クラブをより深く地域に浸透させる。そしてアジア戦略。川崎フロンターレの吉田明宏社長が描く未来

川崎フロンターレ
チーム・協会

【©KAWASAKI FRONTALE】

8月19日に公開された動画コンテンツで、川崎フロンターレの吉田明宏社長が語るサッカー経営の「最前線」という興味深い内容の対談が紹介されている。(関連リンクより視聴可能)

現在Jリーグ2連覇中。昨年2021年のクラブ営業収益は全クラブトップ(69億円)。いまや名実ともにリーグを牽引するビッグクラブとなりつつある中、川崎フロンターレというクラブがいかに変化し、どこに向かおうとしているのか。吉田社長の言葉から、その方向性について考えてみた。

吉田明宏社長(画像左)がサッカー経営について語る 【©PIVOT】

「クラブが地域のインフラ的存在になること」

吉田明宏社長が就任当初から宣言している目標である。
これは単なるサッカークラブではなく、生活の一部としてなくてはならない存在を目指すというものだ。川崎フロンターレが街や暮らしに違和感なく溶け込むだけではなく、最終的には水道や電気と同じレベルで欠かせないものになる。そんな目標を掲げている。

もちろん、一朝一夕で実現していくような話ではないだろう。
例えば、スペインのFCバルセロナの創立は1899年で、100年以上の歴史を誇っている。親子三代で応援しているようなファンがほとんどだ。「クラブ以上の存在(Més que un club)」というスローガンを掲げ、スポーツを楽しむこと以上の価値を提供しているサッカークラブとなっている。

一方で川崎フロンターレは創立26周年だ。
海外の一流クラブに比べると、その歴史は浅い。J1リーグで優勝争いをするような強豪クラブになって15年ほどが経つが、子供の頃に応援していたファンがようやく大人になってきたような時期だと言える。

まだまだ歴史は浅く、先は長い。
だからこそ、「生活の中にフロンターレがある」ということを浸透させていくための姿勢は常に惜しまない。先日発表された、かわさきこども食堂ネットワークの支援開始もその一つだろう。サッカーを通じて健康や教育などあらゆる分野に目を向けながら、川崎フロンターレが関わることで、社会に必要な地域コミュニティとして認識してもらう。「サッカーだけではなく、そこから派生した社会貢献活動をみんなで一緒にやる」と話しているのも、地域のインフラ的存在になるためにつながるものだと言える。さらに、そこから地元企業と連携していけるようになれば、より発展的な何かも生まれていきやすいからだ。

8月7日横浜FM戦の試合前に「かわさきこども食堂ネットワーク」への支援開始を発表した 【©KAWASAKI FRONTALE】

スタジアムに集まる人たちに、そうした繋がりを仲介していくのもサッカークラブの責務だと吉田は言う。

「スタジアムでは皆さんピッチを見て一生懸命応援してくれています。ただ、ふっと横を向くと、『あなたはどこどこの会社の社長さん?』、『あそこの会社の技術者さん?』と。横をどう向かせられるかですよね。そこで、いいリレーションが生まれるし、また新しいビジネスができる。そういう力がサッカークラブにはあるんです。サッカーだけを応援するのではなく、サッカーを通じて新しいビジネスを生む。そういう機会があるはずだと思ってます」

こうした発展性も含めて、「フロンターレ経済圏を作りたい」と吉田は口にしている。ファン・サポーターを巻き込みながら盛り上がり、サッカーをきっかけに新しいビジネスが生まれていくようになれば、川崎という街の発展にも大きく繋がっていく。そうやってサッカーを通じて、関わった人たちにも豊かな人生を送ってもらいたい。それが吉田が思い描いている未来のようにも感じる。

もちろん、社長1人の力だけで全てを変えられるわけではないだろう。
ただ振り返ってみると、このクラブは、そのための下地作りは地道に進めてきた自負がある。チーム強化だけではなく、地域密着を両輪にしながら前進してきたクラブだからだ。

少しだけその歴史を振り返っておくと、最初にそれを強く打ち出したのは2代前の社長である武田信平だろう。2000年12月に社長に就任してから2015年4月まで約14年4ヶ月に渡ってクラブの舵を取った彼は、企業のサッカー部ではなく、川崎市民のためのクラブであるという本気の姿勢を見せていった先駆者だ。

チーム強化も概ね順調で、2004年には独走状態でJ2を優勝。2005年からJ1を舞台に戦うチームは右肩あがりで成長し、優勝争いを繰り広げる強豪クラブにまでなった。種をまき続けてきた地域活動も実を結び、毎試合の観客動員数は成績の浮き沈みに左右されないようになった。健全経営にこだわり、現在のクラブの基盤を作った人物だと言える。

2004年のJ2で勝点105(全44試合)を獲得し、優勝・J1復帰を果たす 【©KAWASAKI FRONTALE】

そして武田の後任となり、前社長でもあった藁科義弘は、前任者の土台を生かしながら、足りない部分の先行投資に力を注いだ。
大物選手の獲得など、無冠に泣き続けたクラブが優勝するために必要な環境作りにフォーカスした。藁科前社長の在籍6年間で、クラブはリーグ優勝4回、天皇杯とルヴァンカップを1回ずつ、合計6つのタイトルを獲得。もちろん、監督、スタッフ、選手といった現場の頑張りがあっての結果ではあるが、チーム作りの成長段階に応じた環境面の改善は大きな効果を生んだと言える。来年には、生田浄水場用地(多摩区)を活用したスポーツ拠点となるフロンタウン生田も完成予定となっている。こうしたハード面の整備は藁科の功績と言えるはずだ。

2023年春にオープンが予定されているフロンタウン生田の完成予想図 【©KAWASAKI FRONTALE】

なお川崎フロンターレの昨年2021年のクラブ営業収益は69億円。これは全クラブトップの成績である。2位の浦和レッズが68億円、3位の鹿島アントラーズは66億円となっている。

つまり現社長である吉田は、名実ともにリーグを牽引するビッグクラブとなった中で、藁科から社長のバトンを引き継いだとも言える。このクラブをどう発展、成長させていくのか。

冒頭で触れた「地域のインフラ的存在になること」に加えて、吉田が打ち出している鍵がいわゆる「アジア戦略」。つまり、クラブをアジアにも浸透させていくことだ。

2013年でのベトナムでの親善試合から始まり、サッカーを通した交流活動は継続的に実施していた。そんな中、今オフには、タイの国民的英雄であるチャナティップをコンサドーレ札幌から獲得。ここからアジアに向けたマーケット戦略も一気に加速した印象である。吉田は言う。

「まずは地元の国の選手が活躍する。日本の選手があちらのチームで活躍すると試合を見ますよね。野球だと大谷翔平選手、昔のイチロー選手もそう。アジアの選手を日本のJリーグに受け入れて活躍してもらう」

もう20年以上前の話になるが、当時最高峰の舞台であったセリアAでプレーしている中田英寿を熱く応援していた日本のサッカーファンも多いだろう。現在、Jリーグの優勝チームで挑戦しているチャナティップの姿は、タイのサッカーファンにとってはあの時の中田と同じものなのかもしれない。

2022シーズンから加入したタイ代表・チャナティップ 【©KAWASAKI FRONTALE】

有名選手を受け入れるだけではない。有力な若手を、生え抜きのように育てていく展望も、吉田は口にしている。

「そのためには、すでにうまくなった選手を連れて来る前に、もっとユースの頃からアカデミーから有力な選手に来てもらい、Jリーグの我々のアカデミーでサッカーを勉強してもらい、そこで鍛えて上手になって、トップチームにいくという一つの道筋を作っていきたい」

とはいえ、これは長いスパンを要する戦略だろう。
目下の戦略としては、チャナティップをアイコンとしながら、川崎フロンターレの存在や活動を認知してもらうことが最優先になりそうだ。すでにバンコクにてフロンターレの試合観戦イベントを行うなど積極的に展開中で、クラブSNSでもタイ語による発信をしていることで、フォロワー数は10数万人伸びているという。

なお9月10日のサンフレッチェ広島戦では、タイに関するイベント「抱きしめタイ!」を開催予定である。タイ王国大使館の全面バックアップということもあり、結びつきが強くなっていく兆しを見せていきそうだ。

川崎フロンターレというクラブをより深く地域に浸透させるとともに、アジアという大きな市場にも展開していく。

吉田が新社長として課せられたミッションはあまりに大きい。しかし、だからこそ、どんな形でクラブが発展していくのか。その未来にやりがいも感じているに違いない。

(文・いしかわごう)
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著者プロフィール

神奈川県川崎市をホームタウンとし、1997年にJリーグ加盟を目指してプロ化。J1での年間2位3回、カップ戦での準優勝5回など、あと一歩のところでタイトルを逃し続けてきたことから「シルバーコレクター」と呼ばれることもあったが、クラブ創設21年目となる2017年に明治安田生命J1リーグ初優勝を果たすと、2023年までに7つのタイトルを獲得。ピッチ外でのホームタウン活動にも力を入れており、Jリーグ観戦者調査では10年連続(2010-2019)で地域貢献度No.1の評価を受けている。

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