With gratitude to 堂上直倫

note
チーム・協会

【With gratitude to 堂上直倫】

【これはnoteに投稿されたたつひささんによる記事です。】
第一巡希望選択選手 中日 堂上直倫 内野手 愛工大名電高校

2006年のその日、中日ファンは湧いた。

父•堂上照、兄・堂上剛裕は共にプロ野球選手かつ中日ドラゴンズの選手。
小学生の頃から地元のドラゴンズ応援番組に出演、中学生の時はファン感謝デーでの福留孝介からの本塁打。あの本塁打をきっかけに彼のファンになった人も多いだろう。

春夏合わせて3度の甲子園出場、高校通算55本塁打
2年生時に出場し優勝に貢献したセンバツや2年生ながら田中将大と共に選出されたAAAアジア選手権では大暴れ。(当時から後にチームメイトとなる平田良介と仲良さそうにしていたのが印象に残っている。)

地元という視点でも、全国という視点でも、多くの中日ファンが入団を待ち望んでいた選手、それが堂上直倫。

そんな堂上直倫選手の引退に伴い、一ファンとしての想いを書き残しておこうと思った。

ファンになったきっかけ

前述の福留孝介から放った本塁打、センバツで放った本塁打はよく覚えている。
そしてドラフト会議で3球団競合の末、当時の西川球団社長が当たりくじを引いた時、凄く嬉しかったのも覚えている。
だが、当時はまだ"ファン"とまで言える程好きな選手ではなかった。

きっかけは2008年のナゴヤ球場。
二軍の試合を観て、当時応援していた中里篤史投手のサインを貰おうと出待ちしていた時。
次々と球場を後にしていく選手達。今日は諦めて帰ろうかと思ったその時、1人の選手がこちらに向かって歩いてきて足を止め、待っているファンの人達の目を見て言った。
「今日はちょっと用事があるので、サイン出来ません。本当すみません」
そう言ってお辞儀をした選手が堂上直倫選手だった。
もしかしたら若手の役割なのかもしれない。
それでも、あんなに誠意の伝わる言葉を野球選手に貰ったのは唯一の経験だ。
些細な出来事かもしれないが、あれ以来彼のファンになった。

何故野球人堂上直倫に魅了されてきたのか

高校通算55本塁打、甲子園やAAAといった大舞台での活躍、三球団競合…誰もが中日ドラゴンズを背負って立つ存在になると信じて疑わなかった。
私自身その1人だ。
しかし現実は"理想通り"とはいかない。
本人が引退会見の中で「結果に後悔はしています」と語ったように私達ファン、そして誰よりも本人が描いていたような理想の打撃成績は残せなかった。

それでも年を重ねるごとに堂上直倫という野球選手に魅了された。


投手が投球動作に入ると誰よりも低く構え、スプリットステップをして打球に備える。
打者、カウントによって僅かに守備位置を変え、野球選手の中ではどちらかといえば鈍足の部類に入るのにも関わらず、打球が彼の付近に飛べばいつもグラブに収まった。

グラブから目にも止まらぬ速さでボールを握り替え、どんな体勢からでも正確無比な送球で打者をアウトにした。

特にゲッツーの2番目の役割での握り替えやショート深いところからの一塁への送球というプレーにおいて上記の特徴は際立った。

また投手への声かけ、内外野へのポジショニングの指示も積極的かつ的確で、内野に堂上直倫がいるだけで試合が引き締まった。

これらは全て持って生まれた才能ではなく、プロ入り後に獲得した、いわば"努力の結晶"だと認識している。

彼の人間性についてのエピソードはたくさんあり、常にチームメイトを助けてきた。

打たれてロッカーに戻ってしまった福には「一緒に戻ろう」
当時レギュラー争いをしていた京田を失意から救った「試合に出られるだけいいじゃないか」
リハビリしていた濱田達郎には「リハビリに集中しよう。」「僕は濱ちゃんがマウンドに戻るのをまた見たい」

"守備の人"などと揶揄されることもあったが、その時その時常に野球と向き合い続けたその人間性が一つ一つのプレーにも表れていた。

"常にチームファースト" それが堂上直倫の野球スタイルであり、愛工大名電の時から貫いた物だと感じる。

守備だけでなく、バレンティンやグラシアルといった当時の球界屈指のパワーヒッターに劣らぬ打球を放つことに振り切った2019年のバッティングも"その時のチームに対しての最善を尽くした結果"と言えるだろう。

「結果に後悔はしていますけど、試合前の準備に後悔はないです
引退会見の中で、そう言い切れたのが全てだと思う。

本当にお疲れ様でした

2023年10月3日。ついに"その日"は来てしまった。
いつものように投手に声をかけ続け、低い構えで打球に備える姿を目に焼きつけた。
打っては2安打。
この日に限らず、この3週間のプレーはとても引退する選手の動きには見えなかった。

常にチームを想い、最善の準備をし続けた堂上直倫選手、17年間本当にお疲れ様でした。

血筋、地元、スター性…およそ当人以外には推し量れないものをたくさん背負い込んで、それでも野球に対して真摯に向き合い続けた貴方を一ファンとして誇りに思います。
貴方がいなければ2010年の優勝はありませんでした。
貴方がいたから辛いチーム状況でも前を向いて中日ドラゴンズを応援できました。

彼は選手としての最後にこう残した。
"来年、中日ドラゴンズは必ず強くなります"

遠くない未来、必ず強くなるチームの中に"堂上直倫"の名があることを願って

※リンク先は外部サイトの場合があります

  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

メディアプラットフォーム「note」に投稿されたスポーツに関する記事を配信しています。

新着記事

編集部ピックアップ

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着コラム

コラム一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント