早大競走部【第13回】3年・辻文哉=東京・早稲田実業 箱根事前特集『RE:』

チーム・協会

【早稲田スポーツ新聞会】

【早稲田スポーツ新聞会】取材・編集 星野有哉

頼もしい男が帰ってきた。ワセダの看板を背負って6年目となるその男の名は辻文哉(政経3=東京・早実)。1年時の全日本大学駅伝対校選手権(全日本)では区間新記録の好走を見せ、鮮烈な大学駅伝デビューを飾ったものの、その後は度重なる故障でタスキをかけることはなかった。しかし、今季は6月の早大競技会で復帰を果たすと、駅伝シーズンに入り、徐々に調子を上げてきている。悲願の初出走を目指す東京箱根間往復大学駅伝(箱根)を前に、胸の内を明かした。

※この取材は12月11日に行われたものです。

長期の故障を乗り越えて

質問に答える辻 【早稲田スポーツ新聞会】

――2年ぶりにエントリーメンバー入りしましたが今の気持ちはいかがですか

 昨年は直前に故障して外れてしまって、一昨年も故障してギリギリ走れるようになったくらいの状態でエントリーに入りました。今年は元気に走れているので、初めてエントリーの時点で箱根駅伝本戦を楽しみに思えている状態です。

――昨年の箱根はどのような気持ちでご覧になっていましたか

 1区の付き添いをしていたのですが、本来走るべきだったというか、走りたかった区間ではあったので、悔しいところはありました。なによりチームとして13位という結果になってしまったので、そこは自分の弱さを痛感しました。

――昨年の箱根のエントリーを回避した原因となったケガは、どのようなものだったのでしょうか

 12月の頭に大腿(だいたい)骨を疲労骨折して、2、3週間の間軽く休んで、(漢祭りの)1、2週間前からなんとか走り始めはしたので、(漢祭りは)一応B(チーム)の選手のペースメーカーとして5000メートル走ったという感じです。

――そこからまた6月の早大競技会まではレースの出場がなかったと思うのですが、どのようなコンディションだったのでしょうか

 疲労骨折自体はすぐ治ったのですが、1月下旬にコロナにかかって、そこから復帰した時に膝を痛めてしまいました。それで2月から4月の間全く走れませんでした。5月から少しずつ走れるようにはなったのですが、ケガで離脱期間が長かったことで筋力が低下していて、時々痛みも出て、という具合でした。そこで6月にようやくトラックシーズンに入れたという感じです。

――リハビリ期間中にはどのようなことに取り組みましたか

 あまり特別なことはしていないのですが、痛めた箇所が膝で、できることが限られていたので、病院にリハビリに行ったり、今まで行ったことがない治療院に行ったりだとか、そういった意味では故障した時の引き出しは増えたと思います。

――4月に1年生が入学し、上級生となりましたが意識の変化はありましたか

 そんなに意識の変化というのは自分の中では感じませんでした(笑)。ただ、新入生が入ってくる中で、自分が全く走れない状態にあるというのは少し情けないなと思っていました。

「やっとまともに走れるめどが立ってきたかな」

6月の早大競技会を走る辻 【早稲田スポーツ新聞会】

――復帰レースを6月の早大競技会にしたのはなぜでしょうか

 走れるようになったのが5月からで、6月に入ってからポイント練習もできるようになっていたので、ちょうどいい時期の早大競技会で、短い距離から復帰しようということで走りました。

――1500メートルを選んだのはなぜでしょうか

 復帰の一環として、短い距離を走ろうということでした。

――その後は7月の早大競技会で5000メートル、9月の早大競技会では1万メートルと徐々に距離を伸ばしていましたが、手応えはいかがでしたか

 夏も正直全然走れていなくて、9月に入ってからようやくポイント練習をしっかりできるようになっていました。1万メートルに関してはなんとか設定通りにいけたので、やっとまともに走れるめどが立ってきたかなと、ある意味手応えをつかめた大会でした。

――夏合宿でのご自身のテーマを教えてください

 7月の早大競技会の後、故障というか、あまり走れていませんでした。夏合宿も最後の妙高に行った以外は全て不参加というかたちだったので、テーマを設定するという段階にはなりませんでした。

――走れなかった原因のケガはどのようなものだったのでしょうか

 足の指に痛みが出るなど細かい筋力が低下していて、こんなところが痛くなるのかという状態でした。大きく長引くケガはなかったのですが、ちょくちょく痛みが出たので、なかなか練習が継続できませんでした。

――夏の練習メニューの達成度はいかがでしたか

 9月に入ってポイント練習に復帰してからは、思ったよりちゃんと走れるなという感じでした。夏を通して見たら20〜30%かなと思います。

――ロードへの移行で意識したことはありますか

 9月からしっかり練習ができ始めたという感じなので、これ以上ケガをしてしまうと箱根本戦に間に合わないぞという気持ちでした。まずは練習をしっかり継続して、少しずつ練習量を増やして距離に対応していこうとしていました。

――エントリーメンバーには入ったものの、出走機会のなかった予選会を振り返っていかがですか

 それこそ合宿明けの(早大競技会の)1万メートルで、ある程度手応えは得られて、出走もあり得る状態だったのですが、予選会直前になって脚に若干の不安が出てしまって、念のため他の12人に任せて回避しようというかたちになりました。

――全日本では3区にエントリーされたものの、当日変更で石塚選手に譲るかたちになりました。このことについてはどのように捉えていますか

 予選会の時点で脚に不安があったので、全日本は回避して上尾ハーフ(マラソン)を1本走って箱根本戦に向けてということにしよう、と花田(勝彦駅伝監督、平4=滋賀・彦根東)さんと話し合いました。全日本に間に合わせたかったというのはあるのですが、当日変更については特にありません。

――チームとしての全日本の結果についてはどのように捉えていますか

 結果としては6位という順位であまり良くはないのですが、ある程度夏から通して準備できていた選手に関してはすごくいい走りができていました。強いチームがそろう中で、ちゃんと準備すれば通用する練習ができているということが確認できた大会だと思います。一方で準備が足りずに通用しなかった選手もいて、選手層の薄さを感じました。そういったところは僕とか伊福(陽太、政経2=京都・洛南)など走れなかった選手がしっかり練習していけば箱根も十分戦えるのではないかと思いましたし、逆にそういったところがそろってこないと箱根も厳しいなと思いました。

――上尾ハーフが久しぶりの学外戦となりましたがいかがでしたか

 入学した時からコロナ禍で、早大競技会ばかりだったので、そういった面では楽しめたのかなと思います。

――上尾ハーフはどのような位置づけで臨みましたか

 自分としては今年初めてしっかり記録を狙うレースと定めていました。なんとか63分台でまとめられたという結果だったのですが、練習も夏まであまりできていない中で、全力でレースをいざ走って、力を出せなかったらどうしようという不安があるにはありました。そういったところで言えば練習通りには力を出せたので、一つ不安をなくす材料にはなりました。逆に順位は72番ということで、(自分が)どういう環境で戦っているのかを思い知りました。ここからしっかり頑張らなければならないですし、逆に頑張れば十分箱根も戦えるのではないかと思える大会でした。

――自己ベストを更新するかたちになりました

 過去の2本は転倒したり、風がとても強かったりで記録を狙えなかったので、自己ベストの喜びはありませんでした。でもベストはベストなので、そこは一つ形に残る記録が出たというのは良かったです。

初の箱根出走に向けて

上尾ハーフを走る辻 【早稲田スポーツ新聞会】

――ご自身のコンディションはいかがですか

 上尾(ハーフ)が終わってからのこの3週間は元気に良い練習を積めているので、あと3週間ケガせずにやっていければ十分に戦える状態にあるのかなと思います。

――現在の調子はいかがですか

 今は本当に良い練習ができている状態だと思います。

――走りたい区間はありますか

 復路の区間を担うことになると思うので、8区、9区あたりになるのかなと。8区は高校時代の先生である北爪先生(北爪貴志氏、平23スポ卒=東京・早実)も3年、4年で8区を走っているので、そこを走れれば面白いなと思います。どの区間でも自分の力を出し切って、順位を押し上げられたらなと感じています。

――以前おっしゃっていた1区へのこだわりについてはいかがですか

 1区は集団で行けますし、1番早く終わるので(笑)結構好きなのですが、今は1区のスピードに対応できるだけの力がついていないので、今年はしょうがないかなと思っています。

――自分がチームの中で果たしていきたい役割はありますか

 それこそ全日本の時に選手層が薄かったかなというところで、僕みたいな選手がしっかり力を出し切って区間上位で走れたら、それこそチーム目標達成の可能性も大きく上がってくると思います。そういうところで、本番まで元気に過ごせたらなと思います。

――箱根を走るに当たり、自身の強みとなる点はどういった点だと考えていますか

 しっかり練習通りに力を出し切れる安定感というところは、自分自身の強みだと思っています。

――本番までに改善したい点はありますか

 上尾ハーフの時は8キロくらいから「ハーフ長いな」と感じました。9区とかは23キロの長丁場になります。上尾ハーフ以降はしっかり距離の練習もできているので、ここから準備していければ問題ないのかなと思っているのですが、長い距離を戦い切れる体をつくるというのは課題なのかなと思います。

――1年生の頃から切磋琢磨(せっさたくま)してきた同期への意識はいかがですか

 僕と菖蒲(敦司、スポ3=山口・西京)が箱根前にずっとケガをしてきているのですが、今年は二人とも元気に走れていると思うので、二人でタスキをつなげられたらいいなと思います。

――意識している大学はどこですか

 チームとしてはやはりどこもすごく強いので、自分たちがミスなく力を発揮していかないと勝つことはまずないと思っています。特定のどこかというよりはしっかり自分たちの力を出し切ることに集中していきたいです。選手としては自分は中学が千葉で、高校が東京なので、中学や高校のカテゴリーで同じだった選手は意識しています。

――具体的に意識している選手はいらっしゃいますか

 青学の佐藤一世(3年)や法政の松永伶(3年)は最近調子が良いですし、意識している選手です。

――最後に箱根への意気込みをお願いします

 今年は元気にこられています。この1年あまり試合に出られず、結構家族とかも心配してくれているので、箱根で元気な姿を見せられたらと思います。

――ありがとうございました!



◆辻文哉(つじ・ふみや)

2002(平14)年1月4日生まれ。167センチ。東京・早実高出身。政治経済学部3年。自己記録:5000メートル13分49秒31、1万メートル28分54秒74、ハーフマラソン1時間3分56秒。しっかり者であることから菖蒲選手、伊藤大志選手(スポ2=長野・佐久長聖)から父親にしたい部員に挙げられていた辻選手。そんな辻選手の応援ハッシュタグは「#世間は辻の復活にもっと騒いだ方がいい」。辻選手が今年6月に競技復帰を果たした際の新上健太選手(人3=東京・早実)のツイートが元ネタとなっているそうです!
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著者プロフィール

「エンジの誇りよ、加速しろ。」 1897年の「早稲田大学体育部」発足から2022年で125年。スポーツを好み、運動を奨励した創設者・大隈重信が唱えた「人生125歳説」にちなみ、早稲田大学は次の125年を「早稲田スポーツ新世紀」として位置づけ、BEYOND125プロジェクトをスタートさせました。 ステークホルダーの喜び(バリュー)を最大化するため、学内外の一体感を醸成し、「早稲田スポーツ」の基盤を強化して、大学スポーツの新たなモデルを作っていきます。

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