にとって驚くべきことでした」
「契約前、多くの人が本当に難しい挑戦だと言っていました。ある日本の先輩は、3段階くらいレベルが上だと言っていました。ただ、中村さんのようなインパクトを与えることが夢でしたが、彼のように活躍しないといけないというようなプレッシャーは感じませんでした。監督のゴードン・ストラカンが、クラブは長期的な視野で僕を見ているから、急ぐことはないと言ってくれたんです」
労働許可証の問題でセルティックへの移籍が遅れたため、急ぐ必要がなかったのは不幸中の幸いであった。結局、2008年1月にセルティックに移籍した水野は、最初の6カ月はトレーニングに励み、翌年にデビューを果たした。
「中村さんから多くのことを学びました」と水野は振り返る。「同じマンションに下宿し、僕は運転ができなかったので、車で練習に送ってもらいました」
「彼のサッカーに対する情熱はすごいもので、自分の時間をすべてサッカーに捧げていました。こんな熱心なサッカー選手は見たことがありません。僕にとって模範となる選手で、とても刺激を受けました」

そんな中村の一貫したモチベーションを受け、水野は2008/09シーズンにトップチームで活躍する準備が整った。日が経つにつれて、水野はチームの中での存在感が高まり、その能力を発揮し始めた。
フォルカークでのゴールの後、水野は翌週の2008年12月にアウェイのグラスゴーダービーに先発出場を果たす。(試合はスコット・マクドナルドのゴールで1-0の勝利)しかし、この大きく進歩した1週間を経た水野の成長を阻んだのは怪我だった。
「アイブロックスでのレンジャーズとのダービー戦は、日本では味わえないような激しい試合でした」と、彼は振り返る。「アイスホッケーのピッチのように、フィールドが完全に凍っていたのを覚えています。私にとって印象深いの経験の一つです」
「スコットランドは雨が多いので、ピッチが滑りやすいんです。ある試合で滑ってしまい、それがきっかけでケガをして、2度ほど膝の手術をすることになりました。本当に大変でした」

【©CelticFC】

水野が怪我から戻り、万全の体勢を整えたころには、ストラカン監督は去り、トニー・モウブレイが後任として就任していた。
新監督のもとでは、新しいアイデアと新しい選手が必要とされ、水野は最初の数ヶ月で2試合に出場した後は、実戦から遠ざかるようになった。
シーズン終了後、ニール・レノンが監督に就任すると、水野は余剰人員として日本へ帰国することになり、そこで残りのキャリアを過ごすことになった。

現在36歳だが、社会人リーグのはやぶさイレブンでプレーしており、引退はしていない。セルティックでは思うようにいかなかったが、グラスゴーで過ごした日々を楽しい思い出として振り返っている。
水野「成功はしませんでしたが、スコットランドでの2年間は宝物でした。ヨーロッパでプレーできたことは僕のキャリアの中で一番大きなことだったし、サッカーの世界をもっと知ることができた。後悔はまったくありませんが、ひとつだけ願いが叶うとしたら、セルティックでもっとプレーしたかったですね。」
「セルティック時代のことは、いつも思い出しますよ。僕にとって特別な時間でしたし、去ってからも応援し続けているクラブです」

恋しいセルティックパークのスコッチ・パイ!
セルティックに移籍したときからスコットランドの文化に浸ろうとした水野晃樹。移籍後もずっとこの国の思い出が彼の心の中に残っている。
そして引退後は、またスコットランドに訪れるだろうと話す。
「セルティックのファンは、街でとてもフレンドリーでした。彼らは私に挨拶したり、ハグしてくれたりするんです」
「ファンはとても温かく、自分たちのサッカーにとても熱狂的。セルティック・パークは特別な場所で、私が経験したことのないような雰囲気を作り出していましたね。」
「私は英語はあまり得意ではありませんでしたが、みんなとコミュニケーションを取ろうと努力しましたし、オフでもチームメイトとゴーカートに行ったりしていましたよ」
「グラスゴーはとても歴史的な街で、その風景がとても気に入りました。ブキャナン・ストリートがお気に入りでしたし、野生動物を見に田舎に行ったりもしました。他の都市にも行ってみたいですが、将来はもっと観光して、もっと多くの町を訪れたいと思います」
 「スコットランドの人々について覚えていることのひとつは、雨がよく降るのに誰も傘をささないということです。これは私にとってはとても興味深いことでしたね」
「また、スコッチ・パイは美味しかったですね。特にセルティック・パークのものは最高でした」


セルティックの日本人選手を全力応援
水野晃樹がセルティックについて学んだことのほとんどは、中村俊輔を通じてであった。
日本に戻った36歳の彼は、4人の日本人選手とアンジェ・ポステコグルーが現在のセルティックを率いる中で、再びその盛り上がりを目の当たりにしている。

【©CelticFC】

水野「かつてセルティックは毎週テレビで放映されていました。私が入団してからは日本人選手が2人となったので、セルティックはさらに注目されるようになりました。そして、フォルカーク戦で中村さんがアシストしてくれた得点は、とても大きいニュースになりました」
「今は4人の日本人がいて、僕の時代よりもセルティックへの注目度は上がっています。中村さんの存在は大きく、彼の背中を追いかけていました。そんな彼のように、古橋亨梧、旗手怜央、前田大然、井手口陽介が、セルティックでのプレーを夢見る次の世代のために、活躍してくれることを願っています」
  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

セルティックFCは1887年に設立されたイギリス・スコットランドの名門サッカークラブで、グラスゴーに本拠地を構えます。世界的に有名なサッカークラブで、2005-06シーズンから2008-09シーズンまで中村俊輔選手が、2007-08シーズンから2009-10シーズンまで水野晃樹選手が所属していました。特に2006年11月、チャンピオンズ・リーグのマンチェスター・ユナイテッド戦で中村選手が決めたフリーキックは、現在でもファンの間で語り継がれています。

新着記事

編集部ピックアップ

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着コラム

コラム一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント