継続と進化を追い求めたプロキャリア。両雄が挑む集大成のラストマッチ

レノファ山口FC
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【RENOFA YAMAGUCHI FC】

2.菊地光将選手と6.渡部博文選手がプロサッカー選手としてのキャリアから退く決断をし、10月23日のシーズン最終戦で一つの区切りを迎えます。

レノファ山口FCでプレーした期間は菊地選手が3年間、渡部選手は2年間でしたが、キャリアを通じて積み重ねてきた能力やキャプテンシーを発揮し、両選手はレノファが目指すサッカーの一翼を担ってきました。
菊地選手は駒澤大を経て2008年に川崎フロンターレに加入し、ルーキーイヤーからJ1リーグ戦に出場するなど、リーグ戦やルヴァン杯(ナビスコ杯)にコンスタントに出場します。

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2009年には地域リーグを戦っていたレノファと天皇杯2回戦で対戦。試合は川崎Fが鄭大世(チョン・テセ)選手のゴールで先制するものの、すぐにFW柏原渉選手が取り返してレノファが同点とします。最終的には川崎Fが6-1で快勝しますが、菊地選手は「対戦したのを覚えていますし、点を取られたのをすごく覚えています」(2020年のインタビュー)と話し、菊地選手の記憶にも刻まれる試合となりました。

菊地選手は2012年に大宮アルディージャに移籍し、8年間にわたってJ1、J2の両リーグでプレーします。2018年と19年のリーグ戦では4回のレノファ戦のうち3試合に先発出場。「やりづらい相手だった」と1勝1分1敗の試合を振り返っています。

レノファに加入後もセンターバックを持ち場に、ストロングポイントの空中戦や対人守備の強さを見せつけていきます。今年もここまで10試合に先発出場。8月13日のファジアーノ岡山戦では8.佐藤謙介選手が蹴るフリーキックに頭で合わせ、6シーズン連続となるゴールも決めています。

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「謙介にどこのポイントに蹴るかの確認をしたら、あのようなボールを蹴ると伝えられたので、信じて入ってきました。その結果、良いボールが来ました。でも、ゴールがどうこうというこだわりはないです。やはり失点しているほうが課題です」(菊地選手)

その上で、「こういう試合を勝点につなげていかないといけないです」と語り、守り切れる試合作りに改めて強い意欲を示しました。そして翌節の水戸ホーリーホックでは、味方に退場選手が出るというピンチにも動じず、後半30分過ぎまで出場して1-0での白星に貢献。残留争いに巻き込まれそうなチームを救う、貴重な勝点3を手にしました――。
渡部選手は山形県出身で、柏レイソルでプロ生活をスタートします。1年目はほとんど試合に絡めませんでしたが、2年目に栃木SCに期限付き移籍して頭角を現し、その後は柏のほかベガルタ仙台、ヴィッセル神戸でプレーして、J1クラブで圧倒的な存在感を示していきます。

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プレーヤーとしても進化を続け、「相手が嫌だろうなと思うこと」を念頭に、ボランチの選手が担うようなパスの供給力を披露。相手を置き去りにする縦パスやフィードはレノファでも存分に発揮していきます。渡部選手は2021年のインタビューで次のように“進化”の理由を語っています。

「30歳くらいまでは自分の対人能力と空中戦を磨き、人に強い自分を作ろうと思っていました。ただ、今後の日本サッカーはもっとポゼッションしないとだめだということに気づき、そこから、シフトチェンジしました。もっと足元の技術を高めないと生き残れない。そこから左脚の練習やドリブルの練習を始めました」

ちなみにサッカーを始めたのは小学生時代で、渡部選手はそのきっかけも話してくれています。

「小学校2年生の時でしたが、僕は野球をやるか、サッカーをやるか迷っていました。その時に5つ離れた姉が『これからはサッカーの時代が来るから』という名言とともに、『あなたはサッカーをしなさい』と。それがきっかけですが、そこから姉が僕に課したトレーニングがまあまあハードでした。でも、それを忠実に守っていました」
そんな経験豊富なベテランに囲まれて、若手選手たちも大きく成長してきました。特に両選手の背中を大きく感じながらプレーしていたのが今年加入した22.生駒仁選手です。

生駒選手は「一緒にプレーしたのは1年間でしたが、成長につながった部分しかないです。本当に感謝しています」と噛みしめるようにシーズンを振り返り、さらに次のようなエピソードも語ってくれています。

「ヒロさんはシーズンを通してずっと出ていましたし、守備の面も攻撃の面も多くを学ぶことができました。キクさんは自分がミスをしてしまった時に『ディフェンスにはそういうことはある。切り替えろよ』と言ってくれました。それは何気ない一言なんですが、それで前向きになれたということがありました。二人からの一つ一つの声掛けが僕にとって成長できるきっかけになりました」

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バトンを渡せる選手へと成長を遂げている若手選手を見つめ、菊地選手は「試合に出ることによって自信が出てきたり、自信をなくしたり、いろいろな感情の変化は出てくると思います。そういった中でやはり自信を持ってやれていると良いパフォーマンスを出せます。チームメイトとしても心強く思っています」と今や頼もしさを感じています。

また、渡部選手は10月19日の取材で「どういう思いを残る選手に託したいか」と聞かれ、次のようにエールを送っていました。

「思いが強すぎると肩に力が入ってしまいます。DFに限らず、自分が選んだ選択を正解にしてほしいと思います。周りに『そこでドリブルするなよ』と言われても、それを正解にしてゴールを決めたり、パスにつなげられれば良いのです。ミスをしても速く切り替えれば良い。自分の選択肢を正解にしてほしいです」

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試合をしながら言葉や背中でアドバイスできるのはあと1試合。菊地選手は試合に出ればリーグ戦通算352試合目、渡部選手は同294試合目を迎えます。ただ、最後の試合であっても、一つのゴールを追いかけ、一つのゴールを守り抜くというフットボールに変わりはありません。

「長崎戦も1-0で勝てましたが、最後の精度のところでは2点目を仕留めきれるチャンスもありました。そういうところの精度を高めていければ、もう少し楽な試合ができていけると思います。守備では押し込まれる時間帯もありましたが、失点0で抑えることができたのは自信にもなります。そういうところを継続してやってきたいと思います」(菊地選手)

言葉の通りに継続と進化を繰り返して、階段を登ってきた二人の大ベテラン。プロサッカー選手としての集大成を見せる90分間が始まります。
■菊地光将(きくちこうすけ)
1985年12月16日生まれ、36歳。埼玉県出身。地元の越谷FCでサッカーを始め、浦和東高校、駒澤大学を経て川崎フロンターレに加入。エアバトルに強く、川崎F時代からセンターバックを中心に活躍する。2008年と09年にJ1準優勝を経験し、ACLにも出場。大宮アルディージャでは8年にわたってプレー。2020年にレノファに加入した。182cm、74kg。

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■渡部博文(わたなべひろふみ)
1987年7月7日生まれ、35歳。山形県出身。山形中央高校、専修大学を経て柏レイソルに加入。2年目の2011年に栃木SCに期限付き移籍して30試合以上に出場する。柏に復帰後は天皇杯優勝やヤマザキナビスコ杯(ルヴァン杯)優勝に貢献。ベガルタ仙台、ヴィッセル神戸では中心選手として活躍し、2021年にレノファに加入。今季はキャプテンも務めた。186cm、77kg。

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著者プロフィール

レノファ山口FCは、山口県民が 「夢・感動・元気」 を共有できるクラブ、 山口県の選手を中心とし、山口県民に広く愛されるクラブを理念として2006年に誕生しました。 レノファ山口FCの名称は、「renovation(維新)」の頭文字レノと「fight(戦う)」や「fine(元気)」のファを合わせて「RENOFA YAMAGUCHI FC(レノファ山口FC)」となりました。 歴史に名を残した山口県の先人たちのように、日本のサッカー界にもその名を刻んでほしいと願い命名されました。

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