【浦和レッズ】ナンバーナインの苦悩と復活 ブライアン リンセンが振り返る空白の5カ月間「感情を押し殺そうと…」

浦和レッドダイヤモンズ
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 唐突だとは思ったが、ブライアン リンセンに聞いた。

「あなたにとってゴールとは何か?」と――。

 やや哲学めいた質問の意図を汲み取ってくれた彼は、しばし考えると言葉にした。

「自分の1日1日が幸せか、そうでないかはゴールによって決まります。ゴールを決めることができれば、次の試合まで最高の気分で過ごすことができる。でも、ゴールを決められなければ、練習をしていないときもずっと悔しい思いを引きずって過ごすことになる。

 だから、自分にとってゴールとは、『人生の良し悪しを決めるもの』。その1週間を壊してしまうのか、それとも楽しく過ごせるのか。すべては自分のゴールに懸かっています」

 それだけに、YBCルヴァンカップ準々決勝第2戦で、ガンバ大阪から2得点を挙げるまで、リンセンは険しく、それでいて苦しい時間を過ごしてきた。

「自分のキャリアにおいても、ここまでゴールを決められない時期が続いたのは、初めての経験でした。メンバー外になる状況が続いたのも、今までほとんど経験したことがなかったので」

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 G大阪戦で得点するまで、彼のゴールは4月23日のJ1リーグ第9節、川崎フロンターレ戦まで遡らなければならなかった。

 0-1で迎えた81分、左サイドでボールを受けた荻原拓也からのラストパスを、右足ダイレクトで流し込み、1-1の引き分けに持ち込んだゴールだ。

 その直後に行われたAFCチャンピオンズリーグ(ACL)2022決勝では、外国籍選手の登録人数が3人と限られていたこともあり、リンセンはメンバー外になった。

「(ホセ)カンテと(興梠)慎三がいいパフォーマンスを見せていたのは事実だったので、自分はメンバーから外れることになりました。チームが下した決定に納得はしましたけど、やはり選手としては悔しさがありました。でも、アジアのタイトルを勝ち獲れたことは、チームのためにも、ファン・サポーターのためにも本当に喜ばしいことだったので、自分の感情は押し殺そうと努めました」

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 その後も、出場機会がなかったわけではないが、「コンスタントに」とまでは言えない状況が続いた。

「なぜ自分は出場機会を得られないのか。正直、自問自答する日々が続きました。僕自身も人間なので、そうした状況に全力で練習に取り組める日もあれば、練習に身が入らない日もありました」

 それでもリンセンは、自問自答することをやめなかった。

「まずは、自分が今季のシステムや戦術に適応することが重要だと考えました。今季の浦和レッズが目指しているスタイルは、自分がこれまでのキャリアで慣れ親しんできたサッカーとは、真逆と言えるものに近かった。それだけに自分が適応するためには、時間が必要だったと思っています。試行錯誤するなかで、自分にできることは何かを考えたとき、まずは攻守においてハードワークすることが、状況の解決に導くのではないかという結論に至りました。

 また、試合では途中出場する機会も多かった。強度が高く、目まぐるしく攻守が入れ替わるような状況で、いきなりピッチに立ち、結果を残すのは簡単な仕事ではありません。僕にとっては毎回、戦場に飛び込むような気持ちだった。そのいつ来るか分からないチャンスを逃さないために、準備を怠らないように心掛けました」

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 マチェイ スコルジャ監督が常に掛けてくれた「何も問題はない」「絶対に順応できるはずだ」といった言葉も励みになったと明かす。

 さらにリンセンは考えた。

「自分はナンバーナイン(背番号9)の役割を求められている。フィテッセやフェイエノールトでもそうだったように、浦和レッズで求められているのもストライカーとしての仕事だ」

 チームのスタイルにアダプトしようと、自分自身を変化させていくなかで、変えずにこだわったのがゴール前での仕事だった。

「相手ゴールから離れてプレーすることも多かったですが、よりゴール前で勝負しようと考えました。ストライカーはやはりゴールという結果を求められている。そのゴールにつながるように、ゴール前で勝負できる状況を作り出す。それこそが、自分が生きる新しい道筋だと思いました」

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 背番号9らしく、ストライカーらしく、ペナルティーエリアのなかで勝負する。G大阪と戦ったルヴァンカップ準々決勝第2戦で、リンセンは文字通りゴール前で仕事を遂行した。

 1点目は8分、岩尾憲からのコーナーキックに合わせてタイミングよく走ると、フリーになり、ヘディングシュートを叩き込んだ。

「身長は決して高くはないですけど、コーナーキックからのヘディングは、自分にとってのストロングポイントだと思っています。これまでのキャリアを振り返っても、コーナーキックからかなりの得点を決めてきましたからね。先制点の場面はフリーになっていたので、緊張することなく、ヘディングすることができました」

 2点目は63分、左サイドにいた荻原拓也からの折り返しをゴール前でトラップすると、素早く左足を振り抜いた。

「オギ(荻原)から、いい形で折り返しのパスが来ました。ただ、少しだけオギからのパスが自分のイメージよりもマイナス気味だった。だから、ファーストタッチで自分の意図するスペースにコントロールできたことがすべてだったと思っています。あとは、DFの動きを見て、股の間を抜きました。相手の股下を抜くシュートはGKにとっては死角になり、守りにくいもの。だから、狙えるときは狙っています」

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 2得点を挙げたリンセンが思い出したのは、フェイエノールト時代のことだった。

「フェイエノールトに加入した2020/21シーズンも、今ほどではなかったですが、しばらくゴールが決められない時期がありました。あのときも、チームのレベルが高く、順応するのに時間が掛かっていた。でも、ある試合でハットトリックすることができた。それをきっかけにして、次から次にゴールを決められるようになったんです」

 記録を遡ってみると、リンセンが挙げた試合は、2020年12月23日のヘーレンフェーン戦だった。このときもヘディングで先制点を奪ったリンセンは、全得点をマークしてフェイエノールトを3-0の勝利に導いた。

 そのシーズン、リーグ戦で9ゴールを記録すると、翌年には13ゴールをマーク。この結果が、浦和レッズへの加入につながっている。

「ガンバ戦の2得点は、フェイエノールトでハットトリックしたときの状況に似ているかもしれない。あのときもゴールが自分にブーストを掛けてくれた。京都(サンガF.C.)戦のように、限られた時間のなかで2度、3度とチャンスがありながらも決め切ることができない試合もありますが、今の自分にとって大切なのは、そうしたシュートチャンスを作り続けることだと思っています」

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 ゴールを決めたプレーもさることながら、得点したことでチームメートからの信頼も増したと、実感している。

「オギには練習のときから、どんどんクロスを入れるように伝えています。クロスに合わせる動きは得意だから、迷うことなく自分にどんどん当ててくれって」

 9月15日の京都戦(第27節)でも途中出場すると、75分に岩尾憲からのロングパスに反応してDFの裏へと抜け出し、シュートを放った。惜しくもシュートは相手に阻まれたが、競り合いながら倒れずにシュートまで持ち込む力強さがあった。

「憲は優秀なパサーでもあるので、彼がフリーでボールを持ったときには、必ず動き出すようにしています。得点できなかったことは残念でしたけど、自分のランニングと、素晴らしい憲のパスが合わさって、チャンスを作ることができました。フィニッシュだけが足りなかったので、次は確実にゴールを決めたいと思っています」

 そう話してくれたリンセンは、アウェイに乗り込んだACL2023/24のグループステージ初戦。2−2で引き分けた武漢三鎮戦で、55分に安居海渡からのクロスをヘディングで決めてみせた。

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「浦和レッズのようなビッグクラブは、常にすべてのタイトルを狙える位置にいなければいけない。何より、最後の最後まで(タイトルを)つかみ取れる位置にいることが大切だと思っています。そのタイトルが懸かったような試合で、次は自分のゴールでチームにタイトルをもたらすことができたら……それが今の自分の夢ですね」

 その自信はあるか、と問いかけた。

「今は、間違いなく自信があると言い切れます」

 そう言ったリンセンは、笑って本音をこぼした。

「もし1カ月前に同じ質問をされていたら、口では『自信はある』と言っていても、頭のなかでは決して、そう思えていなかったと思います。それくらいG大阪戦のゴールは、自分が自信を取り戻すきっかけになりました」

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 ゴールは人生の良し悪しを決めるもの。

 自分自身にとっても、応援してくれるファン・サポーターにとっても、最高の1週間を過ごすため、浦和レッズの背番号9はゴールを目指す。


(取材・文/原田大輔)
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著者プロフィール

1950年に中日本重工サッカー部として創部。1964年に三菱重工業サッカー部、1990年に三菱自動車工業サッカー部と名称を変え、1991年にJリーグ正会員に。浦和レッドダイヤモンズの名前で、1993年に開幕したJリーグに参戦した。チーム名はダイヤモンドが持つ最高の輝き、固い結束力をイメージし、クラブカラーのレッドと組み合わせたもの。2001年5月にホームタウンが「さいたま市」となったが、それまでの「浦和市」の名称をそのまま使用している。エンブレムには県花のサクラソウ、県サッカー発祥の象徴である鳳翔閣、菱形があしらわれている。

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