【中村憲剛の教えてファミリー】下手に口出しをしないことがポリシー〜橋岡大樹選手のご両親インタビュー

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【ご両親提供、©Walnix】

日本代表まで登り詰める選手はどのような幼少期を過ごしてきたのでしょうか。JFAロールモデルコーチとして育成年代に関わり、昨年4月、登録制度改革本部のJFA Growth Strategist(JFAグロース・ストラテジスト)にも就任した中村憲剛氏の発案により、トップレベルの選手のご両親へのインタビューを実施しました。第一回は東京オリンピックにも出場し、現在はシントトロイデンVV(ベルギー)でプレーする橋岡大樹選手の父・和正さんと母・深雪さんにご登場いただきました。

○オンライン取材日:2022年6月22日

憲剛 それではよろしくお願い致します!!インタビューする側は緊張しますね(笑)。早速ですが、お父さまは野球、お母さまは陸上競技を学生時代にされていて、大樹選手のいとこには東京オリンピック走り幅跳び代表の橋岡優輝選手と、いわゆるアスリート一族で知られていますよね。さまざまなスポーツがある中で、お子さんたちがサッカーを始めたのはいつ頃なんですか?

和正 少年団に入ったのは小学生からですね。地元が浦和で、周りがみんなサッカーを始めたので、その流れで長男の和樹(橋岡和樹選手/現エリース東京FC)が先に入りました。

憲剛 大樹選手も和樹選手の練習について行っていたんですか?

深雪 そうですね。お兄ちゃんたちがやっている横で、同じように来ていた弟さんたちと一緒にボールを蹴っていました。

【ご両親提供】

憲剛 大樹選手を見ていて「動きがいいな」と思うことは小さい頃からあったんですか?

深雪 和樹も活発でしたが、大樹は「この子はすごい」と思うことが何度かありました。一番驚いたのは、3歳の時に自転車を補助輪なしで乗ってしまったことですね。「お母さん、後ろを持っていて」と言われて、持っているふりをして持たないで走らせてみたら、そのまま何食わぬ顔で走っていました。

憲剛 3歳で補助輪なしはすごいですよ(笑)。バランス感覚や運動神経は幼い頃から持っていたんですね。サッカーの練習は週に何日ぐらいやっていたんですか?

深雪 少年団の練習は週末と祝祭日だけでしたね。

和正 4年生からは、その他に週に1回、スクールにも通わせていました。

憲剛 小学生時代は、サッカーをする時間はそんなに長くなかったということですか?

深雪 プロにさせたいとか、サッカーの道に進ませたいという想定で育てていなかったので。少年団も地元のチームだったのですが、入ってみたら運動神経がいいのと身長が高いのと足が速いのでけっこう目立ってしまうんですよ。4年生の頃からトレセンに選ばれるようになって。そこではJクラブのアカデミーの子などうまい子ばかりだったので、これはスクールに行かせたほうがいいね、ということでスクールに入れました。

憲剛 なるほど、そうだったんですね。僕はてっきり親子で目標を設定し、そこに向けて邁進してきたファミリーなんだろうと思っていました。

深雪 全く違うんですよ。だから、いつだったか久保建英選手(レアル・ソシエダ/スペイン)のお父さまと空港でお会いした時に「どうやって育てたんですか?」と尋ねたぐらいです(笑)。

【©Walnix】

憲剛 映像を見てアドバイスしたことなどはあったんですか?

和正 一応、試合の時は私が必ずビデオを撮りましたが、帰宅後に子どもたちが勝手に見ている感じでした。こうしたほうがいい、といったアドバイスは素人がやってはいけないと思っていたので、言わなかったです。ただ、子どもが「やりたい」と言った時に家の前でボールを一緒に蹴ったり、ランニングをしたりといったことはしていました。

深雪 親があれこれ言うと子どもはそれが正しいと信じてしまうし、特にスポーツを教えて親の言うことが正しいと認識すると、コーチや他の人の言うことを聞かなくなってしまうんじゃないかと思っていました。親は下手に口出しをしない、というのが夫婦のポリシーでしたね。

憲剛 すごいですね。口出ししないというのはなかなかできることじゃないと思いますが、そうされていたと。そこから中学は浦和レッズのアカデミーに入ることになりましたが、環境が変わり、練習時間や内容も変わる中で、食事面などでフォローしていた部分はありましたか?

和正 全くありません(笑)。すみません。

深雪 恥ずかしいぐらいないんですよ。みんなに聞くといろいろやっていたようなんですが、うちはなかったです。“意識低い系のお母さん”ですね。

【©JFA】

憲剛 ご自身が学生時代に取り組んでいたトレーニングを伝えたことは?

深雪 走る時に体がブレると疲れやすくなるし故障もしやすくなるので、腹筋や背筋など上半身を鍛えるとバランスが良くなり、けがもしにくくなるという話はよくしました。走り方のアドバイスもしました。

和正 けっこう上下動が大きいんですよね。そうすると疲れやすいので、それは言いましたね。手を横ではなく縦に振りなさいとか。

憲剛 …すごい。かなり専門的ですし、僕らにはできないアドバイスなので、当時の大樹少年にとっては大きかったでしょうし、そういうアプローチができるご両親は多くないと思います。本気で怒ったことはありますか?

深雪 一回だけあります。小学6年生で県のトレセンに行った時に、全くパスが回ってこないのにピッチ内でジョギングしているような状況だったんです。でも最後に1本だけパスが出てきて、サイドから上がってシュートまで持ち込んだものだから、練習後に「ねえねえ見た? 俺すごくない?」と調子に乗って帰ってきたんです。それで天狗になるのはおかしいということで怒りました。

憲剛 怒られた後は変わりましたか?

和正 変わりましたね。意識が変わったと思います。ボールを奪いにいくなどの動きが積極的になりました。母親に怒られるのが一番効くんでしょうね。

【©Walnix】

憲剛 その後、挫折などはありましたか?

深雪 中学2年生の時に、ちょっと大きなけがをしたんですよね。腰椎分離症をやってしまって。プレーもできないし、日常生活も制限されるので、ちょっとイライラしている時期が続きました。

和正 約1年間、ほとんど何もできなかったですね。それでも、練習には毎回行っていました。

深雪 コーチだった池田伸康さん(現浦和レッズユース監督)がすごくサポートしてくれました。「本当はやらせてあげたいけど、先のことを考えたら無理はさせられない」と言ってくれて、意図がちゃんと伝わったので、本人も理解しつつ、練習にはいつも行ってできることをやっていました。

和正 いろいろありましたが、大樹は不思議なことにサッカーが嫌いにはならなかったですね。どんな時もサッカーが一番でした。それは親としてもすごく感じていました。

憲剛 お二人のポリシーがすごくはっきりしていて、その中で彼がすくすくと育ったというのを知ることができて、僕にとっても勉強になりました。ありがとうございました!

今後もJFA公式WebサイトJFA.jpで連載していきます。
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著者プロフィール

公益財団法人 日本サッカー協会

日本サッカー協会(JFA)は、日本サッカー界を統括し代表する団体として、サッカーを通じて豊かなスポーツ文化を創造し、人々の心身の発達と社会の発展に貢献することを目的に活動しています。 JFA公式Webサイトでは、日本代表からグラスルーツまで幅広いサッカーの現場の話題をお届けします。

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