【北海道誕生20年】稲葉篤紀が振り返る5試合③
2000安打の記念ボードを掲げる稲葉 【ⒸH.N.F.】
「2000安打のボールかは定かではなく(笑い)」2012年 通算2000安打達成
記念ボードを両手に掲げ、大歓声を浴びた。“何か”が足りない。「ボールが見つからなくて(苦笑)」。原因は、直後に起こった本塁クロスプレー。相手捕手の嶋基宏と球審が白熱する中、メモリアルな1球は、ボールボーイに返されてしまった。ベンチ一丸となって「ボール!ボール!」と必死にボールボーイに要求も、思わぬところに飛び火した。当時の星野仙一監督が「何やっとんじゃあ!」と激怒。プレー再開まで時間を要したことが、闘将の逆鱗に触れてしまった。
「ボールは返ってきたんですけど、結局本当にそれが2000安打のボールかは定かではなく(笑い)」
偉大な一打も、周囲の思いが渦巻く中で生まれた。稲葉の前を打つことが多かった中田翔からは後日、切なる思いを打ち明けられたという。「球場が、稲葉さんにまわせという雰囲気だったから、めちゃめちゃプレッシャーかかりました。稲葉さんにまわさないとダメだから思い切って打てなかった」。稲葉の記録達成を前に、球界屈指のスラッガーは四球を選んででも塁に出ようとしていた。稲葉に打席をまわせなかったときに響き渡る「あ~」という大きな落胆の声が、耳に残っていたという。稲葉は「2000本って個人的な記録だけど、まわりの人に気を遣わせたんだなと。記録って、そういうものなんだよね」と、かみしめた。
「皆さんの応援が、最高の結果を与えてくれた」2014年 クライマックスシリーズ
【ⒸH.N.F.】
「よく覚えています。フォークボール、フォークボール、フォークボールが続いて、ライト前に打った。ああいうところでヒットを打てるということは、やっぱり皆さんの応援が、最後に最高の結果を与えてくれた」
稲葉の現役引退をきっかけに、チーム全体が「稲葉さんのために」と1つになって、1試合でも長くユニフォームを着てもらえるよう一丸となった。ソフトバンクとのファイナルステージでもヒットを打ち、敵地・福岡ヤフオク!ドームで「稲葉ジャンプ」が起こった。現役生活20年、ファイターズで10年。最後の打席はキャッチャーフライに終わったが、試合後には両チームによる胴上げが行われ、盛大な花道が広がっていた。
「やっぱり幸せでした。有り難かったです。1人の野球人として、みんなで労をねぎらうというのがスポーツのいいところ。ライバルであり、勝負事なので勝ち負けありますけど、終わってみればみんなで称えあう。これからも続けてほしいと思いますね」
これからのファイターズに期待すること
【ⒸH.N.F.】
「ファイターズに携われているときは、しっかりとした良いチームをつくっていきたいです。やっぱり勝たないとね、勝負事なので。勝つことに、もっともっと執着を持ってほしい。自分自身も含めて、チームとしてどうやったら強くなれるか、みんなで考えていかないといけない。そして、北海道にチームがあるという意義を、今以上に持ってほしい。選手たちはやはり影響力がある。野球だけではなく、社会貢献活動も含めて『ファイターズが北海道に来てくれてよかった、元気がもらえるし』と言われる球団を目指さないといけない」
熱い思いをこぼした後、20年後の稲葉篤紀を想像してみた。「一ファンとして、試合を観に来ているかもしれないですね。ヤジっていっているかもしれない。『走れー!』って(笑い)。でも、着実に階段をのぼり、接戦で勝てるようなチームになってきているので、楽しみですよ」(おわり)
6月30日から北海道20年を振り返るシリーズ
【ⒸH.N.F.】
※リンク先は外部サイトの場合があります
- 前へ
- 1
- 次へ
1/1ページ