【新日本プロレス】祝!三冠ヘビー級王座奪取!グランドスラム達成の永田裕志に直撃!

チーム・協会

【新日本プロレスリング株式会社/山本正二】

2.19全日本プロレスの後楽園大会にて宮原健斗を下し、史上最年長で三冠ヘビー級王座を獲得。日本メジャー3団体でヘビー級シングル王座を戴冠、さらにタッグ王座、シングルのリーグ戦も制覇しており、これ以上ない形で“グランドスラム”の偉業を達成した永田裕志。

3月21日(火・祝)には、全日本の大田区総合体育館大会で石川修司との初防衛戦が決定した永田に直撃ロングインタビュー!

聞き手/小松伸太郎
撮影/山本正二

全日本の大会のチケットの売れ行きが心配になってきたりと、王者として早くも責任っていうものが出てきたんだなって

【新日本プロレスリング株式会社/山本正二】

──まずは三冠ヘビー級王座の獲得おめでとうございます!

永田 ありがとうございます。

──2月19日の試合で獲った時は「まだ実感が…」ということをおっしゃっていましたけど、日にちが経ってみていかがですか?

永田 まあ、全日本プロレスのベルトを巻いたことで、全日本の大会のチケットの売れ行きが心配になってきたりと、王者として早くも責任っていうものが出てきたんだなって、自分の中で感じていますね。あとは誰かが取り返しに来るとか、そういうアクションもありましたからね。

【新日本プロレスリング株式会社】

──当日に早くも石川修司選手が次の挑戦者に名乗りを上げていましたよね。

永田 だから、そういった部分で三冠を獲ったという実感は得られているんですけど、世の中の反響を見ても永田がベルトを戴冠したことを喜んでくださる方がたくさんいるんですよ。この間、地元・東金のハーフマラソンのオフィシャルアンバサダーになったので現地に行ってきたんですけど、ランナーの皆様から「グランドスラムおめでとう!」という声をたくさんいただきましてね、改めて反響のデカさを感じていますよ。今はありがたいことに祝勝会の毎日ですね(笑)。

──今、おっしゃられたように、今回は三冠王座を獲得しただけではなく、グランドスラム達成という偉業も話題になっていますよね。

永田 これは新日本、全日本、ノアのメジャー3団体のベルトを獲っただけじゃなく、『G1』、『チャンピオン・カーニバル』、『グローバルリーグ戦』(現『N-1 VICTORY』)というメジャー3団体のシングルのリーグ戦で優勝しているということもクローズアップされて、それに対する反響も大きいですね。プロレスラーになって31年かかりましたけど、大きなことをやったんだなと改めて実感していますね。

僕の中のこだわりは、“新日本プロレス一筋”でグランドスラムを成し遂げたっていうところが大きいですね

【新日本プロレスリング株式会社】

──グランドスラムと一口に言っても、シングルのヘビー級王座、タッグ王座、そしてシングルのリーグ戦まで全て制覇したのは永田選手だけですからね。史上初の記録というところでも、達成感は大きいんじゃないですか?

永田 それもそうなんですけど、過去にグランドスラムを達成した人たちがいるじゃないですか? 

──シングル王座だけだと佐々木健介さん、シングルとタッグの両方のベルトを総ナメしたレスラーだと、髙山善廣選手、武藤敬司さん、小島聡選手といますね。

永田 僕の中のこだわりは“新日本プロレス一筋”で成し遂げたっていうところが大きいですね。その人たちは団体を移籍したり、フリーランスでの達成ですからね。闘う場所を自由に変えることができるわけで、それはそれで素晴らしいんですけど、僕は新日本の所属一本でやりながら、各団体に永田を必要としてもらえたわけですし、呼んでいただいたチャンスから成し遂げることができたと。新日本プロレスに31年いる中で紆余曲折はありましたけど、新日本所属一本での達成は誇りに思っていますね。

──団体に所属している選手が他団体に参戦して、なおかつベルト挑戦に漕ぎ着けるのはやはりハードルが高いですからね。

永田 警戒される部分もありますからね。そういうガードが固くなる中で他団体のベルトを獲ったり、あるいはリーグ戦に参戦して闘うことでその団体のシリーズを活性化させて盛り上げる。これを新日本の所属レスラーとしてやったというところに大きな誇りを持っていますね。

宮原との前哨戦はゼロ。でも、SNSやリング上とか試合後の発言等で結構言い合えたのは新しい試みに感じました

【新日本プロレスリング株式会社】

──では、そのベルトを獲った宮原健斗選手との三冠戦ですけど、改めて振り返ってみていかがですか?

永田 やっぱり全日本プロレスの新しいエースとしてここ5〜6年、団体を引っ張ってきたという実績のある選手ですし、力量もあるし素晴らしい選手だなと思いました。その選手に内容も残しながら勝利を得られたということは、自分にとっても大きな自信になりましたね。

──戦前は挑発的なことを言われたり、挑戦表明をスカされたりしたこともありましたけど、闘ってみて印象が変わったところはありましたか?

永田 それこそ前哨戦がゼロという中でやったんですよ。昨年、タッグマッチを通じて何度か闘ったことはありましたけど、タイトルマッチを本当に前哨戦なしで舌戦とSNSのやり取りだけでやったっていうのは初めてでしたね。ただ、両者の中でこのタイトルマッチを盛り上げないといけないという意識があったのか、SNSやリング上とか試合後の発言等で結構言い合えたのは新しい試みに感じました。その中で当日はあれだけのお客様に熱を生むことができたし、それは俺的にはカルチャーショックというか、斬新だったなというのはありますね。

──SNSでの挑発合戦というのは現代的ではありますね。

永田 そうですね。SNSの中でも永田に対する強い風当たりもありましたし、永田を後押しする声もあったんですよ。SNSというのは狭い範疇の世界なんだろうけど、それなりに両者の応援団が熱く燃え上がってくれましたからね。

──なるほど。

永田 ただ、俺は“アンチ永田裕志”がたくさんいる中で伸び伸びと好き放題やりたいって思っていたんですけど、残念ながら永田を応援してくれる新日本のファンの方々が、当日は多数応援に来てくれましたからね(笑)。それだけSNSのやり取りだけで熱を生むことができたっていうのは、斬新だったし凄く良かったなと思いますね。

──全日本の大会なのに敵地という感じがしなかったですよね。

永田 久しぶりに“アンチ永田裕志”の風評の中で闘うことを楽しみにしていたんですけど、ちょっと肩透かしを食らいましたね(笑)。12年前に三冠戦をやった時は武藤全日本の時代で、完全に永田を敵視する方たちの向かい風を受けながらの闘いだったので、ある意味開き直って、図々しくも“嫌な永田裕志”を披露したんですけど、今回に関してはちょっと違いましたね。都内や関東近辺でこれだけ大会がある中、たまたま新日本プロレスの大会がなかったとはいえ、新日本のファンの方々があれだけ来てくれたのは嬉しかったし、やっぱり永田に対する期待値を感じましたよ。

──やはり“嫌な永田裕志”を披露したいという気持ちもありましたか?

永田 ありましたけど、それをやる前に宮原が強烈なパイルドライバーをやったり、お客様を煽ったりしていたんでね。まあ彼は新しいタイプというか、ここ最近じゃ触れてないような選手でしたね。でも、ヘビー級の試合をする選手かなというのは感じましたね。

両ヒザを痛めて歩くのもままならない状態だった。本当にピンチでしたよ。一時期は杖を突いて歩いていましたからね。

【新日本プロレスリング株式会社/山本正二】

──最後のフィニッシュに至るハイキック、そしてバックドロップホールドもそうだし、白目も出ました。思う存分、永田裕志が出た試合だったなという印象がありますね。

永田 そこに持っていくまでが結構苦労したんですよ。年末の『世界最強タッグ決定リーグ戦』の中盤で左ヒザを痛めて、途中から今度は右も痛めまして、本当に歩くのもままならない状態だったんですよ。だから体を治すために東洋医学も西洋医学も金も使って、なんとかこの大会に間に合わせられたので良かったですけどね。

──永田選手が故障するのは珍しいですね。

永田 そうなんですよ。ただ環境の変化とかもあって、一気に来ましたね。新日本のシリーズだとトレーナーの方がいらっしゃるので、試合前に痛めているところとか硬くなっているところをほぐしてもらえたんですけど、全日本プロレスさんだとそういう事情でできないというのもあって、どこか疎かにしていたというか、時間の関係で見失っていた部分がありましたね。それは自分の中では反省でした。本当にピンチでしたよ。一時期は杖を突いて歩いていましたからね。

──そんなに酷い状態だったんですか!

永田 水だって75mlぐらい溜まりましたからね。だから年末の各所の忘年会も車で行って、酒も飲まずにノンアルコールで楽しんで、車も極力歩かなくていい場所に止めたりとかね、そういうふうに工夫しながら楽しんでいました。

──それを乗り越えての三冠奪取だと、喜びもひとしおですよね。

永田 だからまずはホッとしましたね。2回も宮原選手に挑戦表明しましたし、下手な試合は見せられないですからね。また、新日本のお客様も集まってくれているし、当然全日本のアンチ永田裕志にも好き放題言ってもらいたいと。そんな中で俺と宮原の両者を応援するお客様を熱狂させることができてベルトが獲れた。そこの安堵感はその日は大きかったですね。

峠を越えたと思っていた永田にベルトを獲られてしまったということで、全日本のレスラーにも相当な怒りや焦りが生まれたと思います

【新日本プロレスリング株式会社】

──これまでIWGP、GHCと巻いてきましたけど、また年齢を重ねてきての三冠王座獲得じゃないですか? そのへんのお気持ちはいかがですか?

永田 だから、さっきのケガもありましたし、いざ挑戦表明したけど、「果たして今の永田裕志にベルトを獲って、全日本を支えることができるのか?」っていう問いかけが、試合するまでは自分の中でもありましたよ。とにかく体調次第でしたからね。でも、実際に試合をすることで、「俺はまだまだできる」っていう思いがよりしっかりと芽生えましたね。

──では、試合後に石川修司選手がすぐに挑戦表明してきましたけど、その自信が芽生えた直後なら来るなら来いという感じでしたか?

永田 それは俺のタイトルマッチ後は、チャレンジャーが次々と来て投げ飛ばされたりしたっていうことが相当ありましたからね(笑)。「やっぱりタイトルマッチの後はこうじゃなきゃダメだよな」って思いましたよ。去年、全日本に参戦し始めた時、キャリアもあるし年齢もいっているし、ある程度峠を越えた人間って思った選手はたくさんいると思いますよ。その永田裕志が挑戦表明をした。

それに対して思いっきり嫌悪感を持ったからこそ、宮原の挑発的な発言にも繋がったんだろうし、周りで見ていた選手たちも同じでしょう。その峠を越えたと思っていた永田にベルトを獲られてしまったということで、相当な怒りや焦りが生まれたと思います。ただ、それは俺自身も逆の立場だったり、自分が若い時にはそういう思いをしたことがありましたし、逃げるというよりは正面から受けて立とうという気持ちしかなかったですね。そういう自信がタイトルマッチを通じてできましたからね。まあ、石川修司選手が凄い選手だっていうことは分かった上で、しっかりと観客を熱狂させて防衛したいと思います。

──全日本の選手って身体が大きな選手が多いんですけど、石川選手はその中でもかなり大きいですよね。

永田 日本人選手の中では特にデカいですよね。194cm、130kgオーバーじゃないですかね? その巨体で彼自身はしっかり動けますからね。しかも左からの攻撃をしてくるんですよ。特にエルボーとかが左なんで、ちょっとやりづらいというのは感じました。でも、俺の31年のレスラー人生の中でデカい選手とやってきた経験はあるし、昔で言えばスコット・ノートンとか、ちょっと前で言えばジャイアント・バーナードとか、そういう選手たちとやるのはわりと得意でしたからね。

──いまの全日本のリングには盛り上げがいを感じてますか?

永田 それはありますよ。ヘビー級のぶつかり合いというか、大きさを使ったファイターがたくさんいますからね。芦野祥太郎なんか身体は小さいけど、強引に体重を増やして102〜103kgで大きな選手を投げたりしますし、石川修司、諏訪魔、宮原も俺よりも大きいですからね。ウチの選手はわりとジュニアから上がってくる選手も多いんで、空中というか空間を使ったスタイルをヘビー級でも織り交ぜる選手が多いじゃないですか? そういう意味ではウチの選手にはない重みを、全日本のヘビー級戦線には感じましたね。

──同じヘビー級でも団体による特色は今でもあるんですね。

永田 全日本はジャイアント馬場さんが創設者ですから、やはり大きな選手が正義みたいな社風や特色が、体制が変わった今でもしっかりと残っていますよね。試合スタイルは進化していますけど、ヘビー級のパワーや迫力を出すファイトスタイルは今でもしっかりと受け継がれているのを感じました。

今考えると、「アンチエイジング」って言ったのは10年早かった(笑)

【新日本プロレスリング株式会社】

──さて、12年前に全日本プロレスのチャンピオンカーニバルで優勝した時には「アンチエイジング」をテーマに掲げていましたけど、それからさらに歳を重ねて、今回は何をテーマとして掲げますか?

永田 今考えると、アンチエイジングって言ったのは10年早かったなと(笑)。あの頃は40代になって、「40代なのに……」っていう声が聞こえてきたので、「まだまだだ!」っていう思いからアンチエイジングって言ったんですけど、あれは早すぎました。今こそアンチエイジングというか、10年経って改めてアンチエイジングは今だって感じますね。

──では、3.21大田区大会で三冠戦を控えていますけど、改めてアンチエイジングを掲げながら、全日本のリングでどんな永田裕志を見せつけてやろうと考えていますか?

【新日本プロレスリング株式会社/山本正二】

永田 全日本は全日本の中での闘いをずっとキープしているんですよね。コロナ禍であったり、闘いが確立しているのは分かっているんですけど、如何せん内輪のコップの中の嵐ですよ。そのコップの外から、いろんな団体を回ってベルトを掻っ攫ったり、リーグ戦を獲ったりしてきた永田裕志が大きな嵐をぶち込むと、どういう化学反応が起きるかっていうのを楽しみにしています。あのコップは俺からするとあまりにも狭い世界ですからね。
 
新日本プロレスにいる選手を見てもらえれば分かると思いますけど、団体内の闘いも素晴らしいし、海外からやって来る選手との闘いも素晴らしいじゃないですか? この間もオカダ(・カズチカ)がノアのチャンピオンの清宮(海斗)くんとやったり、幅広くやっている。そういう闘いがあまり見られなかった全日本プロレスのリングに、より様々な経験を積んだ永田が入ることで、小さな嵐がコップの中から吹き出るような闘いの渦を起こしたいと思っていますね。……そして、最後に今回の三冠戦の勝利を、いつも応援してくれるテレ朝の野上慎平アナとウチの息子に捧げます。ゼァッ! (了)

【新日本プロレスリング株式会社】

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著者プロフィール

1972年3月6日に創業者のアントニオ猪木が旗揚げ。「キング・オブ・スポーツ」を旗頭にストロングスタイルを掲げ、1980年代-1990年代と一大ブームを巻き起こして、数多くの名選手を輩出した。2010年代以降は、棚橋弘至、中邑真輔、オカダ・カズチカらの台頭で再び隆盛を迎えて、現在は日本だけでなく海外からも多くのファンの支持を集めている。

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