【中村憲剛の教えてファミリー】興味があることは自分で追求する〜川島永嗣選手のご両親インタビュー

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【©JFA】

日本代表まで登り詰める選手はどのような幼少期を過ごしてきたのでしょうか。JFAロールモデルコーチとして育成年代に関わり、昨年4月、登録制度改革本部のJFA Growth Strategist(JFAグロース・ストラテジスト)にも就任した中村憲剛氏の発案により、トップレベルの選手のご両親へのインタビューを実施しました。第三回はSAMURAI BLUE(日本代表)として長らくゴールマウスを守り、4大会連続でFIFAワールドカップメンバーに選出された川島永嗣選手(RCストラスブール/フランス)のご両親で、中村氏と家族ぐるみの付き合いがあるという父・誠さんと母・法子さんにご登場いただきました。

○オンライン取材日:2022年10月22日

法子 楽しみにしていました!

 もう何年ぶりですかね。

憲剛 本当ですね。連絡はさせてもらっていましたが、お顔を拝見するのは本当に久しぶりです。積もる話がありますが、早速、本題に入りましょう。川島選手がサッカーを始めたきっかけを教えていただけますか?

 始めたのは幼稚園の頃です。実は私も妻もバレーボールをやっていまして、永嗣にもやらせたかったんです。でも幼稚園でできるのが体操かサッカーしかなくて、「どちらをやりたい?」と言ったら「両方やりたい」と。それでどちらもやり始めたのがきっかけでした。

憲剛 それは知らなかったです。体操もやっていたから身体能力が高いのかもしれないですね。ポジションは昔からゴールキーパーだったんですか?

 そうでもないんです。最初のうちはディフェンダーをやっていました。永嗣も、永嗣の兄も背が大きくて、背の高い2人が並んでディフェンダーをやっていました。キーパーをやりたいと言い始めたのは小学校高学年になってからだったと思います。

法子 本人はボールを止めるのが楽しいと言っていました。

 おばあちゃんに野球の道具を買ってもらった時があったんですけど、その時に選んだのもキャッチャーの防具。受けるほうが好きと言っていましたね。サッカーならキーパー、野球ならキャッチャーだって。

法子 でも、小学校の時はキーパーをやりたくてもあまりできなかった記憶があります。人数が少なかったので、上級生だったりほかの子だったりがキーパーをやることが多かったと思います。

【ご両親提供】

憲剛 やりたくてもやれないのは珍しいですね。僕の小さい頃もそうだし、今の少年団を見ていてもキーパーをやりたがる子は多くないです。

 うちの子はやりたがっていましたね。近くのホームセンターで棒や網を買って、うちの狭い庭にゴールを作るんです。自分はその前に立って、近所の子どもにボールを蹴らせていました。この前、物置を整理していたらそれが出てきて、永嗣に写真を送ってあげました。

憲剛 え、小学生の時ですよね? お父さんが作ったんじゃないですか?

法子 いえいえ、自分で買いに行って、自分でのこぎりを使って削って。

憲剛 その時から自分でいろいろとやることが好きだったんですね。

 好きなものだと、そういうふうにどんどん動くタイプでしたね。興味がないことにはまったく動かない(笑)。

憲剛 変わらないですね(笑)。当時から将来の夢としてサッカー選手を目指していたのでしょうか?

 小学校の卒業アルバムに書いてありましたね。「Jリーグのサッカー選手になって、日本代表に選ばれる(レギュラー)」と。

【ご両親提供】

憲剛 見事に夢をかなえていますね! ご両親からプロを目指すよう後押ししたことはあったのですか?

 特にしていませんでした。ただ、高校3年生の時、進路を決める時にぶつかったことがありました。永嗣は卒業してそのままプロになりたい、僕は大学に行ってからプロになりなさいと。永嗣とぶつかったのはこれが初めてでした。

憲剛 結果的にプロに進むことになりますが、どうやって着地したのでしょうか?

 僕とぶつかりながらも、永嗣は話をいただいていた大学をすべて見て回ってくれたんです。それで、「ここの大学はこう」「あそこの監督さんはこういう人」とすべて報告してくれました。その上で「プロに行きたい」と。

憲剛 お父さんの意見を押し切ってプロに進むのではなく、ちゃんとお父さんの意見も尊重して、大学を一個一個見て回っていたんですね。「それでもプロがいい」と言われたら、親としてはなにも言えなくなりそうです(笑)。

 そのとおりでした。それ以降、ぶつかったことはないですね。永嗣のほうが正しいとわかったから(笑)。

憲剛 僕も彼のことを知っているので分かります。反対したとしても、それを説き伏せるだけの材料をきっちり用意してきますよね。川島選手といえば語学が得意で、知的というイメージもありますが、勉強は昔から得意だったのでしょうか?

 語学は大宮アルディージャに入ってからですね。大宮でイタリアのパルマに行く機会をいただいたんです。現地のキーパーコーチがすごくいい人で、たくさん教えてくれたけどわからないこともあったと言っていました。それから英語、イタリア語とどんどんやっていったようです。

【©Walnix】

憲剛 学生時代はいかがでしたか?

法子 家で勉強しているのはあまり見たことなかったです。高校生の時は22時に帰ってきて、5時には朝練に出かけるような生活でしたからね。時間はなかったと思います。

 それでも結構成績が良かったんです。どうやって勉強しているんだって聞いたら、「寝ないようにして、授業を聞く。聞いていればだいたい分かるから。むしろそれしかやりようがない」って言っていました。

憲剛 全国の育成年代の選手に言いたい。「川島選手は授業中に寝てなかったぞ」と(笑)。ちなみに、僕もそういうタイプでしたとこっそりアピールしておきます。お父さんからサッカーに関してアドバイスをすることや、川島選手から相談をされたことはありましたか?

 僕は素人なので、そういうことはなかったです。相談されたことも記憶にないですね。

法子 自分で本を読んで解決していたんじゃないかと思います。食事に関しても家には何冊か栄養学の本がありましたから。監督から聞いた、食事や生活態度の重要さについてもよく話していました。

憲剛 今でこそスタンダードになってきていますけど、当時から勉強していたとは。プロよりもプロみたいな学生ですね。この歳になってもプレーできているのも納得です。

法子 中学も高校も、いい先生に巡り合えたのだと思います。

【©JFA】

憲剛 最後の質問です。川島選手がサッカー選手として活躍する姿を見ていて、親としてどのような喜びを感じますか?

 何かの映画にあったんですけど、「父親としてどれだけ成功したかは、子どもがどれだけ父親を超えたかなんだ」というセリフがありました。まさにそのような感じです。父親として寄り添うくらいしかしていませんでしたが、おこがましいかもしれないけど、成功したのかなというふうに思います。

法子 永嗣の試合を観戦しに日本中、海外と応援に行きました。そういうことをさせてくれて幸せだったなと思います。

憲剛 永嗣は親孝行な選手だなあ。オンライン上ですけど、またお顔を見られてよかったです。ありがとうございました。またお会いしましょう!
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著者プロフィール

日本サッカー協会(JFA)は、日本サッカー界を統括し代表する団体として、サッカーを通じて豊かなスポーツ文化を創造し、人々の心身の発達と社会の発展に貢献することを目的に活動しています。 JFA公式Webサイトでは、日本代表からグラスルーツまで幅広いサッカーの現場の話題をお届けします。

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