“川崎産”の選手たちが見せた活躍――未来に託された想いのバトン

川崎フロンターレ
チーム・協会

【©JFA】

カタールの地でFIFAワールドカップを戦った日本代表。目標に掲げた史上初のベスト8以上にはわずかに届かず、“新しい景色”を見ることはできなかったが、グループステージでドイツ、スペインという世界制覇の経験を持つサッカー大国に勝利。森保一監督もクロアチア戦後の記者会見で「日本が世界と戦い、勝っていける新時代を選手たちが見せてくれた」と評価した。そんな森保ジャパンにあってピッチ内外で存在感を見せたのが、麻生グラウンドで日々高みを目指し続けた“川崎産”の7人衆だった。

板倉滉はグループステージ全3試合にフル出場。守備はもちろん、攻撃でも1アシストを記録した。 【©JFA】

ドイツとの初戦で板倉滉、田中碧、三笘薫がワールドカップデビュー。中でも三笘と板倉は後半の大逆転劇を演出する大活躍を見せた。1点のビハインドで迎えた75分、3―6―1の左ウイングバックに起用された三笘が敵陣深い位置から南野拓実へのパスで、堂安律の同点弾を演出。83分にはセンターバックで先発出場していた板倉が鋭いロングフィードで浅野拓磨の劇的決勝ゴールをアシストした。いずれもフロンターレ時代から得意としていたプレー。海外に出てさらに武器を磨いた両選手の活躍で、日本代表が勢いに乗った。

山根視来はコスタリカ戦で62分間のプレー。システム変更にもうまく対応した。 【©JFA】

続くコスタリカとの第2戦には山根視来が4バックの右サイドバックとして先発出場。さらに負傷で出遅れていた守田英正もボランチでスタメンに名を連ねた。初戦に続いて試合途中で3バックにシステム変更すると、山根は右ウイングバックにポジションを変えてチームに貢献。守田は周囲への的確かつ積極的な指示出しで“ピッチ上の監督”とも言える存在感を発揮した。試合は終盤の失点で惜しくも敗れたが、二人がワールドカップデビューを果たす形となった。

守田英正は2戦目のコスタリカ戦から3試合連続での先発出場。中盤で存在感を発揮した。 【©JFA】

そしてグループステージ突破を懸けたスペイン戦で“川崎産”の選手たちが大きな輝きを放つ。3バックの一角でついに出場機会を得た谷口彰悟は、バルセロナでプレーするガビを抑えながらフロンターレ同様の落ち着いたディフェンスとビルドアップを披露。板倉、守田も与えられたタスクを遂行し、粘り強く戦いながら勝利を目指した。

谷口彰悟はスペイン戦、クロアチア戦にフル出場。守田、田中とのトライアングルではフロンターレらしいボール回しも見せた。 【©JFA】

0―1で迎えた48分、後半開始から投入された三笘のフォアチェックを起点に堂安が豪快に決めて同点とすると、直後の51分には三笘がゴールラインギリギリで折り返したボールに田中碧が詰めて、わずか3分間で逆転に成功。VARの末に認められた三笘の折り返しは、わずか1ミリ強だけ芝に掛かってインプレーが認められたともされている。二人の最後まで諦めない姿勢、小学生時代から一緒にプレーしてきたお互いを信じる心が世紀の大逆転劇をもたらした。

田中碧は3試合に出場。三笘―田中の「鷺沼兄弟」で決めたスペイン戦のゴールに日本中が熱狂した。 【©JFA】

新しい景色に王手をかけたクロアチアとの決勝トーナメント1回戦は、板倉の出場停止もあってスペイン戦で好パフォーマンスを見せた谷口が再びスタメン出場。入念な準備とシミュレーションを武器にJリーグでプレーしていても世界と対等に戦えることを証明した谷口は、この試合でもボランチに入った守田と細かくパスの出し入れすることで試合の流れを引き戻すなど、ピッチ上に“等々力”と同じような安定をもたらしていく。

そして運命のPK戦。1人目で南野が外して劣勢に立った日本の2番手に、三笘が名乗りを上げる。「(先輩たちが)つないできたものがあって、それを受け継ぐ覚悟ができていたから立候補した。勝たせたかった」と覚悟を決めてキックを放ったが、これが相手GKに阻まれてしまい、そのまま悔しい敗戦。目標にしていたベスト8まで、あと一歩のところで届かなかった。

三笘薫は全4試合に途中出場。最後に味わった悔しさをバネに今後の飛躍を誓う。 【©JFA】

PK戦直後から涙が溢れて止まらない三笘。強い気持ちを持って大会に臨んだ先輩たちへの想いが申し訳なさに変わり、ミックスゾーンに出てきても目を真っ赤にしながら、未来に向けた話をし続けた。

「代表でもチームを勝たせる存在にならないと。ワールドカップで活躍できる選手がいい選手だと思いますし、ベスト8に導ける選手だと思うんで、それを4年間もう一回、目指そうと思っています」

チーム最年長選手として背中で引っ張り、言葉で周りを支えた川島永嗣は、「これは間違いなくいい経験になる。次に向けて特に若い選手たちに前に進んでいってほしい」と後進に未来を託すコメントを残した。

川島永嗣は出場機会こそなかったものの、日本代表のグループステージ突破を陰で支えた。 【©JFA】

フロンターレで育った7選手それぞれが日本代表にとって必要なピースとなったカタール大会。ベスト8進出を果たすことはできなかったが、麻生グラウンドで培ったベースが世界の大舞台でも通用することを、ピッチに立った各選手が証明した大会でもあった。日本サッカーの未来に向けて、想いのバトンは確実に託された。

(文:青山 知雄)
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著者プロフィール

神奈川県川崎市をホームタウンとし、1997年にJリーグ加盟を目指してプロ化。J1での年間2位3回、カップ戦での準優勝5回など、あと一歩のところでタイトルを逃し続けてきたことから「シルバーコレクター」と呼ばれることもあったが、クラブ創設21年目となる2017年に明治安田生命J1リーグ初優勝を果たすと、2023年までに7つのタイトルを獲得。ピッチ外でのホームタウン活動にも力を入れており、Jリーグ観戦者調査では10年連続(2010-2019)で地域貢献度No.1の評価を受けている。

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