宇野昌磨選手応援記【14】「すごい旅なのかな」もしくは「ためになるのかな」
【これはnoteに投稿されたイチさんによる記事です。】
前回の応援記を書いた翌日、宇野昌磨選手が『ワンピース・オン・アイス ~エピソード・オブ・アラバスタ~』でルフィ役を演じることが発表された。なんとなくそんな予感があったので、急いで投稿してドキドキしながら私は冒険の夜明けを迎えた。
後日、インタビューで「競技でも何かを演じるという気持ちで演技をしたことがないので、新しいことへの挑戦になると思う」「僕ができてないことをやることだと思うので、すごい旅なのかなと思っています」という最後の一文を読んでから、私の頭の中にRPG風の想像が膨らんでいて、もうすでにその道程を楽しませてもらっている。
ちなみに別の記事では、最後が(競技にとっても)「すごくためになるのかなと思っています」となっていて、文脈としてはこちらだった気もするけれど、ここはおそらく素敵な聞き間違いに乗っかって私なりに宇野選手の冒険の旅について考えてみたい。
昨年の世界選手権の後、「僕はずっと自分のレベル上げをしている感じ。何かを成し遂げたいからレベルを上げているわけではなく、レベルを上げることに楽しさを覚えている」と話していた宇野選手に、ドラクエ好きの私は勇者みたいだなと思った。
そして、この一年「uno裏方チャンネル」でその役割分担や絆のかけらを見せてもらったチームunoは、宇野選手が戦士、トレーナーのデミさんが僧侶、ステファンコーチが魔法使い、そしてマネージャーのハマさんが船乗りや商人(ワンピースで表すと航海士)の、勇者パーティみたいだった。
ワンピースでも船長のルフィひとりではラフテルにたどり着けないように、今年の埼玉ワールドは宇野選手にとって、チームの仲間や大切な人たちが誰ひとり欠けてもたどり着けなかったラスボスだったと思う。
4年ぶりの埼玉での世界選手権、その公式練習で宇野選手はほとんどのジャンプが2回転になっていた。4回転が抜けてしまったというよりは、おそらく今シーズンの自分が競技レベルで戦うには、もう最後の6分間練習とショート、フリーの演技分のHPとMPしか残っていないことを感じていた中での、勇気をもっての判断だったんじゃないか。
ショートプログラムが終わった後の囲み取材のコメントが、宇野選手が宇野選手たる真骨頂だったなと思ったのは、普段は伝える言葉までにはならない部分の宇野選手の分析力が垣間見えた気がしたからだった。
(深堀してくださったインタビュアーの方の質問の仕方や空気がすごくよかったからだと思うので感謝しています)
試合の朝、久々に「あ、ちょっと緊張しているな」と感じた宇野選手は、「なんで今回は緊張しているのかなと考えた時に、ノーミスしたいと思っているな、全体を見すぎてしまっているな」「一番状態が悪いのに、一番高望みをしていたな」と気づいて、そこからは冷静にやることができたという。
2週間前から調子を崩し右足首の捻挫も慢性的になっている状態で、すべてのジャンプに不安がある中、宇野選手を助けてくれたのは調子がよくない日の練習だった。
「こういう痛い中での練習っていうのも、当初は絶対そんな練習 身のためにならないと思っていましたけど、こういう状況になったからには本当に痛いながらも練習していた時期もあってそれがなんか逆に生きたのかな、と。痛い時に練習したらどういうジャンプになるのかというのがなんとなく予想ができていましたし、自分がどこをかばってしまってどういうジャンプになってしまうのかがなんとなく予想がついたので」
怪我がひどくなるリスクもあるから正しいとは言いきれない。それでも鳥の巣作りの話を思い出した。鳥は強い巣を作るために、風の強い日に巣を作るという。怪我をした日、調子の悪い日、逆境の中でも積み重ねた練習が試合での強さを作り上げたと思う。
万全の状態ではなかった中で、4年前は力を発揮できなかった自国開催での、良い演技が続いた後の最終滑走を、持てる体力気力経験値のすべてを使って滑り切った、大の字でのあのホッとした笑顔を私は忘れない。
競技者であり、氷上の戦士である宇野選手にとって、一番の武器はやはり4回転ジャンプだと思う。そして宇野選手が最も習得に苦しんだトリプルアクセル(3A)は、どんな氷でもどんなに軸が斜めになってもほぼ成功に持っていける得意のジャンプになった。
宇野選手のジャンプを見ていると、格言として聞いたことがある「ゆっくり育ったものは長持ちする」というのは本当だと思える。
ゆっくり育った3Aや4Loは試合での成功率が高く、わりとすぐ跳べるようになった4Tや4Fは自分のものにするのに長く苦労しているように感じるのは、もしかしたら、なぜ跳べないのかを考えながら失敗を積み重ねる経験が足りなかったからではないだろうか。
これは技術的な考察とかではなく、あくまで私の中で人間とは何かを突き詰めたいという勝手な推測なのだけれど、私は宇野選手の4Tは試合でのメンタルの問題だとずっと思っていた。メンタルが弱いからではなく逆に強いために、気持ちが入り体が動きすぎて練習と感覚が違ってしまうのかも。
だから宇野選手はここ数年、試合を練習のように淡々と取り組むようにしていたのでは、と考えていた。だけどそれだと、むしろ試合のほうが成功率がよさそうな他のジャンプの説明ができない気もする。
4Tに限って考えれば、挑戦し始めてすぐに跳べるようになり、毎日同じ状態の練習リンクで少し調整すれば成功してしまうために失敗のデータが蓄積されておらず、様々な状況が発生する中での調整時間が短い試合では対応できずに失敗することが続き、それがメンタルにも影響を与えて自ら4T-2Tを選択する、と試合での4T-3Tの経験が増えない、という循環になってしまっていたのかも。
そのことに感覚的に気がついた宇野選手は、試合に近いアイスショーの場で積極的に4Tを跳んでいた気がする。その日の賞賛よりも、失敗のデータをひとつでも増やすほうが今の自分にはアスリートとして必要だと本能的に理解しているように見えた。
昨年のフレンズオンアイスでの4T-3Tのトライ&エラーが、北京五輪団体SPでの宇野選手を助けてくれたかもしれない。ショーで4回転は別に見たくないという声が届いていたとしても、自分のやるべきことができる、それが宇野選手の強さの秘訣だと思う。
しょーぐんさんのチャンネルでの対談動画で宇野選手はこんなことを言っていた。
「成功って言語化しづらいんですよ。失敗っていうのは言語化が結構しやすいので、自分にとって失敗っていうのがプラスなことに変わってからは練習がすごくスムーズになってきて、理論的に説明できる理由で失敗しているうちは全然焦ったりもしなかったし、それの積み重ねだったんだなっていう」
「最近気をつけているのは、調子良いものっていうのが言語化できるものだったらいいんですけど、言語化できずに何かわからんけど今日いけてるっていうのだったら、失敗するまでダメになるまで続けるほうがいいなって思います。調子良いところから失敗した時の過程もわかるし理由も明確にしやすいから、気分はちょっと落ちるかもしれないけど、絶対人はみんなやらないですけど、そこはダメになるまでやったほうがいいなって」
成功の感覚はもちろん大事だけれど、失敗というのは言語化できる貴重なデータなんだと思う。天才でない限り、時間をかけて量をこなして努力できる才能が必要だけど、それと同じくらい大切なのは、失敗をデータとして貯めて分析し修正し、自分の形にできるまで諦めない才能なんだと思った。
宇野選手のもうひとつの武器、表現力に関しては、どちらかというと努力というより天性のものだという気がしていた。でもよく考えたら、表現においても宇野選手は練習の中で人よりも時間をかけて振付を自分の体に染み込ませるタイプでもある。
本人がよく自虐的に「覚えるのに時間がかかる」と言っていたり、当日振付のエキシビションのオープニングやフィナーレでカンニングがネタになったりするけれど、動きが覚えられないというよりも、自分の納得いく形にするまでに時間がかかるんだと思う。
主役の登場シーンが多いワンピースは覚えられるのかというネタか心配も見かけたけど、自分の動きを失敗だと感じ続けて常に修正し自分らしく磨いていく宇野選手には、数日間練習できるアイスショーのグループナンバーなら大丈夫だし、もっと練習期間があるはずのワンピースオンアイスはむしろ向いているんじゃないかという気がする。
宇野選手はすぐに覚えられないという言葉の裏に、時間と量をかけて自分なりの形にできる自信を持っていると思うし、失敗する自分を見せることを恐れない勇気もある。
表現に関しても「ゆっくり育ったものは長持ちする」という格言を信じて、すぐに変化を求めず、宇野選手のペースで突き詰めていってくれるのを楽しみに応援したい。
ここまで(とここから)どれも的外れで失礼だったらごめんなさい。宇野選手は見ていて本当に面白くて好奇心が尽きない。
話が脱線する上に長くなるけれど…
(宇野選手を真似して、この文章も失敗するまで続けるほうがいいはず!)
『ブルーピリオド』という美術大学の受験を舞台にした漫画がある。その主人公の「天才と見分けがつかなくなるまでやればいい」(1巻)「俺くらいやれば多分大抵の人間 俺よりできるようになるんじゃね?」(5巻)というセリフの説得力がすごくて、ちょっと宇野選手みたいだなと思った。
美術部の先生が主人公に絵を描くように勧めた時の「美術は面白いですよ。自分に素直な人ほど強い。文字じゃない言語だから」というをセリフが印象に残っている。
先月、Instagramに投稿して削除された狐の絵の模写、あの時の宇野選手がどんな気持ちで狐の絵を描いて、投稿することで何を伝えたかったのか、すべて憶測ではあるけど時に絵は言葉よりも雄弁だと感じた。
もし宇野選手が今からでも、スマブラみたいに一年で2000時間かけられるくらいの熱量で模写やデッサンを続ければ、素質のあるなしに関わらず、ものすごく上達するだろうなと勝手に想像したりもした。
宇野選手に限らない、そのくらい何かに熱中すれば人は傷つく暇もなく、誰かに不満を持つエネルギーも残らず、どんなことに対しても努力できる地力がつくと思う。
人はみんな誰かの失敗を責めている時間があれば、自分が失敗を積み重ねたほうがいい。それでも誰かの失敗を責めてしまったという言動もまた、自分の人間力のデータを増やす良い失敗だったとも言える。
そう考えたら宇野選手もどんなファンもいつだってWin-Winなんじゃないか。
宇野選手は、応援を受け入れる器の大きい人というよりも、失敗を受け入れる器の大きい人だと思う。自分や他人の失敗を許せることもまた大きな愛の器だと私は感じる。
もし宇野選手が間違ったことをしたら、公開の場で厳しく指摘してファンをやめることが正しく、いつでも肯定して応援を続けるのは信者だと揶揄されても構わない。
実際に私が自分の人生を諦めかけていた時、よくわからない宗教などにハマらず宇野選手にハマったことは、私の干からびた川で見つけた砂金粒くらいの幸運だった。
宇野選手が失敗をしない人、何もかも完璧な人だったら、私のアンテナはその存在に気づけなかった可能性もある。むき出しの感性でスケートでも人間としても私に考えるきっかけと余白を与えてくれる、そこが好きだと今やっと言語化できた気がする。
(脱線のおかげで、この文章を失敗したけど言語化できてよかった!)
宇野選手の冒険の旅はこの先、もしかしたら強くてニューゲームなのかもしれない。
どんな経験も、競技だけでなく人生にとってためになるから、これからも宇野選手らしくその時目の前に現れたやりたいことを楽しんでほしいし、大切な人を何よりも大切にしてほしい。たった一度の人生だから。
ファンの応援というのは、Lv1からのゲームを成長しながら戦っていた頃の熱量とはまた違ってくるんだろうか。でも私は元々、落ち着いた空気が好きだし、風の強い日にも揺るがない落ち着きの中にこそ、多くの気づきや本当の幸せがあると思っている。
逆風に帆を張って進む船が一番強く、嫌われる勇気を持つ者が一番自由だから。
大丈夫、性格はかけ離れていないよ。
宇野選手には、どうか『ワンピース・オン・アイス』でも、いつもどおり失敗を恐れずにルフィらしく伸び伸びと挑んでほしい。
「芸術に失敗は存在しないんですよ」
(『ブルーピリオド』3巻より)
ブルーピリオドとは、ピカソの二十代前半、画風が青一色だった時代のことをいう。
宇野選手にとって、これまでのスケート人生は表現に葛藤があったブルーピリオドだったかもしれない。この時期を乗り越えて、人はきっと自分だけの色を見つける。
その旅がどんな結末かは関係ない。前回の応援記にも登場した岡本太郎さんのこの言葉を胸を張って言える人生でありたい。
「精いっぱい挑戦した、それで爽やかだ」
後日、インタビューで「競技でも何かを演じるという気持ちで演技をしたことがないので、新しいことへの挑戦になると思う」「僕ができてないことをやることだと思うので、すごい旅なのかなと思っています」という最後の一文を読んでから、私の頭の中にRPG風の想像が膨らんでいて、もうすでにその道程を楽しませてもらっている。
ちなみに別の記事では、最後が(競技にとっても)「すごくためになるのかなと思っています」となっていて、文脈としてはこちらだった気もするけれど、ここはおそらく素敵な聞き間違いに乗っかって私なりに宇野選手の冒険の旅について考えてみたい。
昨年の世界選手権の後、「僕はずっと自分のレベル上げをしている感じ。何かを成し遂げたいからレベルを上げているわけではなく、レベルを上げることに楽しさを覚えている」と話していた宇野選手に、ドラクエ好きの私は勇者みたいだなと思った。
そして、この一年「uno裏方チャンネル」でその役割分担や絆のかけらを見せてもらったチームunoは、宇野選手が戦士、トレーナーのデミさんが僧侶、ステファンコーチが魔法使い、そしてマネージャーのハマさんが船乗りや商人(ワンピースで表すと航海士)の、勇者パーティみたいだった。
ワンピースでも船長のルフィひとりではラフテルにたどり着けないように、今年の埼玉ワールドは宇野選手にとって、チームの仲間や大切な人たちが誰ひとり欠けてもたどり着けなかったラスボスだったと思う。
4年ぶりの埼玉での世界選手権、その公式練習で宇野選手はほとんどのジャンプが2回転になっていた。4回転が抜けてしまったというよりは、おそらく今シーズンの自分が競技レベルで戦うには、もう最後の6分間練習とショート、フリーの演技分のHPとMPしか残っていないことを感じていた中での、勇気をもっての判断だったんじゃないか。
ショートプログラムが終わった後の囲み取材のコメントが、宇野選手が宇野選手たる真骨頂だったなと思ったのは、普段は伝える言葉までにはならない部分の宇野選手の分析力が垣間見えた気がしたからだった。
(深堀してくださったインタビュアーの方の質問の仕方や空気がすごくよかったからだと思うので感謝しています)
試合の朝、久々に「あ、ちょっと緊張しているな」と感じた宇野選手は、「なんで今回は緊張しているのかなと考えた時に、ノーミスしたいと思っているな、全体を見すぎてしまっているな」「一番状態が悪いのに、一番高望みをしていたな」と気づいて、そこからは冷静にやることができたという。
2週間前から調子を崩し右足首の捻挫も慢性的になっている状態で、すべてのジャンプに不安がある中、宇野選手を助けてくれたのは調子がよくない日の練習だった。
「こういう痛い中での練習っていうのも、当初は絶対そんな練習 身のためにならないと思っていましたけど、こういう状況になったからには本当に痛いながらも練習していた時期もあってそれがなんか逆に生きたのかな、と。痛い時に練習したらどういうジャンプになるのかというのがなんとなく予想ができていましたし、自分がどこをかばってしまってどういうジャンプになってしまうのかがなんとなく予想がついたので」
怪我がひどくなるリスクもあるから正しいとは言いきれない。それでも鳥の巣作りの話を思い出した。鳥は強い巣を作るために、風の強い日に巣を作るという。怪我をした日、調子の悪い日、逆境の中でも積み重ねた練習が試合での強さを作り上げたと思う。
万全の状態ではなかった中で、4年前は力を発揮できなかった自国開催での、良い演技が続いた後の最終滑走を、持てる体力気力経験値のすべてを使って滑り切った、大の字でのあのホッとした笑顔を私は忘れない。
競技者であり、氷上の戦士である宇野選手にとって、一番の武器はやはり4回転ジャンプだと思う。そして宇野選手が最も習得に苦しんだトリプルアクセル(3A)は、どんな氷でもどんなに軸が斜めになってもほぼ成功に持っていける得意のジャンプになった。
宇野選手のジャンプを見ていると、格言として聞いたことがある「ゆっくり育ったものは長持ちする」というのは本当だと思える。
ゆっくり育った3Aや4Loは試合での成功率が高く、わりとすぐ跳べるようになった4Tや4Fは自分のものにするのに長く苦労しているように感じるのは、もしかしたら、なぜ跳べないのかを考えながら失敗を積み重ねる経験が足りなかったからではないだろうか。
これは技術的な考察とかではなく、あくまで私の中で人間とは何かを突き詰めたいという勝手な推測なのだけれど、私は宇野選手の4Tは試合でのメンタルの問題だとずっと思っていた。メンタルが弱いからではなく逆に強いために、気持ちが入り体が動きすぎて練習と感覚が違ってしまうのかも。
だから宇野選手はここ数年、試合を練習のように淡々と取り組むようにしていたのでは、と考えていた。だけどそれだと、むしろ試合のほうが成功率がよさそうな他のジャンプの説明ができない気もする。
4Tに限って考えれば、挑戦し始めてすぐに跳べるようになり、毎日同じ状態の練習リンクで少し調整すれば成功してしまうために失敗のデータが蓄積されておらず、様々な状況が発生する中での調整時間が短い試合では対応できずに失敗することが続き、それがメンタルにも影響を与えて自ら4T-2Tを選択する、と試合での4T-3Tの経験が増えない、という循環になってしまっていたのかも。
そのことに感覚的に気がついた宇野選手は、試合に近いアイスショーの場で積極的に4Tを跳んでいた気がする。その日の賞賛よりも、失敗のデータをひとつでも増やすほうが今の自分にはアスリートとして必要だと本能的に理解しているように見えた。
昨年のフレンズオンアイスでの4T-3Tのトライ&エラーが、北京五輪団体SPでの宇野選手を助けてくれたかもしれない。ショーで4回転は別に見たくないという声が届いていたとしても、自分のやるべきことができる、それが宇野選手の強さの秘訣だと思う。
しょーぐんさんのチャンネルでの対談動画で宇野選手はこんなことを言っていた。
「成功って言語化しづらいんですよ。失敗っていうのは言語化が結構しやすいので、自分にとって失敗っていうのがプラスなことに変わってからは練習がすごくスムーズになってきて、理論的に説明できる理由で失敗しているうちは全然焦ったりもしなかったし、それの積み重ねだったんだなっていう」
「最近気をつけているのは、調子良いものっていうのが言語化できるものだったらいいんですけど、言語化できずに何かわからんけど今日いけてるっていうのだったら、失敗するまでダメになるまで続けるほうがいいなって思います。調子良いところから失敗した時の過程もわかるし理由も明確にしやすいから、気分はちょっと落ちるかもしれないけど、絶対人はみんなやらないですけど、そこはダメになるまでやったほうがいいなって」
成功の感覚はもちろん大事だけれど、失敗というのは言語化できる貴重なデータなんだと思う。天才でない限り、時間をかけて量をこなして努力できる才能が必要だけど、それと同じくらい大切なのは、失敗をデータとして貯めて分析し修正し、自分の形にできるまで諦めない才能なんだと思った。
宇野選手のもうひとつの武器、表現力に関しては、どちらかというと努力というより天性のものだという気がしていた。でもよく考えたら、表現においても宇野選手は練習の中で人よりも時間をかけて振付を自分の体に染み込ませるタイプでもある。
本人がよく自虐的に「覚えるのに時間がかかる」と言っていたり、当日振付のエキシビションのオープニングやフィナーレでカンニングがネタになったりするけれど、動きが覚えられないというよりも、自分の納得いく形にするまでに時間がかかるんだと思う。
主役の登場シーンが多いワンピースは覚えられるのかというネタか心配も見かけたけど、自分の動きを失敗だと感じ続けて常に修正し自分らしく磨いていく宇野選手には、数日間練習できるアイスショーのグループナンバーなら大丈夫だし、もっと練習期間があるはずのワンピースオンアイスはむしろ向いているんじゃないかという気がする。
宇野選手はすぐに覚えられないという言葉の裏に、時間と量をかけて自分なりの形にできる自信を持っていると思うし、失敗する自分を見せることを恐れない勇気もある。
表現に関しても「ゆっくり育ったものは長持ちする」という格言を信じて、すぐに変化を求めず、宇野選手のペースで突き詰めていってくれるのを楽しみに応援したい。
ここまで(とここから)どれも的外れで失礼だったらごめんなさい。宇野選手は見ていて本当に面白くて好奇心が尽きない。
話が脱線する上に長くなるけれど…
(宇野選手を真似して、この文章も失敗するまで続けるほうがいいはず!)
『ブルーピリオド』という美術大学の受験を舞台にした漫画がある。その主人公の「天才と見分けがつかなくなるまでやればいい」(1巻)「俺くらいやれば多分大抵の人間 俺よりできるようになるんじゃね?」(5巻)というセリフの説得力がすごくて、ちょっと宇野選手みたいだなと思った。
美術部の先生が主人公に絵を描くように勧めた時の「美術は面白いですよ。自分に素直な人ほど強い。文字じゃない言語だから」というをセリフが印象に残っている。
先月、Instagramに投稿して削除された狐の絵の模写、あの時の宇野選手がどんな気持ちで狐の絵を描いて、投稿することで何を伝えたかったのか、すべて憶測ではあるけど時に絵は言葉よりも雄弁だと感じた。
もし宇野選手が今からでも、スマブラみたいに一年で2000時間かけられるくらいの熱量で模写やデッサンを続ければ、素質のあるなしに関わらず、ものすごく上達するだろうなと勝手に想像したりもした。
宇野選手に限らない、そのくらい何かに熱中すれば人は傷つく暇もなく、誰かに不満を持つエネルギーも残らず、どんなことに対しても努力できる地力がつくと思う。
人はみんな誰かの失敗を責めている時間があれば、自分が失敗を積み重ねたほうがいい。それでも誰かの失敗を責めてしまったという言動もまた、自分の人間力のデータを増やす良い失敗だったとも言える。
そう考えたら宇野選手もどんなファンもいつだってWin-Winなんじゃないか。
宇野選手は、応援を受け入れる器の大きい人というよりも、失敗を受け入れる器の大きい人だと思う。自分や他人の失敗を許せることもまた大きな愛の器だと私は感じる。
もし宇野選手が間違ったことをしたら、公開の場で厳しく指摘してファンをやめることが正しく、いつでも肯定して応援を続けるのは信者だと揶揄されても構わない。
実際に私が自分の人生を諦めかけていた時、よくわからない宗教などにハマらず宇野選手にハマったことは、私の干からびた川で見つけた砂金粒くらいの幸運だった。
宇野選手が失敗をしない人、何もかも完璧な人だったら、私のアンテナはその存在に気づけなかった可能性もある。むき出しの感性でスケートでも人間としても私に考えるきっかけと余白を与えてくれる、そこが好きだと今やっと言語化できた気がする。
(脱線のおかげで、この文章を失敗したけど言語化できてよかった!)
宇野選手の冒険の旅はこの先、もしかしたら強くてニューゲームなのかもしれない。
どんな経験も、競技だけでなく人生にとってためになるから、これからも宇野選手らしくその時目の前に現れたやりたいことを楽しんでほしいし、大切な人を何よりも大切にしてほしい。たった一度の人生だから。
ファンの応援というのは、Lv1からのゲームを成長しながら戦っていた頃の熱量とはまた違ってくるんだろうか。でも私は元々、落ち着いた空気が好きだし、風の強い日にも揺るがない落ち着きの中にこそ、多くの気づきや本当の幸せがあると思っている。
逆風に帆を張って進む船が一番強く、嫌われる勇気を持つ者が一番自由だから。
大丈夫、性格はかけ離れていないよ。
宇野選手には、どうか『ワンピース・オン・アイス』でも、いつもどおり失敗を恐れずにルフィらしく伸び伸びと挑んでほしい。
「芸術に失敗は存在しないんですよ」
(『ブルーピリオド』3巻より)
ブルーピリオドとは、ピカソの二十代前半、画風が青一色だった時代のことをいう。
宇野選手にとって、これまでのスケート人生は表現に葛藤があったブルーピリオドだったかもしれない。この時期を乗り越えて、人はきっと自分だけの色を見つける。
その旅がどんな結末かは関係ない。前回の応援記にも登場した岡本太郎さんのこの言葉を胸を張って言える人生でありたい。
「精いっぱい挑戦した、それで爽やかだ」
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