#14 橋本拓哉 絶頂期を目前に見舞われた二度の悲劇 艱難辛苦を乗り越え、コートに戻る

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#14橋本拓哉が最初の悲劇に見舞われたのは一昨年、2021年3月3日の信州ブレイブウォリアーズ戦だった。なんということのないプレー中に背番号14が突然コートに崩れ落ち、右足首をおさえて激しく顔を歪める。

「アキレス腱を切ったときって、痛みを感じない人もいるらしいんです。でも僕の場合は激痛で。『なんだろう、この痛みは』と思って立ち上がろうとした瞬間に、力が抜けた感じでフニャっとコケて。これは、ただ事じゃないなと思いました」

すぐさまドクターが駆け寄り、担架に乗せられてアリーナのバックヤードに運び出された。

「そこでドクターから、アキレス腱断裂です。最低でも全治8ヶ月と言われて。うわーって思って、何十年ぶりかくらいに涙がポロポロ出ました」

高確率でリングを射貫く3P、絶対的な自信を持つミドルショット、そして切れ味鋭いドライブ。このシーズンのタクヤは1試合平均13.4得点をあげ、スコアラーとして覚醒を見せていた。まさに、その矢先だった。

「本当に、絶望的な気持ちになりましたね。チームはチャンピオンシップに出られそうだったし、僕の調子も良くて、自分のプレイスタイルが確立しそうな時期だった。だから、余計にショックでしたね」

それでも復帰を目指し、辛いリハビリに真摯に取り組んだ。そしていよいよ復帰が視界に入ったころ、彼は再び悪夢のような出来事に襲われる。

「リハビリを経て、全体練習に入っていいという初日に、同じ箇所を再断裂したんです。切ったときは、感覚でわかりました。当然、その日の練習もしないまま。それまでずっと、バスケの感覚がなかったんです。やっと全体練習に入れるってときに切って、もう終わったなって」

胸に去来した絶望感は、最初のケガとは比較にならない。

「完全に切れずに部分断裂であれと、淡い期待もありました。でもまた手術だと言われたんで、そうかと……。アキレス腱を切ってパフォーマンスを落としたNBA選手がたくさんいると聞いて、僕はそれを2回連続でやっている。あきらめに近いみたいな気持ちもありましたし、もう不安でしかなかったです。そのころは、自分は将来どうするんだろうと考える時間にもなりました。当時26歳、今年で28歳になるんですけど、いろんなことを考えていましたね」

すぐに、気持ちを前に向けることはできなかった。長い入院生活。ベッドの上で、悶々とする日々をどれほど過ごしたことか。そんな孤独と不安に耐え、彼が下した決断。それはもう一度、コートに戻ること。そのためにどれほど辛い過程を乗り越えなければいけないかは、充分すぎるほど味わっている。それでもバスケが好きだという思いが、タクヤの背中を押した。

「2回目の手術とリハビリを経て、もちろん別メニューですが、ようやく練習ができるようになった。最初はボールを触って、シューティングができる。それだけでも、楽しかったんです。初めはジャンプができなかったので、手だけで打っていたんですけど、それでも楽しくて楽しくて。あらためて、自分はバスケが好きなんやなと感じました。それから歩けるようになって、最初はジョギングですけど、走れるようになって。そこから本格的にシューティングができるようになって、めちゃくちゃ楽しかったですね」

二度の大ケガから復帰は果たした この先に、完全復活が待っている 【Copyright © OSAKA EVESSA . All Rights Reserved】

そうして彼は、今季のプレシーズンゲームからコートに帰ってきた。レギュラーシーズンも開幕から4戦連続で途中出場し、1試合平均で13分あまりプレーしている。あれほどの大きなケガから復帰はしたが、まだ状態は万全とは言い難い。今の調子はと問うと、「見てのとおりですよ」と自嘲気味に笑う。

「プレータイムの制限がかけられていますし、足の状態もまだ100%とはいえません。みんなが昨シーズンを戦っているころに僕はリハビリ中で、今シーズンが始まるまでには100%になってるやろうと考えていたんです。ここまで予想外な展開になるとは、思っていなかったですよ」

頭のなかにある自分のプレーのイメージと、身体が上手くつながらない。今はまだ、そんな状態だと言う。

「ディフェンスで足が一歩前に出ないこともあるし、思い切って跳ぶのをためらうこともあります。体が思うように動かない場面もあって、自分はこんなんじゃないと、フラストレーションを感じているところもありますね」

とはいえ、永遠とも思える雌伏のときを経て、復帰したよろこびを感じているのも事実。10月8日のホーム開幕戦で橋本拓哉の名前がコールされると、場内から温かい拍手が彼に降り注いだ。

「1年半ぶりぐらいに戻ってきて、やっぱりうれしかったですね。不安ではありましたけど、楽しみでもあったので。ファンの方も大きな拍手をしてくださったので、すごく嬉しかったです。リハビリ中からアリーナに来ていましたが、ベンチの後ろでジャージを着て座っているのと、ユニホームを着てコートに立っているのでは全然違いますね」

コンディションが上がってくれば、頭のなかのイメージと身体の動きが結びつき、必ずや以前の輝きを取り戻せるはずだ。今はただそれを、実戦の場で積み重ねていく。

「まずはキャッチアンドシュートを、取り戻そうと考えています。これは手の感覚次第なので、足は関係ない。ひとつのプレーの感覚を取り戻せば、ほかのプレーもつながってくるんじゃないかなと。それと同時に、プレースタイルを変えていかないといけない部分もあると思っています。今までは感覚でプレーするタイプでしたが、これからはピックアンドロールを上手く使って仲間を生かしたりとか。そういうことも、やっていかないとなと思っています」

変わる=変化ではなく、新たな要素も取り入れようとしている彼は、進化の過程にあるのかもしれない。

「以前のような活躍ができるかって言われたら、今はまだまだです。それでも今の自分ができることを探していて、それはチームディフェンスだったり、アシストであったり、そういった部分でできることはあるはず。足が完全に治りさえすれば、もっとやれるんじゃないかなと思います。あとは試合に出て、練習をして。それを積み重ねていって、という感じですね」

復活ロードに第一歩は記した。エヴェッサひと筋、通算8シーズン目。今季にタクヤは、なにを見せるのか。

「昔から見てくれている人はともかく、初めて見る人は『なんや、この14番』って思っているかもしれません(苦笑)。もっともっと活躍して、復活した橋本拓哉を見せたいです」

復帰は果たした。このあとには、エヴェッサの日本人エースの完全復活が控えている。そのときは、そう遠くはない。
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著者プロフィール

2005年にクラブ創立。七福神のお一人で商売繁盛の神様である「戎様」を大阪では親しみを込めて「えべっさん」とお呼びするところから、 人情・笑い・商売の街大阪を活気づける存在であることを願い「大阪エヴェッサ」と命名。 同年にスタートしたbjリーグで開幕から3連覇を成し遂げる。 2016年9月に開幕した男子バスケットボールの最高峰・Bリーグでは、ホームタウンを大阪市とする大阪唯一のクラブとしてB1に参戦。

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