【浦和レッズ】興梠慎三 Jリーグ通算500試合出場達成 スペシャルインタビュー

浦和レッドダイヤモンズ
チーム・協会
7月8日に埼玉スタジアムで行われた明治安田生命J1リーグ 第20節 FC東京戦【MATCH PARTNER 三菱自動車】に先発出場した興梠慎三がJ1リーグ通算500試合出場を達成。Jリーグ史上10人目、FW登録選手としては初めての偉業を達成した。

記録達成後、浦和レッズオフィシャルメディアで興梠の独占インタビューを実施。記録達成の感想、過去の振り返りや未来に向けた意気込み、そして日頃から応援してくれている人たちへのおもいを聞いた。

【©URAWA REDS】

(J1リーグ通算500試合出場達成から一夜明け、現在の心境はどうか?)
「試合後にチームメートにお祝いしてもらいましたし、それはうれしかったですが、試合に引き分けたのであまり喜べないということが正直な気持ちです。勝ちたかったですね」

(J1リーグ通算500試合出場について「大きな怪我がなかった」ことを理由に挙げ、FC東京戦後はもちろん、試合前にも「丈夫な体に生んでくれた両親に感謝したい」と言っていたが、以前の興梠選手はそういう言葉を口にする印象がなかった。今回の記録達成で改めて感じたことだったのか?)
「両親への感謝は以前から感じていたつもりですが、照れ臭くて人前で口にすることはあまりありませんでした。でも、改めて丈夫な体に生んでくれた親には感謝するしかありません」

(大きな怪我がないとはいえ、特に近年は膝の痛みと闘ってきた。時に離脱や手術も必要だった痛みと付き合いながらJ1リーグ通算500出場を達成できるイメージはあったのか?)
「全くイメージしていませんでした。痛み以前にそもそもFWは結果が必要ですし、結果を残さないと試合に出られません。一試合一試合を大事に戦ってきて、結果を出してきたことで試合に出続けられたということもあると思います。一緒にやってきたチームメートもそうですが、それ以上に監督に恵まれたと感じています」

(FC東京戦後も「どんな監督が来ても試合に絡んでいくことができた」ことを500試合出場の要因の一つに挙げていたが、どんな監督でも出続けられた要因をどう感じているか?)
「まず、監督が実現しようとしているサッカーに柔軟に合わせることができるということが一つあると思います。レッズに加入してからは、ミシャ(ミハイロ ペトロビッチ)監督でずっと出させてもらい、それから堀(孝史)監督、大槻(毅)監督、(オズワルド)オリヴェイラ監督になり、また大槻監督になりました。ミシャ監督のときにずっと試合に出ていて、その僕を知っている人たちが次から次へと監督になっていったことは大きかったと思います。もっと早い段階で僕のことを全く知らない監督が来ていたら、状況は変わっていたかもしれません。堀さんはミシャのときにコーチでしたし、大槻さんは(育成ダイレクター兼)ユース監督でトップチームの試合も常に見ていたと言ってくれていました。オリヴェイラ監督は鹿島(アントラーズ)で一緒にやっていました。僕のことを知っている監督が次々に就任したことは恵まれていたと思います。

その後、僕のことを知らなかったリカルド(ロドリゲス)監督になり、僕もトレーニングキャンプは怪我をしていて出遅れた感はありました。そこで試合に出られなかったのは、チームに全く貢献できなかったという意味で悔しさがありました。マチェイ(スコルジャ)監督も自分を全く知らない状況でしたが、こうして試合に出られているので、今までの監督とは違った手応えがあります」

【©URAWA REDS】

(過去のシーズンで多くの試合に出ていたことはもちろんだが、期限付き移籍を経て、37歳になる今季のJ1リーグはここまで20試合全てに出場していることは特筆すべきことだと思う。その点についてはどう感じているか?)
「今はだいたい60分くらいの限られた時間でプレーしています。この年齢になってくると60分以降は疲労がありますし、マチェイ監督が怪我のリスクを含めていろいろ考えてくれていることもあって、怪我なくプレーできていると思います。そういう考慮をしてくれることにすごく助けられています」

(マチェイ監督やコーチングスタッフはコンディション面にもかなり気を使っていることを公言もしているが、興梠選手は身をもって実感しているということか?)
「監督にもそれぞれ考えがあります。ミシャ監督や堀監督、オリヴェイラ監督はコンディションでセパレートするところとしっかりやるところをある程度は自分に決めさせてくれていました。リカルド監督はどちらかと言えば、試合に出ていない選手にしっかりトレーニングさせるタイプで、ハードなトレーニングが多かったです。リカルド監督のやり方に問題があるわけではありませんが、自分としてはコンディションを合わせるのが難しかったです。マチェイ監督も任せてくれるので、試合に向けて調整しやすいです」

(リカルド監督のもとでプレーした2021年はJ1リーグ20試合に出場したものの、先発出場はわずか3試合しかなく、メンバー外になる試合も多かった。当時、2年後にここまで試合に出るようになるとは想像し難かったのではないか?)
「ああいう状況で落ちていく選手をたくさん見てきました。でも、自分としては膝の状態が良くなればまだまだできる感覚はありました。ただ、自分が思うには、本当に優れた選手はどんな監督でも試合に出続けます。そういう意味でも、リカルド監督のもとで試合に出られなかったのは悔しさが残っています。あの当時も先発で使ってくれれば何かできるという自信はありましたが、途中出場が多く、しかも短い時間でしたので、自分のプレースタイルとしはなかなかアピールしづらい状況でした。あのシーズンは悔しかったですね。

リカルド監督のもとでもう1年プレーしてアピールしたかったという気持ちもあるくらい悔しい気持ちがありましたし、ここからまたはい上がっていかなければいけないという気持ちもありました。次のシーズンは環境を変えましたが、また戻ってきて試合に出られるようになったことを考えれば、期限付き移籍でレッズを離れたことも含めて、結果としてよかったと思っています」

(今シーズン20試合出場したことでJ1リーグ通算500試合出場を達成した。20試合に出られなかった場合は今季中の達成はなかったということでもあるが、今季中に達成できると思っていたのか?)
「少なくとも昨年の段階で今シーズン中に500試合出場を達成できるとは全く思っていませんでした。復帰したときもこんなに試合に出られるとは思っていませんでした。自分が出るきっかけとしては、開幕2試合が全てだったと思っています。例えば開幕2連勝していたら、この時期に500試合出場を達成していなかったと思います。チームが負けたことについては良かったと全く思っていませんが、チーム全体としてあまりうまくいっていない印象でしたので、自分がどうにかしたいという気持ちもありました。出ていない選手全員が思っていることですが、その中で自分にチャンスが来ました。ゴールという結果を残すことはそう多くありませんが、チームが勝利するという最低限のノルマに対して貢献はできていると思っています」

【©URAWA REDS】

(20試合で4ゴールというここまでの結果について、チーム得点王だとしても「結果を残すことはそう多くない」と興梠選手が感じていることは理解できるが、それ以外のどんな要素で貢献できていると感じるのか?)
「ボールの引き出し方やポストプレーは評価してもらえているようです。『慎三を見よう』とも常に言ってくれています。ただ、僕はFWなのでゴールを取ることが仕事です。攻撃の組み立てだけでは足りないと思っています。ここ最近は前線に残り、足元でボールを受けるよりも相手の背後でもらうことを意識しています。そうなると決定機は増えました。それ以前は決定機らしい決定機があまりありませんでしたので、今は手応えを感じることができています」

(動き方などを変えてチャンスが増え、残り14試合でペースが上がっていけば、再び2桁ゴールも十分可能なのではないか?)
「十分可能、ではなく、試合に出続けているなら2桁ゴールは取らないといけないものだと思っています。取れるように頑張ります」

(客観的に見ていると、今季の興梠選手は2年前まで以上にチームの中心にいようとしている気がするが、本人としての感覚はどうなのか?)
「チームの中心?それは毎年そうじゃないですか?(笑)」

(今までもプレーや存在感が中心であることは間違いないが、例えばトレーニング前の円陣の際に必ずと言っていいほどマチェイ監督の隣にいたり、ウオームアップの際に先頭にいたりするが、それはチームを引っ張っていこうという気持ちの表れではないのか?)
「それはたまたまですよ(笑)。まあ、引き締めるところは引き締めて、楽しくするところは楽しくというメリハリが必要だと思います。まだそういうメリハリがうまくできていないところもありますので、もっと引き締めていきたいとは思っています。それが僕たちの役割でもあると思っています」

【©URAWA REDS】

(今回のFC東京戦後にも「ファン・サポーターの方々はすごい」、「この場で試合ができる喜びについて感謝しなければいけない」と言っていたが、開幕戦の際にもウォームアップを終えてロッカールームに戻ろうとする際、レッズのファン・サポーターの様子を見て拍手していたのが印象的だった。一度チームから離れ、ファン・サポーターに対して改めて感じることもあったのか?)
「レッズはファン・サポーターの方々の存在によって成り立っているところもあると思います。いいプレーをしても悪いプレーをしても常に応援してくださるファン・サポーターの方々に対する感謝の気持ちは忘れてはいけません。このファン・サポーターの方々にタイトルを獲らせてあげたいという気持ちは選手みんなが持っていますし、それは僕だけではありません。ただ、僕は他の選手以上にそういう気持ちを持っていると思っています。感謝の気持ちしかありません。常に感謝していますが、昨日のように5万人近く入るスタジアムは国内の試合ではほとんどないと思います。よほど特別なことがなければ、レッズでしか味わえないことだと思います。そんな環境でプレーできることを選手は感謝しなければいけませんし、それに応えていかなければいけないと選手一人ひとりが強く思わなければいけません。昨日の試合で改めて感じました」

(そう感じたことに500試合出場達成というメモリアルマッチになったことは関係あったのか?)
「いえ、全く。5万人近く入ったスタジアムの雰囲気からそう感じました」

(FC東京戦後にも「ファン・サポーターの方々と共にタイトルを獲りたい」と言っていたが、期待に応える一つの形がタイトル獲得という考えなのか?)
「レッズに加入してJリーグのタイトルだけ獲れていません。それが自分としても一番欲しいタイトルですし、一番ファン・サポーターの方々にプレゼントしたいタイトルです。ACL (AFCチャンピオンズリーグ)ではアルヒラルにリベンジを果たしてタイトルを獲ることができましたので、あとはJ1リーグです。全てのタイトルを獲りたいですが、どれか1つ選べと言われたらJリーグ一択です。Jリーグを獲ったらファン・サポーターの方々もより一層盛り上がってくれると思います」

(現在のレッズのスタッフや選手たち、ファン・サポーターにもJリーグ制覇を経験したことがない人もたくさんいると思うが、改めてJリーグタイトルはどんな価値があるのか?)
「ACLとはまた違う喜びがあります。ACLはノックアウトステージからは引き分けでも勝ち進むことができますが、J1リーグは引き分けが多かったら優勝できません。内容にもよりますが、引き分けは勝ち点2を取りこぼしたという印象になります。だから昨日も悔しかったです。1年間を通して勝ち続けるのは難しいことですし、本当に強いチームしか優勝することはできません。本当に強いチームになれるように、個人としてもそうですが、チーム一丸となって頑張っていきます」

【©URAWA REDS】

7月16日にヨドコウ桜スタジアムで行われる明治安田生命J1リーグ 第21節 セレッソ大阪戦。興梠はJ1リーグ501試合目に臨む。先発出場なのか途中出場なのか、はたまた何分プレーすることになるかは分からないが、これまで全20試合に出場していることを鑑みれば、C大阪戦も興梠がピッチに立つことは間違いないだろう。

レッズにとって夏の中断期間前の最後の試合であり、興梠が今、最も意欲を示しているJ1リーグ制覇に向けて負けられないC大阪戦。これまでもそうであったように、興梠は類稀なる才能と500試合で培った経験で得た全ての力をチームの勝利のために注ぐはずだ。
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著者プロフィール

1950年に中日本重工サッカー部として創部。1964年に三菱重工業サッカー部、1990年に三菱自動車工業サッカー部と名称を変え、1991年にJリーグ正会員に。浦和レッドダイヤモンズの名前で、1993年に開幕したJリーグに参戦した。チーム名はダイヤモンドが持つ最高の輝き、固い結束力をイメージし、クラブカラーのレッドと組み合わせたもの。2001年5月にホームタウンが「さいたま市」となったが、それまでの「浦和市」の名称をそのまま使用している。エンブレムには県花のサクラソウ、県サッカー発祥の象徴である鳳翔閣、菱形があしらわれている。

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